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高度成長・バブル崩壊…CAの制服、時代を象徴

2016/1/31

 アテンションプリーズ――。客室乗務員(CA)は昔から憧れの職業。日本航空(JAL)や全日本空輸(ANA)など国内航空会社のCAの制服は世界にアピールする「日本の顔」として世相や流行を取り入れつつ変貌してきた。10代目を数える両社の歴代制服の変遷をたどると、ファッションだけでなく日本経済や航空業界の歴史も見えてくる。

 

<JAL>

1代目(1951~)門田稔
2代目(1954~)伊東茂平
3代目(1960~)伊東茂平
4代目(1967~)森英恵
5代目(1970~)森英恵

 20枚の写真を見てほしい。JALもANAもこれまで様々なイメージチェンジを図ってきたことが分かる。森英恵、三宅一生、芦田淳、稲葉賀恵各氏ら有名デザイナーの手で時代ごとに変身を繰り返してきた。

 1代目の制服が登場したのはそれぞれ1950年代。51年にサンフランシスコ講和条約に署名した日本は主権を回復し、56年には国際連合にも加盟。「国際社会に本格的に復帰した日本の象徴」(JAL、ANA)としてCA制服が誕生したのだ。

<JAL>

6代目(1977~)森英恵
7代目(1988~)本井重信
8代目(1996~)稲葉賀恵
9代目(2004~)稲葉賀恵
10代目(2013~)丸山敬太

 JALはシルバーグレーの英国製生地を使用し、胸章付き。ANA(日本ヘリコプター輸送)は米空軍の婦人服をモデルに社員がデザインした。経済白書が「もはや戦後ではない」とうたったのが56年。欧米の制服を参考にしながらも敗戦から立ち直り、新時代を築こうという気概が伝わってくる。

 その後、大きく変化するのは70年代に入ってからだ。日本は60年に「所得倍増計画」を打ち出し、64年には東京五輪を開催。高度経済成長を遂げて自信を取り戻す。制服にも斬新な色使いやミニスカートなどが採用されるようになった。

<ANA>

1代目(1955~)社内デザイン
2代目(1958~)社内デザイン
3代目(1966~)中村乃武夫
4代目(1970~)芦田淳
5代目(1974~)伊藤達也

 JALの制服をデザインした森英恵さんは「世界に羽ばたく新しい日本のイメージを表現するため、色やデザインでも独自性を打ち出した」と振り返る。ANAの制服を手掛けた芦田淳さんも茶と黄の斬新な色彩に逆T字型の未来的なデザインを取り入れた。単に欧米に追従するのではなく、独自の文化をアピールしようという自信と気概が制服にもみなぎっている。

 73年と79年の石油危機を体験し、公害問題など経済発展の負の側面に苦しむ「冬の時代」に入ってからは、パンタロンやロングスカートなどが世界的に流行。実用性やカジュアルさがより重視されるようになる。だが80年代半ばにバブル景気が到来すると、CA制服はさらに大きく変化する。

 85年のプラザ合意後は円が高騰し、地価が急上昇。日本企業による海外企業や不動産の大型買収が相次いだ。この時期の制服は肩が大きく張り出した高級感あふれるダブルスーツ。JAL7代目とANA8代目の制服は、日本に力強い勢いがあった時代の象徴でもある。

<ANA>

6代目(1979~)三宅一生
7代目(1982~)芦田淳
8代目(1990~)芦田淳
9代目(2005~)田山淳朗
10代目(2015~)プラバル・グルン

 やがて91年以降、バブル経済の崩壊で不良債権が表面化し、日本経済は長いトンネルに迷い込む。航空業界の低迷も長期化。CA制服も「簡素化」「リサイクル」がキーワードになった。両社がCAの契約社員制度を打ち出したのもこの頃だ。

 JALの8、9代目は帽子が廃止され、金ボタンも4つから3つに減少。9代目からは制服の素材をリサイクルする制度が導入されるなど、節約志向が一気に高まった。ANAでは8代目が15年間も刷新されず、9代目はよりコンパクトなデザインに変更される。どちらもバブル時代の無駄なぜい肉をそぎ落としたイメージになった。

 そして現行の10代目が登場する。JALは実力派デザイナーの丸山敬太さんを起用。伝統を踏襲しつつも、鮮やかな赤を差し色に「新生JAL」を表現した。ANAは初の外国人デザイナーを起用し、挑戦する姿勢をアピール。ともに企業理念や業況を色濃く映す制服になった。

 CA制服は「アテンションプリーズ」「スチュワーデス物語」「GOOD LUCK!!」など各時代のTVドラマにも登場し、懐かしい思い出を持つ読者も多いはず。制服には企業組織の一体感や仕事に臨む意気込みを増す心理的な効果もある。変遷を改めてたどるのも興味深い。

(編集委員 小林明)

[日本経済新聞夕刊2016年1月30日付]

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