東京の豚肉文化 トンカツの発明・人気沸騰が背景に?
お肉問題(3)
皆さんからいただくメールを読むのが週の初めの楽しみである。感心したり、感動したり、困ったり、悩んだり、爆笑したりで1週間が始まる。最初に紹介するメールは本文が「へえ」、追伸部分が「あっはっは」。まあ、読んでみてください。
石でカマドを組み、この大鍋でサトイモと肉、ネギなどを煮込んだ汁を作ってみんなでわあわあ言いながら食べるのです。
山形県では毎年、直径6メートルの巨大な鍋で3万食の「芋煮」をつくり、ふるまうというバカバカしくも楽しげな祭りまであるのです。始まってまだ年の浅い祭りではあるのですが、当初、この鍋に入れるコンニャクを発注された業者ははりきりすぎて畳一畳もの大きさのコンニャクを作って「コンニャクはちぎるので大きくなくていいです」と大笑いされた、というエピソードまであります。
前置きが長くなりました。問題はこの「芋煮」の内容です。我がふるさと・山形ではサトイモ、ゴボウ、ネギ、コンニャク、キノコ類に牛肉の醤油味、今暮らすお隣・宮城はサトイモ、ゴボウ、ネギ、コンニャク、ダイコンなどに豚肉の味噌味なのです。野菜類にはまあ各家庭やグループ毎の差はあれど、ぱっきりと牛肉+醤油、豚肉+味噌で分かれているのです。
そしてまたややこしいのが、山形でも庄内地方に行けば豚肉+味噌に変化し、福島県でも豚肉+味噌(名称は「鍋っこ遠足」に)。なんだこれは。山形や福島ではまだいいが、東北中からさまざまな人が集まってくる仙台では、この芋煮の鍋をめぐって毎年小競り合いが勃発します。牛だ豚だ、いやそれではただのトン汁だ、ウドンにあうのは味噌だ、などなど。集団の親睦を深めるはずの芋煮会が、新たな亀裂を生んでしまうこともままあるのです。
賢い集団は最初から複数の鍋を持ちより、2種類の鍋を作っております。それでもまあ、「オラの芋煮の方がうまい」などとは言っているのですが。隣り合う県なのに、何故こんな大きな違いができてしまったのでしょうか。また、この「芋煮会」は東北だけの行事だというのは本当なのでしょうか。
「ちゃんとオカズを食えばよかろう」と言うと「白いゴハンが一番好きだけど、それ以外もできることなら米が食いたい」んだそうな。そんなヤツにとっては白いゴハン以外はすべて「おかず」、従って「オムライスとカツ丼」の組み合わせは、ヤツに言わせれば「気持ちはわからなくないが、(それはオカズ+オカズだから)バランスが悪いので認めがたい」のだそうです。中島らも氏の友人にも同様の方がいるらしく、案外多いのかも、と思った記憶があります(仙台のtakakoさん)
3万食大鍋は東京でもときどき季節の話題としてニュースで流れるので知っていました。でも、仙台の河原で鍋を前に文明の衝突がぼっ発していることまではニュースでやらないので知らなかったなあ。山形、宮城、福島でそのような違いがあったんですねえ。
いやー面白い。河原で小競り合いなんかせずに、東北芋煮サミットを開いて3県および庄内代表がテーブルをぶっ叩きながら大激論を交わした方がビジュアル的にはいいのではないでしょうか。私なら絶対取材に行きます。
それに福島の「鍋っこ遠足」ってかわいい。おじさんやおばさんが「うん、あしたは遠足だ。楽しみだなあ。晴れるといいなあ」なんてつぶやきながら、布団の中でなかなか寝付かれない姿を想像してしまいます。
芋煮会が東北だけの行事なのかどうか。うちの方でも呼び名や作るものは違うけど、こんなのやってるぞーという方は教えてください。
ご飯ものをご飯のおかずにしている「ヤツ」ですが、いっぺんチャーハンをおかずにご飯を食べ、焼きおにぎりをおかずにご飯を食っている姿を見たいものです。
というような話をしていたら弊社社員某が「うちの妹も高校生のころ家でカツ丼をおかずにご飯を食べていました。驚愕し、理由を尋ねたら『うーん』とか『えー』とかしか言いませんでした。きっと妹はなぜ私がびっくりしたかわからなかったのでしょう」と言っておりました。
大阪に何を注文しても半分サイズの焼き飯がサービスで付いてくる中華の店というのがあるそうです(いまもあると思う)。麺類を注文した場合には問題ないのですが、ご飯ものを頼むと難しいことになります。
焼き飯を頼めば正規サイズの焼き飯とともに半焼き飯がテーブルに並ぶのです。
なぜ黙って焼き飯の大盛りを出さないのかはわかっていません。
これに関連して「私の友の嫁ぎ先ではカレーとシチューが同じ食卓に上るらしいです。シチューがおつゆ代わりなんだそうです。これはあくまでその家のしきたりであって、地域差ではありません」というメールも盛岡から届いています。
天かす揚げ玉問題がほったらかしになっている。
「揚げ玉」は自家製で出し汁を吸っても「私は玉である」と強硬に主張しているヤツ=典型例・JR大阪駅環状線ホームの立ち食いそば店に常備
「天かす」は工場製品で1~5キロ入りビニール袋で販売されており、出し汁を吸うとフニャフニャになって「私はカスでございます」と根性のないヤツ=典型例・近鉄上本町駅地下立ち食いそば店に常備
と考えていますがいかがでしょうか(生駒のタヌキさん)
天ぷらを揚げたときに出てくる不ぞろいなものを「天かす」、均等な衣の玉を工業的に作ったのが揚げ玉と定義している方が多いようですが、生駒のタヌキさんの定義はユニークです。それと関西方面からは「お好み焼きには絶対天かす。揚げ玉ではおいしくならない」という内容のメールが複数届いています。
立ち食いそばと言えば東京の「天玉」が大阪にはほとんどありません。東京の「天」はかき揚げなのですが、大阪の「天」はエビ型衣揚げ子エビ入りが多いので、最初は戸惑いました。ようやくかき揚げ風平べったい揚げ物と生卵混在型のものは「スタミナ」と言うのだと知りましたが、でもやはり「天」が微妙に違います。逆に大阪の「おぼろ(とろろ昆布)」を東京で食べようと思っても、なかなか難しいのです。
不思議なもので、天かす揚げ玉問題についてのメールは圧倒的に関西方面と関西出身者からのものである。関西人以外には関心外の食べ物なのだろうか。
「関西人です」さんからのメールをよく読むと、関西ではお好み焼きやたこ焼きから味噌汁まで日常の食の風景に天かすは顔を出す。ところが東京の拙宅の食卓は揚げ玉とは無縁である。全く登場しない。
それこそお好み焼きでもやるかとなって市販のお好み焼きの粉を買うと、小さな袋に入った揚げ玉がついているので、機械的に入れる程度である。あとはお店で温冷のたぬきうどん・そば(東京的呼称)を注文したときに食べるかな、という程度なのである。
ほかの非関西人の多くもそうではないだろうか。天かすと揚げ玉は単に呼び方や作り方の問題にとどまらず、生活との密着度にも大きな地域差が存在するように思えてきた。
お肉問題でも興味深いメールが多い。日本地図を頭に描いて読んでいただきたい。
買いに行かされたときというのは、岡山時代ですね。ということは岡山は関西と同じく肉すなわち牛文化圏でしょうか。
広島は肉では非関西、天かすで親関西。関西食文化圏の境界はこの辺りか。
鹿児島では「おおきに」ですか。いや、びっくりしました。関西弁ですよ、それ。いや鹿児島弁でもありますか。それにしても鹿児島と大阪がそんなに似ているなんて全く知りませんでした。
広島辺りで地中にもぐった関西の食文化が九州の南端で温泉みたいにぼこっと噴き出たイメージです。日本は広い。
かつて西日本では農耕用に牛を多く飼育しており、老牛をすぐに食べやすい環境にあったことが牛肉文化発展のひとつの背景になったということを聞いたことがあります。一方、関東では農耕用に馬を多用しており、軍馬としての需要から馬肉文化はおもったよりも広がらず、飼育に広い土地を必要としない豚が明治時代以降、関東一円に広まったということも聞きました。しかしながら、新潟から会津に抜けるあたりは肉屋さんでも普通に馬肉を売っていて、地域性を感じて面白かったです。熊本の馬肉も有名ですね(東京都・ミルフォードさん)
おっと、先を越されてしまった。実は私の興味は二つあって、一つは牛肉文化圏、豚肉文化圏というものが言われているほど明確に存在するのかどうか、もし存在するなら境界線や飛び地はあるのかということである。
二つ目がミルフォードさんが言っておられるような歴史的背景である。
つまりいつごろ、どういう理由からそのような食の差異が生まれたのかということを知りたい。例えば味の素食の文化センターが発行している食文化誌「vesta」(2003年春号)に高田公理武庫川女子大教授が連載している「近代の食」の6回目にこんな記述がある。
「もとは洋風料理素材の牛肉を、味噌や醤油で煮て食べさせる牛鍋屋が、明治10年に東京で550軒をかぞえた。よほど人気が高かったのであろう」「明治24年には露天で五目飯を売る屋台が軒をならべ、『一椀一銭』の行灯をかかげた牛飯屋が急増した」。
当時の東京の人々が牛鍋や牛飯を好んで食べていたことがわかる。豚ではなく牛である。
日本食糧新聞社刊『昭和と日本人の胃袋』からの引用。
「(トンカツ)は昭和6、7年頃上野あたりから広まった料理であるらしい……洋食らしくなく、しかも肉が食べられるというところが一般に大いにうけて、トンカツは急速に普及した……しかし、トンカツが普及したのは、だいたい東京を中心とした東日本であって、牛肉の質が良く、豚肉がそれほどでもなかった西日本、特に関西では東京ほどの普及はみられなかったようで、関西にトンカツが行き渡ったのは、牛肉が高価なものになった第二次大戦後であるといってよいであろう」。
明治5年、明治天皇が牛肉を試食したのを機に、東京の人々は牛鍋や牛飯のかたちで牛肉を盛んに食べるようになった。東京は当初、牛肉文化圏だった。ところが昭和の初めにトンカツが発明されて爆発的な人気を得、次第に豚肉文化圏へと変わっていった――というような推論をたてるのは気が早すぎる。もっと正確なデータが必要だろう。少し調べて皆さんにご報告したい。
それと念のためだが、中国語の「肉」は小学館『中日辞典』では「単独で用いる場合は普通、ブタ肉をさす」とあるそうだ(NHKの塩田さんからのメール)。
ここでデスク謹入 どうも今回はおかしい。どことなくアカデミックな雰囲気が漂ってつけ入るすきがない。おやじギャグもないし。思わず謹んで入ってしまった。
野瀬 あっ、いたの?
ここでデスク謹言 ところで昔は牛めしのことを「かめちゃぶ」という人もいたとか。「かめ」というのは犬のことで、これは外国人が犬を呼ぶ時に「come」と言ったからだそうです。で、そのご飯が「かめちゃぶ」。ちゃぶ台のちゃぶですね。なんかでき過ぎのような気もしますが、スジ肉を煮込んでご飯にぶちまけた犬まんまのようなやつが目に浮かびます(「スジ肉というと、牛しか思い浮かばないのはなぜ?」とつぶやきながら退場)。
野瀬 新橋の駅前にかつて「かめちゃぼ」という牛飯屋がありました。具だけを大盛にする「大がけ」があって、愛用しておりました。
個人的には牛かつは肉の味がしみたコロモを食べるものと思っています(コロモの申し子さん)
違いを知りたいと書いたところ、早速メールをいただきました。牛かつというのはチープなビフカツのことのようですね。でも、家の近所の京王ストアー、西友、丸正、クイーンズ伊勢丹の4軒をのぞいてみましたが、牛肉の揚げものは売っていませんでした。
総菜専門店も3軒観察しました。でもやっぱり売っていません。西日本系の食べ物の可能性があります。
もっとも東京でも洋食屋のメニューにはありますが。
「煮抜き」って知りません。大阪に都合7年ほどいましたが初めての言葉です。ネイティブ大阪人の三林さん、「ああ書けば、こう食う」でこの問題を展開してくれませんか?
思い出しました。私も子どものころ「くじらじゃが」を食べていました。赤身でしたが。それとジャリジャリに凍ったクジラ肉の刺し身もよく食べましたね。懐かしい。
これから私もびっくりしたときは「エイヨー!!」とのけぞります。さあ、皆さんもご一緒に「エイヨー!!」。
ここで食奇行作成チーム乱入 エイエイヨー!
またまたメール大量積み残しになってしまった。来週はVOTEの速報が出る。天かす揚げ玉は比較的想像できそうだが「お肉」の方は予断を許さない。楽しみである。
ところで、皆さんのメールを読んでいると、一体どういう状況でこのコラムをご覧いただいているのかが手に取るようにわかるものがある。こんな風に。
行ってらっしゃーい。ゆっくりしてきてね。直帰?
(特別編集委員 野瀬泰申)
[本稿は2000年11月から2010年3月まで掲載した「食べ物 新日本奇行」を基にしています]
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
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