ライフコラム

けいざい半世紀

クールジャパンの先駆者 キングギドラが見たニッポン

2014/3/13

 最初の東京五輪が開催された1964年は今の日本の原型を形作る交通インフラや新サービス、新商品が産声を上げました。東海道新幹線が開業、首都高速道路の整備が進んだのもこの年です。新コラム「1964年~ ニッポンの大いなる助走」は50年前のあのころをスタートラインとして次の50年、日本が駆けていく先を読み解きます。

キングギドラ(左)と戦うゴジラたち(「三大怪獣 地球最大の決戦」(C)東宝)

 3つの首に巨大な翼を持ち身長は100メートル、黄金色のうろこで覆われ金属的な鳴き声を叫びながら稲妻状の引力光線を放つ――。宇宙怪獣キングギドラは、映画史上全く新しいタイプの怪獣だった。スケールも大きく、撮影時の操作には20人以上を必要としたとされる。1964年の登場以来、ゴジラに対する最大のライバルとして映画館でのアンケート調査では子供たちの人気ナンバーワンだったという。キングギドラやゴジラなどの怪獣映画は海外展開できる貴重なソフトで、今日のクールジャパンの先駆けでもあった。

大衆消費社会を代表する宇宙怪獣

 「とにかく強い怪獣だった」――。最新作(「少女は異世界で戦った」 今夏公開予定)を撮り終えたばかりの金子修介監督(58)は初めてキングギドラを知った時のことを今も覚えているという。それは切り絵作家の母親、静枝さんが教えてくれた「今度いっぱい怪獣が出るらしいわよ」という東宝映画「三大怪獣 地球最大の決戦」の新聞広告だった。「ゴジラ、モスラ、ラドンが宇宙怪獣キングギドラと戦う――。子供心に興奮した」(金子監督)。

小学生時代に怪獣映画に親しんだ金子監督は後にゴジラ、モスラ、キングギドラなどの特撮映画を撮ることになった

 金子少年が住んでいたのは東京の山の手。「両親が共産党員で貧しかったけれども、渋谷の映画館で『ゴジラ』を家族で見て食事する余裕はあった。街がグングン奇麗になっていった」(金子監督)。高度経済成長とともに大衆消費の拡大が、日本の社会を変えつつあった。映画会社も一般に見せる作品から幼年少者も一緒に劇場に向かわせるファミリー向けの映画作りに動いた。怪獣そのものがスター性を帯びるようになり、その先頭ランナーがキングギドラだった。

 小学生時代に同学年だった劇作家・野田秀樹氏と怪獣劇も創作していた金子監督は、約37年後に「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」を手掛けることになった。当初の予定はゴジラと戦うのは別の怪獣のアンギラス、バランだったという。

 ところが途中から東宝の経営サイドから「キングギドラとモスラを入れなはれ」と申し入れがあったという。進めていた構想に横やりが入った形。降板の瀬戸際でもあったが、金子監督は受け入れて結果的に大ヒットを記録した。キングギドラは依然として子供に人気が高く、付き添いのお母さんら女性の支持を得ていたのがモスラだった。

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