職場で輝く女性の条件は 企業で働く女性幹部が討論
第2回関西ウーマンパワーアップ会議
司会(橋本圭子・日本経済新聞社編集局女性面編集長) 今日は関西でなじみのある企業の役員と管理職の人に来ていただきました。活躍している女性の話から働く力の磨き方のヒントを見つけてもらえたらと思います。まず働き始めた時の話をお願いします。
折井氏 1983年に入社し、希望通りマーケティング室に配属されました。当時は男女雇用機会均等法の前で、女性が一様に「女の子」と呼ばれていた時代。先々のポジションをイメージする状況ではありませんでした。
ある日、隣の課の課長から「飛行機も人間も滑走期間が長いほど高く遠く飛べる。今、一生懸命やりなさい」と声を掛けられました。そう思うとコピー取りや封筒の宛名書きでも文章の書き方、部署間の関係が頭に入りました。どんな仕事もその気になれば次へのステップになると思います。
大田氏 就職活動を始めた大学3年の時、企業への資料請求の返事が来ないのに男子学生にあると知り、男性と女性は平等ではないと気づきました。たまたま松下電工(当時)を受ける機会があり採用されました。就職氷河期のはしりで働く会社があってよかったとしか思いませんでした。
板垣氏 文学部出身でマスコミ志望でしたが、ことごとく駄目でした。軽い気持ちのOG訪問がきっかけでオムロンに入りました。当時は3年くらいで辞めるのではと思っていました。一般職で入社したのですがつまらなくなり、5年目に総合職に転換しました。
司会 勤めていてつらかったことはありましたか。
折井氏 仕事で評価されても、人事の処遇や昇格では「男性が先、女性は後」と言われました。ガラスの天井というより鉄格子の天井。グレかかって「会社が認めてくれないなら自分が納得する仕事を」と割り切りました。自分が意味を感じる仕事をしてきたことが評価されたのかもしれません。
大田氏 34~35歳の時に不安な時期がありました。少しずつ成果が上がって評価してくれる人もいたのですが、ずっと同じ仕事をしてきたので自分が成長しているのか客観視できなくなりました。上司に相談し商品企画に異動させてもらいました。今までと違うスキルが磨けるかもしれないと感じ、壁を越えました。
板垣氏 最初の大きな壁は商品企画をやって6年目、結婚4年目の頃。どうしていいか分からなくなったとき、子供を産めと神様に言われていると前向きに解釈し、出産・育児休業を取りました。せっかくだから自分にない知識をと思い、中小企業診断士の通信教育などの勉強をしました。このときの知識が後になってとても役に立っています。
司会 折井さんにキャリアの積み方のアドバイスをお願いします。
折井氏 デベロップメントの語源は覆われているものを広げていくという意味だそうです。キャリア開発は特定のポジションに向かい一様に進むのではなく、自分が持つ可能性を自分が開くこと。一人ひとり自分を信じ、それぞれ違うやり方で開けばよいと思います。
司会 育児との両立で工夫はありますか。
板垣氏 自分一人でやろうとしないことをモットーにしています。女性は「自分がやらなきゃ」と思いがちですが、産んだ後のことは他の人にもできます。私は両親に頼るし、旦那に頼りっきりです。子供にトラブルがあって悩んだときは、義理の両親に「子育ては家族みんなでやるもの」と言ってもらって肩の力が抜けました。誰かに頼りながら、うまくやっていけるのが一番かなと思います。
司会 最後に働く女性へのアドバイスやメッセージをお願いします。
折井氏 初めて管理職になった2000年に比べ、女性の仕事を取り巻く環境や価値観は変化しました。女性の活躍を推進する機運が盛り上がるだけで物事がうまくいくわけではないけど、それは働く女性が自分の力にできるはず。変化を前向きに捉え、一人ひとりが可能性を開くことで自分を磨けると思います。
大田氏 先週、中近東のイランの家庭を訪問し、女性は顔立ちが違っていてもわりと似ていると感じました。海外に住んでいる女性より男性の方が違うと気づいた時、男性だけの社会はやはり不自然だと改めて思いました。女性が活躍し、ますます日本が発展すればよいと思います。
板垣氏 自分自身の反省も込め、ちょっと一呼吸置くことを習慣づけるとよいと思います。女性は感情的になることが多く、かっとして余計な一言を言ってしまう。一呼吸おき、怒りをのみ込んで接するようにしたところ、人との付き合いが楽になりました。人から攻撃されることが減り、自分も楽になります。
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