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入社2年目の1982年末に上司から米国への実務研修に行くようにと言われる。

当時、海外研修に行くには語学や貿易実務などの試験に受かることが条件でした。実のところその試験に1つも受かっていなかったのに上司から「沢田君、とりあえずニューヨークへいってこい」と言われました。

米国研修では日本人をあえて避け、語学を学んだ

米国研修では日本人をあえて避け、語学を学んだ

せっかくの機会です。米国のスケールの大きさを知りたかったので翌年の2月にはとても寒いニューヨークに旅立っていました。

ところがニューヨークに来てすぐに「こりゃ、英語の勉強にならない。だめだな」と思いました。周りは日本人ばかりなのです。

ならば考えるより行動です。地元の新聞の不動産広告で日本人が住んでいなさそうなエリアの物件を見つけて「ここに住みます」とニューヨークの上司に掛け合いました。

上司は「認めない」の一点張り。「これまでそんな例はない。そもそも危険だ」と。何度か食い下がると「しょうがない。では日本人社員がほとんどいないヒューストンの事務所に行きなさい」と言ってくれたのです。

当地では秘書の自宅に転がり込んで再スタートです。高校生のお子さんと庭でバスケットなんかもしました。英語は自然に身についていきました。ヒューストンで研修期間の10カ月が終了、帰国が決まった時は本当に残念でした。

仕事では同期の中で出遅れていた。

日本に帰るとウレタン原料の受け渡しをする下積みの仕事。同期はもう花形の営業に何人も出ているのにです。そのうち後輩にも追い越されてしまいました。でも、ふて腐れてはいなかったね。それはそれなりに充実した仕事でしたから。

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