片山さつきが明かす「女性幹部誕生に必要なこと」
去る7月29日、経団連が初めて、日本経済新聞社などと共催で「女性活用推進シンポジウム」を開催した。このシンポジウムは女性が活躍できる環境作りについて意見交換をするもので、私もパネリストとして参加させていただいた。
経団連は女性活用推進部会を新設、今回のシンポジウムはその第一歩として開かれたものだ。
冒頭で私は自分自身のエピソードを披露して笑いをとった。今をさかのぼること約30年前。就職活動中の私は経団連にも応募書類を提出していた。東大法学部で国家公務員上級試験にも受かっていて、成績は全優、しかも自宅生という条件の学生が経団連を志望することはまずなかったので、さっそく私の自宅に経団連から勧誘の電話が入った。だが、その時私は外出していたため、母が「娘は外出中」と言ったところ、先方はあわてて勧誘を撤回したという。
さつきという名前で男性と勘違いをしたようで、「男性しか採用しないことになっている」というのが勧誘撤回の理由だったと、帰宅した私は母から聞かされた。
その後私は大蔵省での23年間、そして政界に入ってからの8年間、合計31年間で、経団連とは何十回も仕事をしているが、時々このエピソードを経団連の方にお伝えしている。
経団連はつい最近まで女性活用について、積極的には動いてこなかったが、突然の方針転換は、ほかでもない、安倍晋三首相が成長戦略の柱として女性の人材活用を打ち出したからだろう。上場会社1社につき女性役員1人という、具体的な目標も掲げた上での経済界への要請である。
母集団自体が少ない女性幹部候補生
だが、言うは易し、行うは難し。男女雇用機会均等法施行から既に27年が経過しているというのに、日本の会社で出世する女性は極めて稀有な存在だ。
なぜ日本の会社で女性は出世しなかったのか。内閣府の「男女共同参画白書」によると、民間企業の管理職ポストに占める女性の割合は、係長クラスで15.3%。課長クラスになると8.1%に減り、部長クラスでは5.1%しかいない。
その理由として、半数の企業が「現時点では必要な知識や経験、判断力等を有する女性がいない」と答えている。その次に多い答えが「勤続年数が短く、管理職になるまでに退職する」「対象者はいるが、現在管理職に就くための在籍年数を満たしていない」だった。
現在管理職適齢期である40代後半から50代前半の女性は、新卒当時に幹部候補生として採用されている人がほとんどいない。
1986年に雇用機会均等法ができたとはいえ、それまでの大企業の女性に対する期待は、「女性は短大卒で補助業務として数年間勤務し、社内の事情を理解したうえで、男性社員と社内結婚をして伴侶として男性社員を支えてほしい」というものだった。
まれに高学歴の女性を採用するにしても、「採用した」というアリバイ作り程度の人数しか採っていない。たとえば1980年代後半の三菱商事では、総合職150人のうち女性はたった2人だ。まさに高学歴女性は人寄せパンダ。一流企業のあちこちでパンダ化現象が出現した。
バブル崩壊後は設備と人員の余剰を抱えた企業に新卒を積極的に採用する余裕はなくなり、就職氷河期が到来すると、女性のみならず男性の採用数も絞り込まれたので、現在30代後半から40代前半の世代は、男女を問わず総合職の人数自体が少ない。従って女性幹部候補生の母集団そのものが少ないのである。
出産・育児への無理解やロールモデルの不在が意欲を削ぐ
ただでさえ母集団が少ないのに、女性社員は一般的に昇進意欲に乏しいとされる。出産や育児とキャリアの両立が難しい、というのが、その最も代表的な理由だ。
仕事と家庭の両立は、家族のみならず職場の理解・協力を得られなければ不可能だ。子供が突然熱を出して保育園に迎えに行かねばならないという事態は頻繁に起きる。家族の協力が得られなければ、仕事を放り出して早退しなければらないという負担は女性に重くのしかかる。
そんな女性に、職場の同僚や上司が冷ややかな目を向けたり、育児休業が明けて出社してみたら補助業務に配置転換させられたりしていた、といったことがあれば、女性は仕事と育児の両立を続ける意欲を失う。目の前で先輩女性がそういった扱いを受けるのを目の辺りにすれば、最初から両立をあきらめる女性も増えるだろう。
女性管理職がいない、もしくは極端に少ないために、目標とすべきロールモデルがないことも、女性の昇進意欲を削ぐ原因になる。昇進の手本がいくらでもある男性の場合、先輩の仕事ぶりとその成果、そしてその成果に対して会社から与えられる褒美がどの程度のものなのかを知ることは簡単にできる。
加えて、先輩社員がアフターファイブの「飲み会」や休日のゴルフで伝授する情報により、男性社員は要所要所での目標設定がしやすい。
だが、そういった機会に乏しい女性の場合は、何をどうしたらキャリアを積み上げることができるのかわからない。男性と同じことをしていれば男性と同じように昇進できるわけではないことだけは本能的に知っている。
人間は達成が可能な目先の目標があると努力しやすい。だが目標が遙か彼方にあると、どう努力をしたらいいのかわからなくなる。
だが、このロールモデルがないという問題は、実はかなり容易に解決ができるように私は思う。
役所はロールモデルがかなりはっきりと決まっており、10年後にあのポストに就きたければ、1年後、3年後、5年後にどのポストでどんな仕事していなければならないかが明確に決まっている。長期的目標を実現するための短期的目標が明確なので、1フロア上の階に行くための階段一段一段がはっきり見えている。私は大蔵省で、男性用に用意されたモデルに従って階段を一歩一歩上がって行った。
民間企業では役所ほど明確に1年ごとのロールモデルがあるわけではないが、3年スパン程度ならマニュアルを作れるはずだ。実際、IBMではロールモデルのマニュアル化に成功している。要は、飲み会の場で伝授しているような話もひっくるめて、上がるべき階段一段一段が見えるようにマニュアル化することは、民間企業でも可能なはずなのだ。
カンチガイ上司が生み出す「負のスパイラル」
そして最も問題なのが、男性経営者や上司の思い込みが生む「負のスパイラル」である。男性上司が根本的に女性に対し「昇進・昇格意欲が乏しい」「難しい課題を敬遠しがち」という先入観があると、成長につながる仕事は男性部下に与え、女性部下にはチャンスを与えなくなる。しかも上司本人は女性に配慮をして与える仕事を選別した、つまりチャンスは与えたという自負すら持っている。
だが、こういった扱いを受けることで、機会に恵まれなかった女性はやる気を失ったり、辞めたりする。機会を与えてくれる職場へと転職をする女性がいたとしても、機会が与えられなっかったことが不満だから辞めるのだということを、上司に明確に伝えて辞める女性はほとんどいないだろう。辞める人は黙って辞めるものだ。
だから、男性上司は機会を与えなかったということにすら気付かないし、だから女性の意欲を削いだのだということも自覚できずじまい。そして「やっぱり女はだめだ」とさらに強く信じ込み、ますます女性に機会を与えなくなるのである。
入社直後からこういった扱いを受けた女性の中には、入社後早々に意欲を失い、結婚や出産は退職の口実でしかないのがホンネ、という人も少なくない。
自分には管理職としての能力がないと考えている女性も多い。女性は日常のあらゆる場面で、普段仲よくしている男性の先輩、同僚、後輩たちから、悪意なくさりげなく、無邪気に、そして頻繁に「やっぱりオレ、女の上司はイヤだなあ」という一言を聞かされている。
昇進さえ望まなければ、職場の仲間と摩擦なく人間関係を維持できるのに、昇進したとたん、嫌われ者になるのはゴメンだというのが、「能力がない」という言葉の裏にあるホンネだろう。
専門職志向が強いというのも女性に多い特徴だが、これも女性側の防御本能が生み出した特徴である可能性が高い。
幹部候補生はジェネラルにキャリアを積まねばならないが、企業の中であちこちの部署を経験してジェネラリストになるということは、他の会社では通用しない人材になってしまうリスクを伴う。逆に、どこの会社でも通用し、ツブシがきいて転職がしやすいのはスペシャリストだ。
終身雇用制度が崩壊した昨今は、男性でも専門職志向が強い人は出てきているが、上司から期待されない女性が、いち早く専門職志向に傾いたのは必然と言えるだろう。
従って、会社側が女性たちから信用されない限り、専門職志向は捨ててもらえないだろう。
重要なのは母集団の形成
安倍首相は上場会社1社に女性役員1人、という目標設定をされたが、これを実現させるプロセスこそが重要だと私は考えている。
大企業の場合、男性でも同期100人のうち役員にまで昇進するのはせいぜい数パーセント程度でしかない。そこへいきなり女性を割り込ませようなどと考えると、途方もないことのように思えてしまうが、1人の女性役員を誕生させるために必要な規模の母集団を作るということこそが、最も重要なのではないだろうか。
大企業であっても、そこで働く男性社員全員が役員を目指しているわけではあるまい。新人研修初日ならともかく、普通に努力をし、努力に見合った成果を上げ、その成果が正当に評価されて、結果として部長止まりというサラリーマン人生をよしとしている人が大半を占める母集団があって、その中から意欲や能力に秀でた人物が上に上がっていく。それが普通の大企業の姿だろう。女性でもごく平均的な評価の男性が上げる程度の成果を出したら、男性と同様の評価をしてやり、その結果としての昇進も同じようにしてやれば、女性幹部候補生の母集団も形成されるだろうし、その母集団の中からライバルとの競争に勝ち抜いた女性が役員に抜てきされるというのが、あるべき姿だ。
80年代後半のパンダ化現象よろしく、実績がない女性をいきなり役員に引き上げたり、女性の弁護士や会計士、学者などを1人、社外取締役に招いてアリバイ作りをしたりしたところで、本質的な解決にはならない。
女性は男性の倍の努力をし、倍の成果を上げて初めて男性の半分くらいの評価をしてもらい、さらにその半分くらいの褒美をもらえる――。負のスパイラル型の上司の下でも意欲を失わず、与えられない機会を待たずに自ら機会を作り出した女性が、男性の倍努力して男性の倍の成果を上げたとしても、おそらくろくに評価もされないし、ろくな褒美ももらえない。
負のスパイラル型の上司はそもそも女性に期待していない。自分が与えてもいない機会を引っ張ってきたこと自体に不快感を持つし、その機会で成果を上げたとしても、意地でも成果だとは認めない。
こんな先輩女性の姿を見せられたら、後輩女性は当然に意欲を失う。あれだけ頑張っても評価されないのではばかばかしい、となるのだ。
女性の人事はトップダウンで
女性が男性と同じ成果を上げても同じだけの評価を受けられない、ということはしばしば起きる。このような現場レベルの不公平を是正するため、事例集を作ってみたらどうだろうか。同じ成果を上げた男女で評価を変えたことがあるかとか、評価を変えたのであればその理由は何だったのかといったことを、現場の中間管理職にヒアリングするのである。そうすれば、同じ成果なのに男女で評価を変えた理由がわかり、非合理的な理由は研修で指導してただせば良いし、女性の側にただすべき点があるのであれば、それもまた活かすことができるだろう。
同じ成果が同じに見えないということもあるだろうから、同じ成果なのだということを理解できるよう指導すればいい。
ただ、現在のように女性幹部を生み出す母集団が存在しない段階にあっては、まずは女性の人事はトップダウンで行うべきだろう。女性の活用にトップが責任を持てば、中間管理職は登用した女性が失敗をしても、責任を問われるリスクから解放される。
私は大蔵省時代、多くの「女性初」のポストを務めさせてもらったが、そもそも私の大蔵省への採用を決めたのは官房長であり、その官房長は次官に諮り、大臣の了解までとった。
トップが女性活用の必要性を痛感していても、現場の人間にはそれぞれに個人的な利害があり、経営者と思いを一つにせよと言ってもなかなか難しい。CSR(企業の社会的責任)として女性幹部を作らねばならないという意識も経営者であれば持てるが、現場の人間の利害に反すれば、現場の人間は必要性を認めない。
前後数年以内の先輩後輩はいわば同僚だから、ライバルは1人でも少ない方がいい。ライバルを脱落させる理由は何でもかまわないのだ。
そしてライバルにはならないけれど、責任を問われるのが嫌な管理職もリスクは侵さない。現場に意見を聞けば、女性の活用は間違いなく「総論賛成各論反対」になるのだ。
従って、現場に女性活用の責任を丸投げしても何も変わらない。
大和証券で初の女性支店長を誕生させた際、トップは1人ではなく複数の女性を同時に昇格させる方法をとった。1人だけ先に昇格させると潰されるので、他の候補者が育つまで待ったというのだ。それくらいのことをしなければならないほど、トップと現場の思いは異なる。
以上のような、根本的な問題が解決されれば、保育施設の拡充がより意味を増す。
私はスーパーエリート男性が集まる大蔵省で、切磋琢磨しながら23年間を過ごした。出世欲をもってフェアに戦う出世競争はハードであり、かつエキサイティングなゲームだった。
役所であれば、国民の請託に答えられる仕事ができる幹部を、民間企業なら顧客や市場など企業を取り巻くステークホルダーに評価される取締役を輩出しなければならない。
意欲も能力のうちだが、意欲も能力も、ライバルと切磋琢磨する中で磨かれもする。初期の段階で意欲をつみ取られ、並外れた意欲の持ち主でなければ仕事を続けられないというのでは、切磋琢磨の場である母集団の形成に支障を来す。
今回、経団連が女性活用に向けて動き始めたことは大きな意味を持つと私は思う。
既に自営業の世界では女性は一定の地位を築いている。遅れているのは企業社会であり、つまりはあともう一歩のところまで来ているのだ。
情報通信技術が目覚ましい進歩を続けるいま、「働く」ということの意味もまた変わり続けている。ルーティンワークは情報通信技術に代替され、最も知的な「感性」が問われる部分が、その人の労働者としての「価値」を決めるようになっていくだろう。
日本の人口1億2000万人に対し、「働く人」は6000万人、「勤め人」は5000万人しかいない。「女性」が「感性」を問われる「働く人」や「勤め人」の母集団に入ってくれば、日本経済の競争力は必ずや上がるに違いない。
参議院議員。1959年生まれ。82年東京大学法学部卒業、大蔵省入省、主税局。84年フランス国立行政学院(ENA)留学(85年CSE修了)。89年広島国税局海田税務署長(西日本女性初)。91年国際金融局調査課課長補佐。大臣官房企画官兼銀行局総務課債権等流動化室長、大臣官房政策評価室長を経て、2004年主計局主計官(防衛担当)。2005年国際局開発機関課長。同年退官、衆議院議員初当選、経済産業大臣政務官就任。2009年第45回衆議院議員選挙落選。同年千葉商科大学会計大学院教授就任。2010年参議院議員に当選。参議院副幹事長、原発被害等PT幹事。自民党政調、影の内閣経済産業副大臣、予算委員、総務委員会理事、憲法審査会委員、東日本大震災緊急対策PT次長、二重ローン問題政策責任者、仮設住宅・ガレキ処理PT幹事。2012年12月総務大臣政務官就任。
(構成 伊藤歩)
[日経ビジネスオンライン2013年8月22日付の記事を基に再構成]
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