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私の履歴書復刻版

社内にしみわたる理論尊重の気風(下) ホンダ創業者 本田宗一郎(18)最終回

2016/9/8

 「私の履歴書」はこれで終わるが、私はまだ50代の若さである。ほんとうの履歴書はこれから始まるといっていい。この手記は、いわば、人生の中途で、一本の里程標を記したようなものなのだ。しかも、事業家の立場から、自分の経営する事業の発展の経緯をごく粗(あら)くたどったものである。そこで、この稿の結びとして、いわば私の持つ人間感情の面から一言書き加えることを諒とされたい。

 私はアプレ事業家などと言われているが、アプレもアバンもない、事業というものは、いうまでもなく世間の多くの人の支持がなければできるものではない。製品をこよなく愛してくれるお客さん、アドバイスを与えてくれた友人知己、ピンチの際にもよく力を貸してくれた銀行、協力工場、販売店、それに若き従業員たちの後ろ楯も忘れることはできない。

 まず第一に、私は会社経営の根本は平等にあると思う。上役、下役の差別扱いもよくないし、エコヒイキにも気をつけねばならぬ。だから私は自宅へ社員は絶対にといっていいくらい呼ばない。家庭は一種の城であり城主は女房である。一部の社員を上役が自宅へ呼んだりすることはえてして閥をつくりやすく、会社運営のガンになりやすい。学閥、故郷閥――あらゆる閥はよろしくない。といっても、うちの会社にはたった一つだけ閥がある。それは小学校卒業という閥である。これならどんな人でも日本人であるかぎり、みな義務教育としてやってきた。どこからも文句の出ようはずがないのである。

 よく私のことを陣頭指揮だなどという人がいるが、社長というものは重役会で決定したことが手順よく行なわれているかどうか全体を監督し、突発事故が起きたときにはよく対処されているかどうか、もし対処されていなければ役員に相談して適切な打開策を検討するのが役目である。それさえスムーズに行なわれていれば何も陣頭指揮などする必要はない。だから私は本社へもときたましか顔を出さないし、社長の実印も見たことがないから四角か三角かも知らない。

 研究所で研究に没頭しているのは好きで、しかもいくらかなりと社のためにもなっているからである。イキ抜きにゴルフでもしたらとすすめてくれる人がいるが、私にとって機械いじり仕事がそのままレジャーなのだ。

 この手記の新聞連載中に、私はいろいろな方からたくさんの手紙をもらった。激励あり、助言あり、思わぬ旧交をあたためるものもあって、私自身反省やら懐旧の情やらを味わう機会を与えられた。

 私があまり景気のいい文句を書き並べたせいか、若い人の中には、私を独往邁進(まいしん)型の現代の英雄のように受けとっている人もいた。私の中のエネルギーを汲みとってくれるのはいいが、私は自分を決して英雄視しているのではない。私の英雄観を言えば、民衆の犠牲のうえに事を成した過去の英雄を私はとらない。たとえば西郷隆盛は、英雄ではあろうが、最後が気に入らない。どういう事情があったにせよ、万を数える貴重な青年の命を道連れにしたからである。

 東京の世田谷に住むKという未知の婦人が手紙をよこして、自分は3年前から重症精薄児の収容施設を経営しているが、あなたの奮闘を読んで、その増設拡張に踏みきったといってきた。この手紙に私は全く心をうたれた。自分の追憶話がこういう形で生きていることに感動した。そして、こういう人こそ現代の英雄だと思ったのである。

 もう一つ、私はずいぶん無鉄砲な生き方をしてきたが、私がやった仕事で本当に成功したものは、全体のわずか1%にすぎないということも言っておきたい。99%は失敗の連続であった。そしてその実を結んだ1%の成功が現在の私である。その失敗の陰に、迷惑をかけた人たちのことを、私は決して忘却しないだろう。

 人生というものは、最後まで行かぬと成功だったか失敗だったかはにわかに断じ難いものである。西郷を再び引き合いに出せば、彼の偉大さとは別に、その最後が、私には疑問なのである。二輪車だけでなく、四輪車や飛行機の開発など、私の将来への夢はつきないが、これとても最後までやってみなくてはわからない。飛行機だって、肝心の着陸のときになって事故を起こし、多数の人に迷惑をかけたのではなにもならない。人間の一生も功と罪とで評価すべきで、私の死んでから受ける評価が、ほんとうの「私の履歴書」であろう。

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 この連載は、昭和37年8月に日本経済新聞に連載した「私の履歴書」をまとめた本「本田宗一郎 夢を力に 私の履歴書」(日本経済新聞出版社)を再掲したものです。毎週月曜日と木曜日に更新します。文中には今日、差別的とされる表現や法律に反する行為の記述がありますが、作者が故人であり、作品の発表された時代的・社会的背景も考慮して、原文のまま掲載しました。なお明らかに事実と異なる部分は削除しました。

[日経Bizアカデミー2012年4月2日付]

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