変わりたい組織と、成長したいビジネスパーソンをガイドする

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コッターは企業変革のプロセスを8つの段階に整理しました。(1)危機意識を高める(2)変革推進のための連帯チームを築く(3)ビジョンと戦略を生み出す(4)ビジョンを周知徹底する(5)従業員の自発を促す(6)短期的成果を実現する(7)成果を生かしてさらなる変革を推進する(8)新しい方法を企業文化に定着させる――です。

ローランド・ベルガー 執行役員シニアパートナー 平井孝志氏

ローランド・ベルガー 執行役員シニアパートナー 平井孝志氏

このプロセスを遂行する上で特に重要なのがリーダーシップの発揮です。誰か1人のリーダーシップというよりも、組織全体としてのリーダーシップです。その観点から、今後企業が注力すべきはマネジメント能力の開発ではなく、リーダーシップ能力の開発ということになります。

ただしリーダーの養成は、長い時間を過ごす職場での学習が大切になります。企業組織はリーダーを養成する「生涯学習」の場にならなければいけないのです。そのために企業が備えるべき特質は、フラットでぜい肉のない組織構造、統制が過剰でないこと、リスクが許容される文化といったものになります。

職場で学び続ける人材は、自らの快適ゾーンを抜け出し、新しいアイデアを試す勇気を持ち、リスクをいとわず、他人の声に耳を傾けます。それを支えるのは、自らに対する高い基準や野心的な目標、高い使命感で、何度も修羅場を経験することで育まれていきます。

修羅場の経験は、短期的な苦痛を生む行動を避け挫折してしまう性向を克服する最良の薬なのです。リーダーシップ能力を開発するため、企業には、社員を一つの専門分野に閉じこめず、どんどん新たなチャレンジを課すことが求められていると言えるでしょう。

コッターは、寡黙でこつこつと仕事を遂行するタイプの経営者は流行らないと言います。企業を成功に導くのは、常に現状満足にくさびを打ち続け、意図的に健全な危機意識を生み出し、過去を守るのではなく未来に向けて力強く進んでいける、そういった人たちなのです。

ケーススタディー 努力の中、変革のビジネスリーダーとなった松下幸之助

コッターは、ハーバード・ビジネス・スクールでは冠松下幸之助リーダーシップ講座教授でした。1997年の本書の日本語版序文でも、松下幸之助氏を変革に精通した経営者としてたたえています。

一方、本文の中では、若い頃の松下幸之助氏はリーダーという言葉はおろか、才気煥発(さいきかんぱつ)、ダイナミック、ビジョナリー、カリスマ的という言葉は全く見いだせないとも言っています。つまり、松下幸之助氏のような偉業を成し遂げた経営者も、最初から偉大な経営者だったわけではなく、その後の努力の中で、変革のビジネスリーダーとしての能力を獲得していったのだと主張します。つまり、松下幸之助氏ですら「生涯学習」の人だったのです。

松下幸之助氏は20歳代で起業家として立ち、30歳、40歳でビジネスリーダーとなり、50歳代でメジャーリーグ級の企業変革者に成長していきます。その結果、パナソニックを第2次世界大戦による壊滅的な状況から立ち直らせ、新技術を吸収し、ビジネスをグローバル規模に成長させました。その後、60歳代で著述家、70歳代で慈善家、80歳代で教育者として成功してきました。まさに一生成長し続けた人なのです。

ソフトバンクグループの孫正義社長も、苦難の中で大志を抱きながら成長してきた経営者です。成功した現在であっても、「やりたいこと、やるべきことの100分の1も成し遂げていない」と孫社長は言っています。

大きな志で苦難を糧とする孫正義

孫社長は線路脇の空き地に建てられた違法建築のトタン屋根の部屋で生まれました。家はとても貧しく、差別に悩まされ、自殺を考えたこともあるそうです。彼の両親は一生懸命に働き家族を養っていました。そんなある日、父親が吐血して倒れます。突然降って湧いたような家族の危機、なんとしてもはい上がらないといけない、そう思った彼は事業家になろうと決意しました。

家族の反対を押し切り渡米した彼は、米国の高校に編入後、高校卒業検定試験に合格して3週間で退学、ホーリー・ネームズ・カレッジを経て、カリフォルニア大学(UC)バークレー校へ編入します。在学期間中、シャープに自動翻訳機を売って得た資金1億円を元手に、米国でソフトウエア開発会社の「Unison World」を設立しました。UCバークレー卒業後は日本へ帰国し、81年、コンピューター卸売事業の「ユニソンワールド」、そして「日本ソフトバンク」を設立しました。

既に家族を支えるだけの事業は興していた彼ですが、「情報革命で人々を幸せにしたい」との壮大なビジョンを立て、さらなる事業推進にまい進します。米ヤフーとの合弁会社を設立したり、衛星放送プラットフォームの運営会社「JスカイB」を豪ニューズ・コーポレーションとの折半出資により設立したりしました。その後の事業展開は皆さんのご存じの通りです。

常に、自らの快適ゾーンを抜け、大きな志を持って、苦難を糧にしていくことこそが大切なのです。

松下幸之助氏や孫正義氏とまではいかなくても、着実に成長を重ね、リーダーとしての行動を身につけていった人を時々見かけることがあります。たとえば、現在、ある外資系企業D社の日本法人のトップを務めるEさんは、まさにそのような人でした。

修羅場をくぐるたびに、一回り大きく成長

もともとEさんは日系のメーカーF社の米国事業で営業を担当していました。慣れない米国で苦労しながら、ビジネスの拡大の任を受け、奮闘していました。その中で異文化対応能力を高めていきました。

しかし残念なことに事業は赤字に陥り、リストラをせざるを得ない状況になりました。本社から派遣されていたEさんは、そのリストラの責任者に任命されます。レイオフが当たり前の米国にあって、Eさんは日本的な手厚いケアを行いながら必要なリストラを実行していきます。そこでは「人への配慮」の側面を身につけました。

米国でのリストラが一段落ついたところで、本社の企画部門の責任者として日本に呼び戻されます。米国での実績を買われ、次なるタスクは欧州子会社の立て直しでした。Eさんは、日本市場が縮小する中、海外事業の健全化と成長がこの会社にとって必須だと感じ、苦労をものともせず欧州子会社の立て直しに取り組みました。そこでは、これまで身につけた異文化対応能力やリストラ経験が生きることになります。

欧州子会社の再建を確実なものとするために直接欧州に赴任します。そこで2年の時間と労力を費やし、工場再編や営業再編を実施しました。そして見事に立て直しを果たします。

その後、これまでの実績と能力を買われ、ヘッドハンティングされます。外資系企業D社の日本法人のトップとして、再度、日本に戻ることになったのです。D社に転じた理由は、F社では新たな大きなチャレンジがなくなったこと、D社の日本法人が新たな活躍の舞台を提供してくれたことだとEさんは話します。

Eさんは、D社の日本法人トップとして活躍しつつ、D社の本社役員も兼務するようになったそうです。

最近、傍流体験が、リーダーにとって大きな意味を持つという話をよく耳にするようになりました。修羅場を一つくぐるたびに、人は一回り大きく成長していくのでしょう。松下幸之助氏は言います。「人と比較をして劣っているといっても、決して恥ずることではない。けれども、去年の自分と今年の自分とを比較して、もしも今年が劣っているとしたら、それこそ恥ずべきことである」。まさにリーダーシップは、継続的な生涯学習の姿勢の中でこそ育まれていくのかもしれません。

平井孝志(ひらい・たかし)
ローランド・ベルガー 執行役員シニアパートナー
東京大学教養学部基礎科学科第一卒、同大学院理学系研究科相関理化学修士課程修了、マサチューセッツ工科大学(MIT)スローンスクールMBA(経営学修士)。学術博士(早稲田大学)。ベイン・アンド・カンパニー、デル、スターバックス、ネットベンチャーを経て現職。消費財、ハイテク、グリーン関連業界など幅広い業界において、中期経営計画・ビジョン策定、営業・マーケティング戦略策定、組織改革などの支援をおこなう。早稲田大学ビジネススクール客員教授、慶応義塾大学特別招聘教授を兼務。
=この項おわり

この連載は日本経済新聞火曜朝刊「キャリアアップ面」と連動しています。

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企業変革力

著者 : ジョン・P. コッター
出版 : 日経BP社
価格 : 2,160円 (税込み)

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