「スマホネイティブ」に困惑中
~ママ世代公募校長奮闘記(16) 山口照美
最初は、1歳8カ月の息子の、保育園の連絡帳がきっかけだった。「いつも踏切の音を聞きつけて、手を挙げてみんなに教えてくれます。通過する電車をじぃっと見ています」。電車の絵本を与えると、何度も何度もリクエストした。
ある日、外食先で走り回りたがる息子を大人しくさせるために、スマホで踏切の動画を見せた。食い入るように「踏切を通過する電車の映像」を眺め、「おっ!おっ!」と笑顔で指さした。喜ぶ顔見たさと、「静かにしていてくれると助かる」という親の都合が、後押しをする。
共働きの夜は慌ただしい。お腹が空いて機嫌が悪い息子に、おやつを与えず何とか食事をさせたい。つい、間を持たせるために、iPadで踏切の映像を差し出してしまった。
それから、私が帰宅すると駆け寄ってくるようになった。愛情表現なんかじゃない。私は、「スマホかタブレットで電車映像を見せてくれる人」に成り下がってしまったのだ。「ご飯が先よ」「あとで少しだけね」「今はダメよ」。まだ、言葉の通じる年齢ではない。はっきりと言葉の通じる年齢ではない。根負けして見せると、満面の笑顔で電車を眺める。食事ができたので取りあげると、この世の終わりのような声で泣く。私は「僕の楽しみを邪魔する悪者」でしかない。見せなきゃよかった。最初の数回を、うらめしく思い返す。
「夕方の三十分」を救ってくれるもの
思い返せば、今6歳の娘はテレビっ子だ。2歳前後のころ、テレビを消すと泣かれたものだ。当時は自宅仕事と家事をしながら、1人で彼女を見ていた。締切りが迫ると、テレビに頼ってしまう。ツールが違うだけで、同じ過程をたどっている。
食事に集中させようとタブレットを片付けると、テーブルの上の味噌汁をなぎ払って号泣しはじめた。穏やかに対応しようと思っても、疲れている時はダメだ。思わず、手が出そうになる。ぐっとこらえる代わりに、怒鳴ってしまう。
「オカアチャンは電車じゃない!食べなさい!」
……支離滅裂だ。
こんな時、黒田三郎の『夕方の三十分』という詩が頭を巡る。母親が入院して、小さな娘と2人。夕食の準備をする父親を、娘のユリが困らせる場面だ。
「ホンヨンデェ オトーチャマ」
「コノヒモホドイテェ オトーチャマ」
「ココハサミデキッテェ オトーチャマ」
卵焼きをかえそうと
一心不乱のところへ
あわててユリが駆けこんでくる
「オシッコデルノー オトーチャマ」
だんだん僕は不機嫌になってくる
この時、テレビやスマホやゲームがあれば、「僕」はきっとユリに差し出すだろう。「オトーチャマ」は、かんしゃくを起こしたユリのお尻を叩いて泣かせてしまう。
他人事とは思えない。
小児科医が「スマホに子守をさせないで」と啓発運動を始めている。こちらとしては、「早寝早起き」をさせるために、夕方の30分~1時間は有効に使いたい。洗濯物をベランダに干している間、火を使って料理をしている間、じっとしていてほしい。頼ってしまう親の気持ちも、少しはわかってほしい。
タブレットを欲しがって泣き叫ぶ息子の気をそらすヒントは、またもや保育園の連絡ノートにあった。「シールはりが好きです。保育士の手を借りずに、集中して仕上げました!」……さっそく、手元にあるシールと紙を渡してみる。1枚貼ってみせると、息子はニコッとしてシールを手に取り、紙に貼り始めた。
「上手ね―!」「できたぁ!」と言いながら、集中したころを見計らってそーっと離れ、お風呂を洗いに行き、洗濯物の山から子どものパジャマと自分が明日着る服を発掘する。娘はお絵かきに夢中だ。
テレビじゃなくて、絵だったらいい。デジタルじゃなくて、アナログだったらいい。
そんな心理が働くが、明らかに自分をごまかしている。きっと世の小児科医や保育・教育関係者が言いたいのは「子どもの目を見て、話しかけて、関わらないとダメ」なんだろう。そして私は、「小学校の校長」として「子どもと話していますか?」と言わなければならない立場だ。
「校長先生」として発言する難しさ
来年、自分の娘が1年生になる。今の「子どもを構ってやれない」悩みが、そのまま「家庭学習をどう取り組ませるか」につながる。これを読んだ多くの人が「親として未熟な人間が校長なんて!」と思うだろう。しかし、多くの校長先生やベテラン教師が「自分の子と学校の子、どっちが大事やねん」と家族に愚痴られ、葛藤を抱えて働いてきた。進学塾にいたころ、担任クラスの保護者には毎年必ずママ教師やパパ教師がいた。「自分の子だとケンカになって教えられないんです」と、家庭学習の悩みを20代の私に訴える。
お互いに同じ子どもを見ていても、職業スイッチの入った状態と親スイッチの入った状態は違う。子どもを持たない頃の方が、ためらいなく必要な手立てを言い切れた。今は、自分ができていない負い目もあって「~してみるといいですね」と、語尾が弱くなりがちだ。
それでも、塾講師としての経験や学校現場で入る情報から、「家庭と学校の連携で子どもを伸ばす」ためにできる手は打ちたい。「ニュースを家族の話題にしよう」なんて、大きなお世話だとわかっている。だからと言って「フィリピンで何が起きたか知っていますか?」と朝礼で問いかけ、1~2割の子どもしか手を挙げないと、心配になる。「ニュースの話をしよう」と学校だよりに書いてしまう。本当は、忙しい中で宿題をチェックし、子どもとの会話を心がけている家庭から、学ばねばならないのは私の方だ。
情報は、誰が言うかで受け止め方が変わる。私を「子育て中、しかも多くを父親に任せているワーキングマザー」と見れば「あなたに言われたくない」になるだろう。「20代から塾現場での指導を重ね、教育ジャーナリストとして取材や執筆を続けてきた人間」として見れば、聞く耳を持ってもらえるかもしれない。ぶつぶつ悩んでいると、教頭先生が笑い飛ばす。
「育児中の40歳校長が前代未聞だからですよ! いいじゃないですか」
あくまでポジティブな彼に、救われる。旧来の校長先生が持つ「重み」の代わりに、フットワークの軽さで学校を活気づける。最新の教育事情を勉強し、わかりやすく伝える。私に伝統的な校長先生像を求められても、答えられない。その代わり、「子ども達の成長」で返すしかない。
■「仕事スイッチ」は、あえて切らない
夜遅く、子どもが寝静まった家に帰る日もある。私の一番の楽しみは、保育園の連絡ノートとクラス通信を読むことだ。友だちと関わり合いながら育っていく、親の知らない姿がそこにある。次に娘と会った時の、話題になる。
遠足の様子を読みながら、仕事スイッチが入る。この4月から、学校ホームページをこまめに更新するようになった。親子の会話のきっかけにしてもらう、もう一押しの工夫はないだろうか。疲れた頭が急に冴えはじめ、はっと気づく。
私は、仕事が好きだ。紛れもなく、好きだ。それは、我が子かわいさや親としての責任とは、別の場所にある。18歳で家庭教師のアルバイトを始めた時から、ずっと。
教え方の工夫で、子どもが伸びた時のうれしさ。子ども自身が決めている限界を、励ましながら一緒に突破できた時の快感。大人の予想を超えた答えに、目を開かされる瞬間。
教育現場に戻れて、私は幸せだ。
育児期と重なったことをプラスに変えなければ、敷津小の子にも我が子にも失礼だ
仕事スイッチを切るのではなく、半分入れたままで我が子と過ごしてみる。仕事中も、ときどき親スイッチを入れてみる。
大阪市では1人1台のタブレットを配布する方向で、進んでいる。実際、学習には効果的だ。今、息子から必死でタブレットを取り上げようと格闘する自分が、滑稽にも思える。中高生はスマホを握りしめてSNSやゲームにハマり、勉強時間が減っている。年齢を問わず誘惑の多いデジタルツールを、どう使いこなすべきか。
新しいツールとの付き合い方は、すぐに答えを出せない。テレビと違って区切りがつきにくいことも原因だ。セットした時間になれば、電源が落ちる幼児用アプリはできないだろうか。時間が来たら、容赦なくロック画面になる方法はある。それでは、理屈のわからない子どもはなかなか納得しない。
「いっぱい遊んだね!」と言葉でふりかえると、子どもは満足感をもって区切りをつけられる。終了時間になるとキャラクターが画面に出てきて、語りかけてくれる。「○○ちゃん、今日はいっぱい遊んだね、楽しかった?また今度会おうね、バイバイ!」と言ってくれる。プリキュアのように、ダンスで終わるのもいい。本気で、もし「今日はおしまいアプリ」作った人がいたら、ぜひ教えてほしい。
「幼児には与えない」という解決策を出さない私を、批判する教育関係者もいるだろう。確かに、1歳児には早かったと反省しているし、できるだけ遠ざける努力はしている。でも、彼らはスマホネイティブとして、これからの時代を生きていく。私が小学生の時、ゲームウォッチが流行った。次に、ファミコンが流行った。47歳の夫は、完全なるテレビっ子だ。いつの時代も、子どもを誘惑するアイテムは登場する。だったら、前向きな付き合い方を考えなければならない。
先ほど紹介した詩、『夕方の三十分』の父子には、食卓で向かい合う「しずかで美しい時間」が訪れる。
おやじは素直にやさしくなる
小さなユリも素直にやさしくなる
食卓に向かい合ってふたりすわる
我が家ではなかなか一緒に食事が取れない。「夕方の三十分」の代わりに「夜の三十分」をできるだけ取るようにしている。夫は息子に、私は娘に絵本の読み聞かせをする。寝る前の儀式があると、子どもは寝つきやすい。「2冊読んで!」と言われ、いいよと答えたくせに、2冊目の『カラスのおかしやさん』でどこを読んでいるかわからなくなる。
娘が私のメガネを外して「オカアチャン、もういいよ」と言ってくれる。子どもってすごいな、勝手に成長している。疲れていて、本当にごめん。隣には、『わくわく でんしゃしゅっぱつ』の途中でいびきをかき出した夫と、トロトロと眠りに落ちていく息子がいる。
――それぞれの家庭に、それぞれの形で「しずかで美しい時間」があればいい。
その穏やかな時間すら持てない家庭も、日本中にある。公立小学校の役割は、確実に大きくなっている。教室で流れる「しずかで美しい時間」のために。校長としてやるべき仕事は、まだまだある。
同志社大学卒業後、大手進学塾に就職。3年間の校長経験を経て起業、広報代行やセミナー講師、教育関係を中心に執筆を続ける。大阪市の任期付校長公募に合格、2013年4月より大阪市立敷津小学校の校長に着任。著書に『企画のネタ帳』(阪急コミュニケーションズ)『売れる!コピー力養成講座』(筑摩書房)など。ブログ「民間人校長@教育最前線レポート」(http://edurepo.blog.fc2.com/)も執筆中
(構成 日経DUAL編集部)
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