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私の履歴書復刻版

米国並みの研究費をつぎこむ(上) ホンダ創業者 本田宗一郎(15)

2016/9/8

 34年(1959年)6月、私は輸出伸長をはかるため、ロサンゼルスにアメリカン・ホンダモーターを設立した。50万ドルの許可が大蔵省からおりたとき日本人を連れて行く話が出た。理由は日本人の方が気心が知れていて仕事がやりやすいし、給料も安くてすむというところにあった。だが私はこの話に反対した。

 米国に行って米国人なみの給料が払えないようじゃ商売はできない。それでは日本人を搾取する以外の何ものでもない。日本人を連れて行ってジャパニーズ・タウンを作るのもいけない。米国に進出する以上、その土地の人を使って、かの地から喜んでもらうようにすべきだ。だからまず土地を買って建物を作り、どっしり腰をおろして商売にとりかかろう。これがオーソドックスな商売成功法である。こうして現在向こうに行っている日本人はわずか5家族っきり、150人からの米人セールスを使ってりっぱに成功している。

 アメリカ・ホンダを設立するときの話にこういう経緯があった。これまでにオートバイを売ったことのある店を代理店にしようと頼みに行き7500台ぐらい売ってほしいとこちらの希望を話した。すると相手は「いい数字だ。それくらいなら売れるだろう」と意見の一致をみた。ところがいろいろ話しているとどうも食い違う。よくよく突っ込んで話してみると向こうは年間売り上げのつもり、こっちは月間売り上げのつもりだった。「毎月7500台!それはとても無理だ。とんでもない!」いっぺんに拒否されてしまった。これはこの男の頭がこれまでのオートバイの既成観念にとらわれていたからである。米国には昔からインディアンといったすぐれたオートバイがあったのに、それが自動車の普及につれていつしかつぶれてしまった。だが現在の米国ではオートバイの乗り方が昔とは違ってきている。昔のように実用的な用途で乗り回す姿はほとんど見かけなくなり、半面純粋にレジャー用品として見直され喜ばれるようになっている。一方、自動車は完全に輸送機関の一つであってレジャーではなくなった。交通の混雑は自動車を苦痛とさえ感じるようになった。目的地まで自動車にオートバイを積んで行き、そこで家族みんながオートバイに乗り換えて自動車のはいれない所、道のない所に行き、あるいは釣りを楽しむ。だからオートバイは自動車に駆逐されるものではなく、自動車の次にくるレジャー品である。

 こういう目的に適した構造、スタイル、性能を備えた現在のオートバイと昔のとではおのずから違うわけだ。もっとポピュラーに女子供にも楽に乗れるように設計してある。

 この現実にもとづいて、アメリカ・ホンダではいっそのことと思って、オートバイ販売の経験のない運動具店や釣り具店にやらせたり、ある州では直営店を設けた。そしたらどんどん売れ出した。こうなると販売希望者がどっと現われ、現在米国にあるホンダの代理店数は5、600店にもなった。いま作っている月産10万台のオートバイのうち、約2万台、300万ドルを輸出しているが、そのうちアメリカ・ホンダのある米国が最高のお得意先となっている。既成観念にとらわれることほど人の考えを誤らせ、道をとざすものはない。

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 この連載は、昭和37年8月に日本経済新聞に連載した「私の履歴書」をまとめた本「本田宗一郎 夢を力に 私の履歴書」(日本経済新聞出版社)を再掲したものです。毎週月曜日と木曜日に更新します。文中には今日、差別的とされる表現や法律に反する行為の記述がありますが、作者が故人であり、作品の発表された時代的・社会的背景も考慮して、原文のまま掲載しました。なお明らかに事実と異なる部分は削除しました。

[日経Bizアカデミー2012年3月22日付]

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