大ヒット朝ドラの顔 ディーン・フジオカはアジア発
絶好調のNHK連続テレビ小説『あさが来た』で、2015年9月に放送がスタートするや、注目を集めた俳優、ディーン・フジオカ。演じたのは、元薩摩藩士で"近代大阪経済の父"と呼ばれた実在の人物・五代友厚。主人公・あさ(波瑠)に大きな影響を与えるという重要な役どころだ。長身で端正な顔立ちのイケメンぶりに、朝から「五代さまぁ~」と夢中になる女性ファンが急増し、「あの俳優は一体、誰?」と話題になった。
ディーンは香港、台湾、インドネシアなど中華圏でモデル、俳優、ミュージシャンとして活躍する人気スターだが、日本ではこの朝ドラが連続ドラマ出演2作目。現在35歳で、英語、中国語、インドネシア語を操るなど、そのプロフィールも含めて注目を集めることになった。
「朝ドラが始まって、大阪の街を歩いていると、『五代さんとちゃうん?』と声をかけられたり、『写真撮ってください』と言われたり。すごくありがたいことだなと思っています。特にうれしいのは、祖母が、『日本のテレビで日本語で演技している姿が見られる』と喜んでくれていること。まさか自分の祖国でこんなに活動できるなんて、以前は全くイメージできなかったことが奇跡みたいに起こっている。不思議な感じです(笑)」
1980年生まれのディーン・フジオカは、れっきとした日本人。高校卒業後、夢を抱いて米国に留学。音楽は好きだったものの、「その頃は俳優になることなど全く考えてなかった」と振り返る。
「海外に行きたいと思った理由のひとつには、僕は花粉症がひどくて、中学生の頃から、日本には住めないなと思っていたことがあります。本当に(笑)。もっともそれ以上に、父親が中国生まれの日本人で海外に行くことが多い仕事をしていたし、母親はピアノの教師をしていて、いつも海外の音楽を聴いていました。子どもの頃から普通に海外に興味を持つ環境にいて、日本では自分の未来にイメージが湧かなかったんです。それで、高校を卒業して、シアトルの大学へ。ITを学んで、卒業後はアメリカで就職して永住するつもりでした。でも、9.11同時多発テロ事件の影響でビザの切り替えがうまく進まなかったこともあって、大学卒業後、バックパッカーになってアジアに向かいました。大学時代、いろんなバックグラウンドを持つ同級生がいたんですが、なかでもアジア系に面白い人が多かった。それと、教授が"これからはアジアだ"と言っていたことが頭にあったんです」
日本に戻るという選択もあったと思うが、「その時は前に進むことしか考えてなかったし、どこででも生きていけると思っていた」と2004年、香港へ。クラブイベントに参加したとき、地元のファッション誌編集者の目に留まったことからモデルデビュー。2005年香港映画『八月の物語』の主演に抜てきされ、俳優業をスタートさせる。
俳優=社会とつながること
「モデルを始めたのは、単純にもうお金がなかったから(笑)。でも、CMやミュージックビデオの仕事も来るようになったら演技力も問われるようになり、俳優の仕事につながりました。それに俳優をやってみて、自分にとって『演じることは社会との接点になる』と痛感したんです。バックパッカーで流れ者のような生き方をしてきて、社会への帰属感が薄くなっていた。でも、香港の最初の映画で出会ったクルーは僕を俳優としてだけでなく、映画作りのイロハから教えてくれて、フィルムメーカーの1人として育ててくれた。おかげで帰属意識が芽生えた。俳優として演じることで、社会の一員になれたと実感できたんだと思います」
だが、その香港から06年、"中華圏ドラマの母"といわれる名プロデューサー、アンジー・チャイの誘いで台湾へ。トレンディードラマや映画にも多数出演し、瞬く間に中華圏のスターになるが、08年からはインドネシアのジャカルタで、音楽制作を開始。
「台湾へ行くときは、悩みました。広東語から北京語になるので、全てがまたゼロからのスタートになる。でも、今後、中華圏で仕事をするなら、北京語を話せないと俳優としては成り立たない。実際、僕は『走りながら、武器を拾う』みたいな感じでチャンスをつかみ、キャリアアップしていたので、思い切って台湾に飛び込みました。
ただ、台湾のドラマは全アジアで放送されるというもので、規模の大きさが違う。それに圧倒されて精神的にもしんどくて。すごいキャリアをつかんだけれど、初めて自分が何のために有名になりたいのか、何のために俳優をやっているのか分からなくなってきた。"燃え尽き症候群"っていうのかな。それで約1年、インドネシアのジャカルタで音楽制作をすることにして俳優業を休みました。
自分がどこの国の人間で、何者なのかも分からない。日本も自分の帰るところには思えない。アイデンティティーが分からなくなって…。でも、インドネシアという独特な文化、風習のある国でもう一度、自分を見つめ直し、今の妻とも出会いました。ビジネスとしてのキャリアアップはなかったけれど、自分の人生で大きく成長できたと思っています」
2011年からはアミューズと契約し、日本での仕事もスタート。2013年、主演、監督を務めた映画『I am ICHIHASHI~逮捕されるまで~』で実質的な日本デビューを飾った。現在はジャカルタに自宅を構え、仕事の度に日本、台湾、欧米などに飛ぶスタイルだ。
「僕の場合、『日本に住まなくていい。仕事があるときだけ日本に来ればいい』という異色の契約なんです。15年の最初は、米国ドラマ『荒野のピンカートン探偵社』の撮影で、カナダのウィニペグにいて、その後、台湾で映画を撮って、それからドラマ『探偵の探偵』で東京に来て、朝ドラ『あさが来た』では大阪。振り返ったら15年の3分の2ぐらいは日本にいました。今は、アイデンティティーのことは考えなくなりました。妻がいて、子どもたちがいるところが自分の家であって、そこで父親としての責任をきちんと取ることが大事だと思っているので」
16年は1月期の『ダメな私に恋してください』では、主演・深田恭子ふんするヒロインのドSな元上司で、恋のお相手となる役どころに挑んでいる。
「深田さんといえば、僕が高校時代にはアイドルとしてキラキラしていた。芸能界のとても華やかな世界の方と自分が共演をすることがとても不思議だし、光栄ですね。
そんな人を相手にドSの役だから、どこまで愛を持ってサディスティックになれるか。『あさが来た』の五代さんでは、自分の人生観が影響を受けるくらい役に取り組みました。僕自身がドSになっては困るけれど(笑)、今回の役も真正面から取り組みたい。僕自身、まだ日本では新人みたいなもの。一つひとつ俳優として進化していけたらと思っています」
(ライター 前田かおり)
[日経エンタテインメント! 2016年2月号の記事を再構成]
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