働き方・学び方

定年世代 奮闘記

殻を脱ぎ、ゆっくりと我が道を歩んでいこう 団塊オヤジのナメクジ探索

2013/1/26

 晩年になって多くの句を残した遅咲きの俳人、蕪村にこんな句がある。

門を出(いづ)れば我も行く人秋のくれ

ナメクジ採取中の筆者。愛犬と一緒だと怪しまれない

 蕪村が尊敬してやまない芭蕉には「この道や行く人なしに秋の暮れ」という句がある。俳諧の道を究めるため、たった1人でも突き進む、という決意を芭蕉は詠んだ。

 蕪村は、芭蕉のように漂泊の旅に出て俳諧を究めたい。でも彼には家族がいる。せめて家の門を出てみると、芭蕉のような漂泊の詩人になった気分になる。

 蕪村は「行く人」ではなく、「たたずむ人」である。

春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな

 1カ所にずっとたたずんで詠む作品を多く残している。

 我が家の飼い犬「のの」も散歩中、よくたたずむ。私がナメクジ研究を始めた14年前に飼い始めたのだから相当な高齢犬だ。歩くスピードも遅く、1カ所に3~4分もたたずむこともある。

■愛犬と路上にたたずむと不思議と考えが深まる

 飼い主の私も、1年ほど前に新聞社を退職したので、たっぷり時間がある。私も一緒にたたずむ。蕪村のような句は作れないけれど、ナメクジ観察にはこれほど都合のいいことはない。雨上がりの路上や塀をはう彼らの姿が自然に目に飛び込んでくるからだ。

ナメクジグッズの数々

 3カ月ほど前に出版した「ナメクジの言い分」(岩波科学ライブラリー)。そこに掲載した「我が家周辺の目撃情報分布図」は同志「のの」の協力なしには作れなかった。

 犬と一緒に門を出て路上にたたずんでいると、蕪村になったような気分になり、普段堂々めぐりしていた考えを深めることもできるから不思議である。

 このまま無為に過ごし、死を迎えるのだろうか。退職後、元の同僚や、級友たちの訃報に接したりすると、死というゴールを強く意識し、漠然とした焦燥を感じることがある。

 でも、しかし。眼前のナメクジはどうか。寿命が1年余りなのにもかかわらず、泰然自若と銀の筋を残しながら歩んでいるではないか。

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