驚くべき暗さ! ブニアティシヴィリの「展覧会の絵」
つや消しの美学、バッティストーニ盤と共有
若い女性ピアニストの演奏だから、さぞ華やかな「絵」だろう……。1987年、ジョージア(グルジア)の首都トビリシに生まれ、エキゾチックな美貌でも評判のカティア・ブニアティシヴィリが弾く「展覧会の絵」にそんな先入観で接すると、「ひじ鉄」を食らう。どこまでも暗く、作曲者モデスト・ムソルグスキー(1839~81年)の心中の闇をあぶり出すかのように奏でられるからだ。
かつてはピアノ演奏技巧の「展覧会」として扱われ、モーリス・ラヴェル(1875~1937年)の管弦楽編曲でより華やかな装いをまとった名曲から、ブニアティシヴィリは虚飾の一切をはぎとった。
CDのアルバムタイトルは「カレイドスコープ」(ソニークラシカル)。万華鏡を意味する英語だが、ともに収められたラヴェルの「ラ・ヴァルス」、ストラヴィンスキーの「『ペトルーシュカ』からの3楽章」と一体になって映し出すのは、19世紀から20世紀へと替わる前後の約50年間に生きた芸術家たちの様々な葛藤の軌跡だ。
1874年冬のロシア・サンクトペテルブルク。ムソルグスキーは前年8月に動脈瘤(りゅう)で早世した親友の画家・建築家、ヴィクトル・ハルトマン(またはガルトマン=1834~73年)の遺作展を見るため、画家の母校であるペテルブルク美術アカデミーにいた。
ハルトマン作品から得た霊感がよほど強かったのか、ピアノ独奏のための組曲「展覧会の絵」は遅筆の作曲家には異例の早さで書き上げられ、同年の夏に完成した。「ハルトマンの10点の絵を作曲家が見て回る」との設定で、会場を移動する姿が、楽曲冒頭から何度か曲想を変えて現れる「プロムナード」の旋律に描かれた。あくまで「私的」作曲として、ムソルグスキーの生前は演奏も出版もされなかった。
解説書で、ブニアティシヴィリは「音楽の色彩の豊かさは私に、万華鏡を思い出させます。でも豊かな色彩の背後に時として悲劇的、あるいは暗い物語のあることがあります。カレイドスコープは、ある瞬間の現実の断片をあるひとりの人間がどう見たかを表現したものです。現実生活の一場面を想像の中で自分自身の宇宙に溶け込ませることは、とても人間的な、一種の反射運動だろうと思います」と、「聴くもの」と「見るもの」の関係を語りだす。
暗く、重く、深い音の光景が広がる。まだ20代ながら、けた外れの読譜と解釈の力を備え、時に憑依(ひょうい)ともいえる瞬間が訪れる。
併録の「ペトルーシュカ」と「ラ・ヴァルス」にも、「展覧会の絵」で漂わせたほの暗い気分を滑り込ませる。画家ハルトマンの死はラヴェルが憂いた「古き良き欧州」の死、ストラヴィンスキーが描いたワラ人形「ペトルーシュカ」の死へと受け継がれ、時代と社会の「相」と様々な化学反応を起こす。カレイドスコープはセピア色に支配され、さぞかし複雑な模様を描くに違いない。
◇ ◇
ブニアティシヴィリの沈鬱な「展覧会の絵」に驚嘆した直後に聴いたラヴェル編曲版の新譜は偶然にも同い年のイタリア人、アンドレア・バッティストーニが首席客演指揮者を務める東京フィルハーモニー交響楽団と共演した2015年9月11日、東京オペラシティコンサートホールでのライブ録音(日本コロムビア)だった。
日本でバッティストーニといえば、同じ盤に収められた「運命の力」序曲で片りん以上の存在を主張するヴェルディ歌劇の指揮を高く評価され、20代にしてマエストロ(巨匠)と呼ばれている。東京二期会でのヴェルディ舞台上演、東京フィルとの演奏会のいずれにおいても大胆な解釈、激しい情熱で共演者、聴衆を「わしづかみ」にするブリオ(「元気」を意味する音楽用語)のマエストロだ。
だが、「展覧会の絵」は違った。ライブならではの熱気とノリに満ち、東京フィルの演奏能力を極限まで引き出しつつも、全体を貫くのは作曲家としての冷静な視点で、作品に潜む死の匂いを敏感にかぎ分けている。
イタリアの歴代マエストロはなぜか「展覧会の絵」を得意にしてきた。アルトゥーロ・トスカニーニやリッカルド・ムーティがラヴェルの華麗なスコアをイタリア歌劇のように朗々と鳴らしたのに対し、カルロ・マリア・ジュリーニやクラウディオ・アバドはムソルグスキーの心情を見つめつつ、フランス音楽の洗練の部分に重きを置いた。
バッティストーニは意外なことに前者ではなく、後者の洗練された路線を踏襲しつつ、ロシア音楽の醍醐味である土俗的な響きを随所にフレーバーとして活用する。
時代を重ねて積もりに積もったホコリ、ステレオタイプの「つや」を丹念に洗い流し、ムソルグスキーの渋い原点に立ち返る意思の強さをジョージアとイタリア、2人の28歳は共有している。
(電子編集部 池田卓夫)
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