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「心が折れる」、起源は女子プロレスの伝説の試合

 

2013/7/17

 落ち込んだり、気持ちがくじけたりした際の精神状態を表す「心が折れる」。単なる若者言葉にとどまらず、「苦難や逆境などで、その人を支えていたよりどころがあっという間になくなってしまう」として収録する国語辞典(大辞林第3版=三省堂、2006年)も発行されるなど、今や一種の慣用句のごとく定着している。1990年代から使われ始め、2010年ごろに一気に普及したこの表現。ルーツは26年前のちょうど今ごろ行われた「女子プロレス伝説の試合」にあった。(一部敬称略)

ルーツは神取忍vsジャッキー佐藤

プロレスラー・神取忍の言葉が「心が折れる」のルーツとなった

 「対戦相手の心を折ってやりたかった」――。87年7月18日、神奈川・大和車体工業体育館でのジャパン女子プロレス(消滅)の興行。神取しのぶ(当時22、現・神取忍)対ジャッキー佐藤(当時29、99年死去)の一戦だ。後に男性レスラー顔負けの圧倒的な強さで「ミスター女子プロレス」との異名を取ることになる神取。柔道で残した世界選手権3位、全日本選抜体重別選手権3連覇などの実績にたがわぬ活躍で、早くも頭角を現していた。

 一方、マキ上田と組んだ「ビューティ・ペア」で70年代後半に一世を風靡し、歌手としても「かけめぐる青春」で大ヒットを飛ばしたジャッキー。人気・実力とも押しも押されもせぬ看板レスラーであり、経営幹部でもあった。

 この試合が今も語り草となっている理由は、あまりにも凄惨なケンカマッチとなったためだ。経営難だった団体の運営を巡る対立。直前の興行では神取の負傷箇所を、ジャッキーが悪意をもって攻撃した、と受け取られる出来事もあった。こうした伏線からも、遺恨試合は目に見えていた。生涯唯一となるギブアップ負けを喫したのはジャッキー。プロレス週刊誌には、パンチを受け顔面が腫れ上がって変形した見るも無残な写真が掲載され、「ジャッキーを戦慄KO!」の見出しも躍った。

活字の用例では「プロレス少女伝説」が最古

「プロレス少女伝説」と、神取vsジャッキー戦を報じた「週刊ゴング」1987年8月7日号

 後日、この試合について神取に取材し、「心が折れる」という言葉を引き出したのがノンフィクション作家の井田真木子氏(01年死去)。91年に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した「プロレス少女伝説」(かのう書房、90年)での神取の発言が、活字の形で残る最も古い用例だとみられている。

 「あの試合のとき、考えていたことは勝つことじゃないもん。相手の心を折ることだったもん。骨でも、肉でもない、心を折ることを考えてた」。以下、「苦痛と、見る自由を奪われることと、息ができない恐怖と、この三つがそろって、初めて、心が折れるのよ」など繰り返し8回も使われている。

 当時の状況について、現役のプロレスラーを続けている神取氏に記者が取材したところ「(ジャッキーとの確執など)様々な思いが交錯していく中で思いついた言葉」だったと振り返り、「骨を折る」から連想したとも明かした。この試合は「腕がらみ」という柔道由来の関節技でギブアップを奪っている。腕の骨は「折ろうと思えば折れた」が、そうしなかった。「プロである以上、(選手生命に関わるような)致命的なけがを負わせることはできない」。因縁の対決の終わらせ方として、骨を折る代わりに精神的な部分でダメージや恐怖心を与える「心を折る」という方法を選んだのだ。

 神取氏は一流の柔道家として世界レベルの選手との激闘も経験。体調面だけでなく、モチベーションなど精神面も勝負を左右することを身をもって学んでいた。自身の発言が二十数年を経て広く使われるようになったことについては「当時は今ほどストレス社会ではなく、『心が折れる』という表現もキャッチーでなかった。でも現代は『心の大切さ』が説かれる時代。『心が折れる』という表現もピンとくるのでは」と分析してみせた。

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