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直木賞作家の朝井リョウさんがパナソニック創業者、松下幸之助さんの「私の履歴書」を読み解く最終回。1989年(平成元年)5月に生まれた気鋭の若手作家は自らが生まれるほぼ1カ月前にこの世を去った「経営の神様」の言葉に何を見出すのか。日本経済新聞朝刊に1956年と76年、2回にわたり連載された戦後を代表する企業家の自叙伝が現代を逆照射する。

パナソニック創業者の松下幸之助氏

パナソニック創業者の松下幸之助氏

【松下幸之助 まつした・こうのすけ】1894年生まれ、和歌山県出身。小学校を4年で中退、自転車店などに奉公。22歳で独立、松下電器製作所(現パナソニック)を開設。明治、大正、昭和、平成を生きた。1989年、94歳で死去。

【朝井リョウ あさい・りょう】1989年生まれ、岐阜県出身。早稲田大学文化構想学部在学中の2009年に「桐島、部活やめるってよ」(集英社)で小説すばる新人賞を受賞。13年には「何者」(新潮社)で平成生まれとして初めて直木三十五賞を受賞。3年間の会社勤めの後、専業作家に。4月に新作「ままならないから私とあなた」を発売。

社会のモスキート音を拾いたい

――私の履歴書から
開業した大正7年から14年もたってから新しい創業記念日を設けるとは不思議に思われるかもしれないが、私が使命を知ったときとしてこの日を選んだのだ。そしてこの使命達成を250年目と決め、25年を一節、十節で完成することにした。つまりわれわれの活動は第一節でこの基礎を固めることだ。
(松下幸之助「私の履歴書」第15回)

僕が小説家になりたかったのは、子供の頃から書くのが好きで、自由帳に姉のまねをしてお話を書いていたのが大きいですね。姉は飽きてしまったのですが、僕は飽きずに続けていました。当時は、習い事も3つ離れた姉のまねをして始めていたので、その影響の中の一つですね。

僕たちは今をどう生きるかを必死に考えてしまいますが、松下さんは自分が死んだ後の道も当然のようにつくっていることに驚きました。僕自身は、今の自分の役目は「今現在」を書くことだと思っています。その時代の空気感を表す資料みたいな感じで。そういうことができるのは、世代が限られてくると思うので、今はそういう役割をじっと果たすべきなのかなと思っています。

上の世代になればなるほど、家族や人生というような普遍的なものに話が向いていきます。上の世代の人が出す結論の途中の雑音、モスキート音のような、若い人にしか聞こえない雑音、これを文字にしていきたい。例えば、本当に大事なのは愛ですか?という問いかけ。普遍的と思われるものに疑問を呈することができるのは、若いうちだけだと思っています。結局愛とか皆言っているけど、それって本当?ってチクチクやるのは体力がいることなんですよ。それができるうちは、たくさん書いておいたほうがいいな、という気はしています。

私が今現在の社会に対して考えていることを経済紙で語っても、高校生とかは読んでくれないだろうし、興味がある人しか読んでくれない。でも、小説という形でくるむと、「なんか面白そう」って思ってもらえる。伝えたいメッセージを、ストーリーで甘くコーティングすることができるんです。そういう意味で。小説はすごくいいメディアなんです。

「テレビは見ない。動画が途中から始まるから」

田中康夫さんの「なんとなく、クリスタル」のような感じで、青春小説と呼ばれるものが、時代の変化を象徴する何かになっている気がします。例えば、「桐島、部活やめるってよ」ではスクールカーストという言葉に注目が集まりましたが、教室に何となくのカーストがあるというのは僕たち世代にとっては当然の事実なんです。綿矢りささんの「インストール」も、綿矢さん自身、女子高生がネットで性的なことをするという行為が「新しい!」と思って書いてはいないと思うんですよ。でも、「新しい! 新言語だ!」という形で世間には受け入れられていて。青春小説の中に新しい言語が埋もれていることは多いですよね。

最近、「テレビを見ないのはなぜか」と尋ねられた10代の子が「動画が途中から始まるからです」と答えていました。その受け答えって、僕の頭では一生思いつかない。人生で初めて見た動画が、たとえばユーチューブとか、そういう自分で再生ボタンを押すものだった、という人にしか生めない言葉ですよね。初めに触れるもので、言語ってこんなに変わるんだなって思います。

こうした言葉が平気で出てくるような小説が、5年以内に10代の書き手によって出てくると思います。いまに17歳とかの子が、今度は僕らが分からない言語で、新しい青春小説を書いてくれると思います。そうなったら、そのフィールドにはいかず、「じゃあ君、モスキート音の役は任せた」みたいな感じで、時代の空気を言葉で紡ぐ仕事はその子が背負ってくれるはず。こんなふうに巡っていく気がしますね。今度は、僕は新言語に驚く側に回るんだなと、ひしひしと感じていて。そうなったときに、その子たちを「こんなの文学じゃない!」みたいに排除するような大人になるのはやめようって思います。

松下さんは、経営のすごい人!と聞くと堅そうな人というイメージがあるのですが、自分を変えていくことをいとわないというか、どの場面をよんでも、ずっと若い人の話を読んでいるように感じます。とにかく「新しいものを受け入れる」ということに対する寛容さがすばらしく、見習うべきところだなと思いました。

商いの信念は「この世の貧しさの克服」

――私の履歴書から
 その(経営の)理念が、単なる利害、単なる拡張というだけではいけない。それらのことが、いわば何が正しいかという人生観に立ち、かつ社会観、国家観、世界観さらには自然の摂理というところから芽生えてこなければならない。
(松下幸之助「私の履歴書」第17回)

履歴書の中で松下さんは、商売の信念として「この世の貧しさを克服すること」と語っています。さらに「自然の摂理というところから芽生えてこなければならない」というところは、考えさせられました。「社会が本当に欲しているものを供給することが大切だ」という意味だと僕は受け止めました。今社会を見ても、不便なことがとにかくない。家電でも新しい機能はたくさんあって、例えば、買い物中でも冷蔵庫の中身がわかるとか。それは便利かもしれないけど、社会が本当に欲していることかどうかと考えると、疑問がわいてきます。

人間が生きていく上で必要な技術は、すでに出尽くしていると思います。逆に今足りないのは、「高齢者を支える若い世代」とか、「保育士」とか、技術ではなく人間そのものの場合が多いですよね。技術だけではない埋められない欠落を企業の人が埋めるにはどうしたらよいのかということを考えながら読みました。松下さんのような考えを持っている人が、今の社会にもいたら心強かったと思います。

小説も似たようなところがあると思います。書いているときに、「完全な作り物」を作る意味はどれだけあるのかを考えてしまうわけです。それよりも、「今現在」のなかで、言葉にできないことやなかなか言えないことを物語に入れて、物語というものに包んで、差し出す。そこが小説の意味なのではないかと思ってしまいます。

語るべきことがたくさんある中で、関係のないフィクションの話を書くことに何の意味があるのかと。直木賞を受賞した「何者」も、社会の中で欠落しているものを、どうにか小説という形の中で埋められないかという気持ちがありました。

「自然の摂理」を見つけられる強い人

一方で子どものころは100%のファンタジーも読んでいたし、その時間は無駄ではありませんでした。その辺のバランスは、書き手としても最近考える所なんです。社会情勢を反映すべきなのか、もっと作り物の起承転結が面白いストーリーを書くべきなのか。そこはここ1、2年くらいよく考えているところです。それが、「自然の摂理」という言葉に言い当てられた感じはあります。この「自然の摂理」を見つけられる人は強いですよね。

「揺らぎ」が常に自分の中にあって、社会のことを書こうとすると肝心の物語の部分が自分の中でおろそかになります。物語をすごく重視するとメッセージの部分が死んでしまいます。そのバランスはどうなのかなと考えた結果、「世にも奇妙な君物語」という作品につながりました。物語という舞台をかりたから、すごい風刺のきいた話でも許してもらえる気がして。新作「ままならないから私とあなた」は、新技術や効率主義を題材にしました。それこそここでお話しした、便利になりすぎていくことについて思ったことを反映させて書いています。

(聞き手は雨宮百子)

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