死んだわが子が生き返った 蘇生医療の最前線
死は「瞬間ではなく、プロセスである」。救急医のサム・パーニアは、著書の中でそう述べている。脳卒中では脳の一部に問題が生じるが、死はいわば、全身に波及する卒中発作のようなものだ。心臓が止まっても、すべての臓器がすぐに死ぬわけではなく、心停止後も臓器はしばらくもちこたえられる。つまり「死後かなりの時間、死は逆転できる」というのだ。
死神から命を奪い返そうとする医師たちの奮闘は、現在すでにさまざまな形で希望をもたらしている。2015年4月4日の正午近く、米国ネブラスカ州のメソジスト・ウィメンズ病院では帝王切開で一人の男児が誕生した。名前はアンヘル・ペレス。体重は1300グラムと小さいが、脳死状態になった母親の体の機能を医師たちが54日間維持したおかげで、それ以外はまったく正常な新生児だった。この子が元気に産声を上げたことは奇跡と言っていい。そう、祖父母が祈り続けた奇跡が、アンヘルの誕生という形で起きたのだ。
死の淵からの生還
米国ペンシルベニア州の田舎に暮らすマーティン家の末っ子ガーデルは、凍てつく川に転落し、一度は死の世界へと旅立った。2015年3月、まだよちよち歩きのガーデルは二人の兄と一緒に遊びに出て、家から100メートルほどのところで小川に落ちたのだ。
弟の姿が見えないことに気づき、兄たちは慌てふためいた。近所の人がガーデルを川から助け出し、救急隊が駆けつけたときには、心停止から少なくとも35分が経過していた。救助から数分後には救急隊が胸骨圧迫を開始したが、ガーデルの心臓は止まったままだった。一番近い地域病院への搬送中も心肺蘇生法(CPR)は続けられた。体温は25℃まで下がっていた。そこからヘリコプターで30キロ先のガイシンガー医療センターに運ばれたが、小さな心臓は依然として動かなかった。
「生きている兆候は皆無でした。見た感じではもう……肌は黒ずみ、唇は真っ青でした」。ヘリコプターを待ち受けていた小児救急チームの医師、リチャード・ランバートは振り返る。小児麻酔の責任者であるランバートは、凍った川や湖で溺れた子どもが蘇生するケースがあるのは知っていた。だが、これほど長く心停止が続いた患者の回復例は聞いたことがない。さらには血液のpH(水素イオン濃度)値が大幅に下がり、臓器不全が懸念された。
救急治療室の研修医が、ランバートと同僚のフランク・マフェイの方を見た。もうそろそろCPRを切り上げる頃合いだろうか。だがランバートも、同センターの小児病院で小児救急部門を率いるマフェイも、まだ続けたいと考えていた。回復が望める条件がそろっていたからだ。冷たい水への転落事故で、ガーデルはまだ2歳未満と幼い。CPRは救助後すぐに始められ、中断することなく続いていた。二人はスタッフに指示した。もうちょっと続けてみよう。
それから10分が過ぎ、さらに20分、25分が経過した。この時点で、心肺停止から1時間半以上が過ぎていた。「ぐったりと横たわる冷たい体に、生命の気配はなかった」とランバートは振り返る。それでもチームはCPRを続行した。2分ごとに交代で胸骨圧迫を正確に続け、大腿静脈とけい静脈、胃と膀胱(ぼうこう)にはカテーテルを挿入して、温めた液体で体温を徐々に上げようと努めたが、効果は見られなかった。
ランバートとマフェイは蘇生を断念する前に、人工心肺装置につなぐ手術を試みることにした。体温を回復させる、いわば最後の手段に望みを託すことにしたのだ。手術の用意をすっかり済ませ、最後にもう一度脈拍を確認した。
信じがたいことに、心拍が再開していた。初めはかすかだったが、安定した拍動で、心停止が長引いた後に表れがちな異常は見られなかった。それから4日後、ガーデルは家族とともに病院を後にした。足元がちょっとふらついていたが、それを除けば健康そのものだった。
(文=ロビン・マランツ・ヘニグ、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2016年4月号の記事を再構成]
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