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東京ふしぎ探検隊

東銀座に地下広場出現 現役最古の地下街は閉鎖へ

 

2013/4/19

 新しい歌舞伎座の開場に沸く東京・東銀座。地上だけでなく、地下空間にも変化の波が押し寄せてきた。歌舞伎座の地下には江戸情緒あふれる広場が誕生し、連日多くの人でにぎわっている。一方、歌舞伎座のすぐ近くにある現役最古の地下街は閉鎖の方向となり、映画館や理髪店などが立ち退き始めた。東銀座の地下を巡る秘めた歴史と、日本の地下街の今を探った。

■新名所「木挽町広場」、江戸情緒を演出

 地下鉄東銀座駅の改札を出る

  • 再開発が進む東銀座駅周辺。正面の建物の地下に三原橋地下街がある。右手前が高級ホテルの予定地。左手前は複合ビルの構想が進む
 新しい歌舞伎座の開場に沸く東京・東銀座。地上だけでなく、地下空間にも変化の波が押し寄せてきた。歌舞伎座の地下には江戸情緒あふれる広場が誕生し、連日多くの人でにぎわっている。一方、歌舞伎座のすぐ近くにある現役最古の地下街は閉鎖の方向となり、映画館や理髪店などが立ち退き始めた。東銀座の地下を巡る秘めた歴史と、日本の地下街の今を探った。

■新名所「木挽町広場」、江戸情緒を演出

 地下鉄東銀座駅の改札を出ると、多くの人が同じ方向へと歩いて行った。流れに身を任せて進んでいくと、角を曲がったところで異空間が出現した。

 空間全体を包み込む和のあしらい。格子模様の天井や随所に配置された赤い和傘が江戸情緒を演出する。

  • 歌舞伎座の地下2階にある「木挽町広場」。巨大なちょうちんの前では写真撮影の列が絶えない
 広場の中央には「歌舞伎座」と書かれた巨大なちょうちんがつり下がっている。聞けば高さ2.7メートル、昭和30年代まで歌舞伎座の正面に飾られていたちょうちんを再現したという。ここは新生・歌舞伎座の地下2階にある「木挽(こびき)町広場」だ。

 1500平方メートルの広場には6つの店があり、土産物や弁当、焼きたてパンなどを売っている。飲食店やタリーズコーヒー、セブンイレブンもあった。歌舞伎座に入場しなくてもグッズが買えるとあって、お昼時の広場はごった返していた。緊急時には防災拠点となり、1千人が収容できるという。

 ちなみに木挽町とは銀座の古い地名だ。この辺りは江戸時代、運河が流れていて、大きなのこぎりを使って丸太を材木にしていく「木挽き職人」が多く住んでいた。1950年代、運河の埋め立てに伴い「銀座東」と改め、1960年代に隣の「銀座西」とともに銀座となった。半世紀の時を経て歴史ある名前が地下によみがえった。

 にぎわう広場を後にして、再び東銀座駅に戻る。今度は銀座駅方面へと歩き始めた。するといきなり、奇妙な段差が現れた。そこだけ床も天井も低くなっているのだ。

 実はここ、地下街の真下にあたる。ちょうどこの上に、現役最古の地下街、三原橋地下街が位置している。

  • 新しい歌舞伎座の背後には、地上29階建ての超高層オフィスビル「歌舞伎座タワー」がそびえ立つ

  • 東銀座駅から木挽町広場へ向かう通路。次々と人が吸い込まれていった

  • 銀座と東銀座を結ぶ地下通路の途中に、天井と床が低くなっている場所がある。この上にあるのが三原橋地下街

■東京都、地下街閉鎖の方針伝える

  • 最後の上映を終え、閉館となった銀座シネパトス。最終日には大勢のファンが詰めかけた(3月31日夜)=共同
 三原橋地下街は、今なお昭和の香り漂うレトロな空間だ。長年その顔となってきたのが映画館「銀座シネパトス」。前身の「銀座地球座」時代を含め46年間、三原橋地下街で営業してきた名物映画館だ。

 3月31日、シネパトスは多くのファンが見守るなか、幕を閉じた。耐震性の問題から東京都が三原橋地下街を閉鎖する方針を伝え、年度末での閉館を決めたという。

 一部で営業を続ける飲食店があるものの、理髪店や飲食店など大半が店を閉めた。関係者に話を聞いたところ、地下街の管理会社に対し、東京都から立ち退き要請があったという。

 立ち退き条件などが合意できておらず、東京都は「まだ正式にいつ閉鎖と決まったわけではない」としている。しかし開業60年を超えた地下街は耐震性の問題があり、都の閉鎖方針は変わらないようだ。

■今も残る三原橋の橋桁

 三原橋地下街の出入り口に立つと、天井が不思議な形をしているのが分かる。アーチ状になっているのだ。かつて架かっていた三原橋の橋桁がそのまま残っている。

 東銀座周辺にはかつて三十間堀川が流れ、三原橋という橋が架かっていた。終戦後、戦災で生じたがれきの処分先として川は埋め立てられたが、なぜか橋桁だけが残った。1952年(昭和27年)に露天商を収容する目的で地下街を造った際も、橋桁を残したまま開業した。

 どこの駅ともつながっていない不思議な構造の三原橋地下街だが、実は50年ほど前に別の場所に移転し、銀座駅とつながるはずだった。どういうことか。

 「東京地下鉄道日比谷線建設史」に経緯が詳細に記されている。要約すると、次のようになる。

 1960年代に地下鉄日比谷線を建設する際、当時の帝都高速度交通営団(現・東京メトロ)は、銀座から東銀座までの間の地下を4層構造とした。三原橋地下街を地下1階とすると、その下の地下2階部分を通路とし、地下鉄は地下4階を走る。地下3階部分には広大な空間を造った。

 日比谷線開通後、地下街を管理する東京都が橋桁を撤去し、同時に地下街に入っていた店舗を新たに整備した空間に移す段取りだったようだ。

 しかし、思わぬ壁が待っていた。

  • 三原橋地下街の出入り口の天井には、アーチ状の鋼材が見える。これが三原橋の橋桁だ。かつてこの下を川が流れていた

  • レトロな雰囲気が漂う三原橋地下街。銀座シネパトスがあった場所には、多くの人がメッセージを書き込んでいた。閉店した店も目立つ

■東銀座の地下に「幻の地下街」

  • 三原橋地下街付近の地下断面図を見ると、「幻の地下街」部分がよくわかる。「東京地下鉄道日比谷線建設史」を基に作成
 地下街に詳しい都市地下空間活用研究会(東京・文京)の粕谷太郎主任研究員によると、「日比谷線開通後、地下街で起きた火災事故を受けて消防法が変わり、地下街には地上に通じる出口が必要となった」という。

 移転先を失ったことで三原橋地下街の取り壊しも宙に浮き、銀座の地下に広大な空間が残った。これが一部で噂されている「幻の地下街」だ。

 東京都によると、現在、この空間は都の倉庫として利用しているという。前出の「建設史」はこの空間について、銀座4丁目交差点まで約167メートルある、と記している。

 三原橋地下街がこのまま取り壊しとなると、「幻の地下街」が脚光を浴びそうだ。

 今回耐震性が不安視されているのは地下街部分で、老朽化した橋桁を撤去すれば問題が解決するとみられている。「幻の地下街」から地上に通じる出口ができれば、地下街として認められる可能性がある。場所は銀座の一等地。税金を投入して整備した無駄な空間が、半世紀を経てようやく日の目を見るかもしれない。

 ちなみに、三原橋地下街とその上にある建物は建築家、土浦亀城が手掛けた。20世紀を代表する米国の建築家、フランク・ロイド・ライトの弟子で、妻は吉野作造の長女だ。そんな建築家が手掛けた建物も、地下街が閉鎖となれば取り壊しは必至だ。

 再開発は地下街の裏手でも進んでいる。晴海通りの南側では14階建ての高級ホテルが計画されている。三井不動産によると、2014年秋以降の竣工予定だという。その隣にある銀座中央ビルは現在解体作業中で、所有者のシェイプアップハウス(東京・港)によると、複合ビルとして建て替える計画だとか。ひっそりとしたこのかいわいが大きく変わるかもしれない。

■現役最古は「浅草地下街」に

 三原橋地下街が今後閉鎖となると、どこが現役最古となるのか。地下や地下街に詳しい粕谷さんに聞いた。

 「『浅草地下街』が最古となります。本格的という意味では名古屋駅にある『サンロード』と言ってもいいかもしれません」

 浅草駅の地下にある浅草地下街は、通路なども含めた総面積が1350平方メートルある。三原橋地下街とほぼ同じくらいだ。これに対してサンロードは1万1350平方メートル。規模からすれば確かに本格的といえる。

 ただ、浅草地下街は三原橋と同じく昭和ムード満点の個性的な地下街だ。2011年に東京・神田駅の「須田町ストア」が閉鎖となるなど古い地下街が次々なくなるなかでは、歴史を伝える貴重な存在でもある。

  • 地下鉄銀座線から浅草地下街へと向かう通路

  • 浅草地下街は昭和ムード満点。東京都内では数少ない異空間

  • 地下鉄銀座線神田駅の地下にはかつて「須田町ストア」があった。今はただの通路になっている

■店舗面積日本一は「八重洲地下街」

 ところで、地下街の定義はわかりにくく、時に誤解を生むことがある。

 国土交通省によると地下街とは「公共の道路または駅前広場の地下にある、歩道に面して設けられた地下施設」のことを指す。広場や道路など公共用地の下にある商店街ということだ。駅ビルや民間の商業施設の地下にある店舗は、定義上は地下街ではない。民有地の地下だからだ。駅ビルの地下は「地下階」とも呼ばれる。

 こうした定義に基づくと、多くの人が地下街だと思っている「東京駅一番街」や大阪・梅田の「阪急三番街」は地下街ではない、ということになる。東京駅一番街は東海道新幹線の地下にあるため、鉄道施設。阪急三番街は阪急梅田駅の地下にあり、駅下施設だという。いずれも民有地の地下なので地下街ではない。何とも複雑だ。

 地下街はまた、東京と大阪とで誕生の経緯が異なる。大阪では交通事故や渋滞が社会問題化した1950年代に、歩行者の安全対策として生まれた。これに対し東京では駐車場の付帯施設として整備された。

 東京の主要な地下街の運営会社はかつて、社名に「駐車場」が入っていた。「八重洲地下街」は八重洲駐車場株式会社、「新宿サブナード」は新宿地下駐車場株式会社、「池袋ショッピングパーク」は池袋地下道駐車場株式会社が発足時の社名だ。

 こうしたこともあって、地下街の面積は通路や駐車場を含めた総面積として算出されている。国土交通省のデータを基に全国の地下街をランキング化すると、日本一広い地下街は大阪の「クリスタ長堀」となる。だが、各地下街が公表した店舗面積で比べると1位は八重洲地下街で、クリスタ長堀は12位にとどまった。

■地下街にも再編の波 どうなる東京の地下迷宮

 全国の地下街ではこのところ、再編の動きが相次いでいる。姫路駅では再開発に伴い長らく地下街が休業していたが、3月28日、2年ぶりに再開した。2つの地下街をつなげ、名称も「グランフェスタ」と改めた。大阪の中之島地下街も2012年秋、周辺のビルの商業ゾーンと一体化する形でリニューアルされた。

 名古屋駅にあった「ダイナード」は大名古屋ビルヂングの建て替えのため2012年秋に閉鎖。2015年10月に新たな地下街として生まれ変わる予定だ。

 東京でも現在、再開発が続いている。地上が変われば、それに呼応して地下も変わっていく。ときに「地下迷宮」とも称される東京の地下が、ますます複雑化していきそうだ。(河尻定)

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