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大阪・堺に「徳川家康の墓」の謎 夏の陣で討ち死に伝説

2012/9/1

 「堺に徳川家康の墓があるのは知っていますか」。堺支局に赴任してしばらくしたころ、こんな話に耳を疑った。家康は大坂夏の陣翌年の1616年(元和2年)、駿府城(静岡市)で亡くなり、その後に日光東照宮に改葬されたはず。なぜ堺に家康の墓があるのか。謎を探った。
東照宮跡に建てられた「家康の墓」(堺市の南宗寺)

■戦災で焼けるまで東照宮があった

 1557年(弘治3年)創建の堺市にある名刹、南宗寺。一画に「東照宮 徳川家康墓」と碑銘が刻まれた立派な墓がある。「この墓が建てられている場所は戦災で焼けるまで東照宮があったところです」

 同寺を訪れる人を案内する特定非営利活動法人(NPO法人)堺観光ボランティア協会のガイド部長、川上浩さんが説明してくれた。同協会は堺の歴史を前面に出した観光振興に協力している。東照宮跡へ至る石畳の先には、17世紀中ごろに建てられたとみられる徳川家の葵(あおい)の紋が付いた唐門が残る。

塀の瓦には「葵」の紋(堺市の南宗寺)

 「南宗寺史」には「(家康が)大坂夏の陣で茶臼山の激戦に敗れ駕籠(かご)で逃げる途中、後藤又兵衛の槍(やり)に突かれた。辛くも堺まで落ち延びたが、駕籠を開けてみると既に事切れており、遺骸を南宗寺の開山堂下に隠し、後に改葬した」との伝説が紹介されている。

 

■松下幸之助氏も建立に賛同

墓の裏にある松下幸之助氏の名前(堺市の南宗寺)

 家康の墓はこの伝説に沿って1967年(昭和42年)に建てられたものだ。墓の裏側には、賛同者として松下電器産業(現パナソニック)創業者の松下幸之助氏の名前も記されている。

 幸之助氏は東京・浅草寺の雷門、大阪・四天王寺の極楽門の再建にも寄進。いずれもこの家康の墓の発起人で、幸之助氏と親交があった三木啓次郎氏の進言による。パナソニック社史室などに尋ねても幸之助氏がこの墓に言及した記録は見つからなかったが、この墓の建立にかかわったのも三木氏との深い関係があったためと思われる。

 三木氏は水戸徳川家の家老を先祖に持ち、この墓を建てた理由について「徳川家と縁故があり、心から(家康)公を礼賛する者の一人として墓碑を改めたいとの多年の宿願を果たすべく……」と碑文に残す。

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