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浅草「電気ブラン」なぜ電気 歴史映すハイカラな酒

2014/1/4

 小さなグラスを満たす鮮やかな琥珀(こはく)色の液体。口に含むと、ふわっとした甘みが、かすかな刺激をともなって広がる――。東京の代表的な下町、台東区浅草の「神谷バー」でリキュール「電気ブラン」が誕生して120年になる。明治・大正・昭和・平成と時代は移っても、ずっと庶民の喜怒哀楽とともに愛され続けてきた。

浅草のど真ん中にある神谷バーのビルは1921年完成。右のビルは東武浅草駅が入る松屋浅草店

60年来の常連も

 神谷バーの住所は浅草1丁目1番1号。観光客でにぎわう雷門と東武鉄道浅草駅の間の、まさに浅草のど真ん中にある。現在の神谷バーのビルは1921年(大正10年)の完成で、国の登録有形文化財になっている。

 神谷バーを運営する神谷商事(東京・台東)の5代目社長、神谷直弥さん(49)によると、店の雰囲気は曜日や時間帯によって大きく変わる。週末は浅草見物の観光客で150席が満杯になることが多いが、平日の午後は常連客が多く訪れ、明るいうちから酒を酌み交わす「下町の社交場」と化す。電気ブランが100年以上も飲み継がれていることについて、神谷さんは「飲むと懐かしい味がするからではないでしょうか」と話す。

 平日の昼下がりに神谷バーを訪ねた記者が出会った横山政雄さん(88)は60年前から通い続けている筋金入りの常連客だ。隣の墨田区でメッキ工場を経営していたが、現在は経営を息子に任せ、毎日午後2時ごろから2~3時間ほど神谷バーで過ごす。息子に車で店まで送ってもらい、タクシーで帰る毎日だ。「いろんな人と出会えて楽しいから、毎日来るんです」と横山さんは話す。

常連の横山政雄さんは午後の2、3時間を神谷バーで過ごすのが日課だ

 記者が訪ねた日は、同じく常連で墨田区で会社を経営する山本一夫さん(70)と、会社を休んで久しぶりに来店した製薬会社勤務の小川芳毅さん(52)が横山さんの話し相手だった。常連客は見たところ70歳以上の人が多い。山本さんは「かつて日本の高度成長を支えた人たちが子どもも孫も手を離れ、ここに集まってくる」と話す。

配合は「秘中の秘」

 電気ブランはブランデーをベースに、ワインやジン、ベルモットなどをブレンドしたリキュールだ。その配合割合は今も秘中の秘だという。1880年(明治13年)、浅草に「みかはや銘酒店」を開業して酒の一杯売りを始めた初代の神谷伝兵衛(1856~1922年)が1893年ころに発売した。「電気」は当時、文明開化の象徴で、舶来の目新しいものを「電気○○」と呼ぶ風潮があり、電気ブランという商品名になったという。みかはや銘酒店は1912年(明治45年)に西洋風に改装し、屋号を神谷バーに改称。電気ブランは看板メニューになった。

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