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今年7月、7年余り勤めたマイクロソフト日本法人社長の座を後進に譲り、同社会長に就任した樋口泰行氏(57)。それ以前の経歴も、日本ヒューレット・パッカード社長やダイエー社長を歴任するなど、輝かしい。だが意外にも、20代のころは、大人しく内気なエンジニアだった。そんな樋口青年を、日本を代表するビジネスパーソンへと変えたのは、米ハーバード大学へのMBA留学だった。

>> 樋口泰行氏(下) 実り多き2年間 知らず知らずに吸収した意思決定力

大阪大学工学部を卒業し、松下電器産業(現パナソニック)に就職した。

 父親は理科系の大学の先生、まわりの親戚もみんな理科系だったので、大学で理系に進むのはごく自然の流れでした。大学は、関西から出たくなかったので阪大。電子工学を専攻したのは、工学部の中で一番難しかったら。すべてその程度の理由で、大学でこれをやりたい、卒業したらこんな仕事をしたいという確固たるものは、何もありませんでした。学者タイプでもなかったので、大学院には行かず、就職の道を選びました。

松下で働き始めてからも、相変わらずキャリアの青写真なんてものは持ち合わせていませんでした。ただ、あまのじゃくというか、大学の時はまったく勉強しなかったのに、社会人になってから、急に勉強熱心になりました。

当時は設計の仕事をしていたので、回路やトランジスタの勉強を夢中になってやりました。ちょうどデジタルロジックやマイクロコンピューターが登場したころだったので、そうした勉強も独学でしました。

勉強したことが翌日の仕事に即、役立ったことが、とても面白かったのだと思います。周りから「すごいね」と褒められるので、ますます勉強に熱が入り、気が付いたら、5年間で6つも特許を取っていました。

それでも知的好奇心は満たされず、英語の勉強も始めました。最初は会社の英語研修に参加していましたが、一番レベルの高いクラスまで行ってそれ以上行くところがなくなったので、自費で語学学校に通い始め、英検一級をとりました。他にも、仕事とは直接関係ないのに、コンピューターソフトウェアを勉強して情報処理技術者の資格を取るなど、まさに知的好奇心の塊でした。

新しい職場での米国人エンジニアとの交流が、MBA留学につながった。

 数年後、IBMの製品を受託製造する工場に異動になりました。新しい職場では、米IBMのエンジニアと一緒に働く機会が定期的にあったのですが、彼らの仕事のスタイルを見て、「格好いいなあ」と思いました。

例えば、プロジェクトマネジメントの会議では、ホワイトボードにアクションアイテムを書き出して説明し、やるべきことをパッパと決めていく。なにせ、会社のふだんの会議といったら、終わっても何が決まったのかさっぱりわからないというような会議でしたから、IBMの会議の進め方はとても新鮮に映りました。

そんなIBMの米国人エンジニアを見ているうち、米国で勉強したい、技術ももっと身につけたいと思うようになりました。

そのころから毎年、会社に留学希望を出し始めました。といっても、念頭にあったのは技術留学。ビジネススクールなんて、存在すらほとんど知りませんでした。ところが、当時の松下では珍しく海外通の直属の上司から、「せっかく米国の大学院で最先端の技術を学んでも、戻ってきてまた工場勤務になったら、学んだことが無駄になる。それよりは、そろそろ管理職になる年齢だから、マネジメントを勉強したほうがいい」と助言されました。

その言葉でMBA留学を決意。13校に願書を出し、ハーバードとマサチューセッツ工科大(MIT)を含む11校から合格通知をもらいました。当初は、理系なら誰もが憧れるMITに行くつもりでした。ところが、妻の「あなた、ハーバードに受かったら、当然ハーバードでしょ」との一言で、ハーバード・ビジネススクール行きが決まりました。

ハーバードは授業が厳しいことで有名です。各教科、相対評価で下位10%は、落第を意味する「F」の評価が付き、それがいくつか重なると、退学になります。日本人留学生の何人かも、毎年、その中に入ります。最初、ハーバードでなくMITを選んだのはそれも理由でした。行く前から、嫌な予感がしました。

予感は的中した。

入ったら、想像通りでした。一番苦労したのは、やはり、授業でいかに発言するかです。ハーバードは授業中の発言が成績を大きく左右します。発言さえすれば、よほどとんでもないことを言わない限り、一定の評価が付きます。ところが、日本人にとってはそれが大変。ハーバードに来るような米国人はアグレッシブな人が多いので、進んで手を挙げる人が多い。それに対し、日本人は、英語がわからないので、どうしても手を挙げるのを躊躇してしまいます。

加えて、日本は、人前でペラペラしゃべることを良しとしない文化です。私も、「男は人前でペラペラしゃべるものではない」と育てられました。一方、米国人は、幼稚園のころから人前で話す訓練を受けます。入学以来、この言葉と文化の二重のハンディに苦しみました。

そうは言っても、落第するわけにもいかないので、必死になって対策を立てました。例えば、前日のうちに、翌日、授業で当てられた時に話すネタを2つか3つ用意し、話す内容を英作文までして授業に臨みました。1つだけだと、それが議論の流れに沿ったものかどうかわからないし、他の人がすでに発言してしまっているかもしれません。複数用意すれれば、そうしたリスクは減らせます。余計な労力ですが、背に腹は代えられませんでした。

精神的にも大変でした。毎日、教室に入る前に、両ほほを思い切り叩いて「お前、頑張れ」って気合いを入れていました。そこまでしてMBAを取るモチベーションは何だったのかと聞かれれば、それは、無事卒業して帰らなかったら会社に示しがつかないという、それだけです。

授業では、1回当たったら、2回、3回と当たることはまずないので、1回発言した後は、授業そっちのけで、次の授業の準備に取り掛かっていました。とにかく、必死だったので、何かを勉強しようとか、何かを身につけようとか、そういったことを考える余裕はまったくありませんでした。

>> 樋口泰行氏(下) 実り多き2年間 知らず知らずに吸収した意思決定力

インタビュー/構成 猪瀬聖(フリージャーナリスト)

[日経Bizアカデミー2015年11月2日付]

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