NHK朝ドラに出演 ディーン・フジオカは国際派俳優
日経GLOBAL GATE

台湾を拠点に、アジア圏で活躍する日本人のDEAN FUJIOKA(ディーン・フジオカ)。俳優、モデル、ミュージシャン、映画監督など多彩な顔を持つ彼は、香港や台湾ではすでに有名な国際派スターだ。2014年にはドラマ出演で全米デビューも果たしている。
日本では2015年7月、フジテレビ系列の「探偵の探偵」で初の連続ドラマに本格デビュー。現在は、9月28日から始まったNHK大阪放送局制作の連続テレビ小説「あさが来た」の収録でも忙しい。東京と大阪を行き来する慌ただしい中、インタビューをさせてもらったのは、「あさが来た」の収録の合間。
彼が演じるのは、幕末の薩摩藩士で、後に実業家となる五代友厚。実在の人物で、物語の中ではヒロインの師という重要な役回りである。若かりしころに欧州各地を視察した五代は、当時の日本ではかなりのグローバル人。そんなところが、現在のDEAN FUJIOKAとシンクロする。
お風呂で数えた数字は外国語
日本の高校を卒業してシアトルの大学に留学し、大学卒業後に香港でモデルとして活躍を始めたというのが、DEAN FUJIOKAのおおまかなプロフィル。彼に関する情報はまだ少なく、端正なルックスと活動名からか、インターネット上ではハーフという噂も流れている。が、本人は「祖父母も両親もれっきとした日本人ですよ」と笑う。そんな彼が世界を意識したのは、中学生の時だった。
「父親がIT(情報技術)関係のハシリともいえる仕事に就いていて、頻繁に海外出張に行っていたんですよ。そのたびに買ってきてくれた海外のお土産で、特にアメリカのお土産に心をひかれました。なんだか、とてもきらびやかに映ったんですよね」
ピアノの先生をしていた母親がいつも海外の音楽を聴いていたため、日本語以外の言葉にも早くからなじんでいた。
「子ども時代に父親と風呂に入ると、湯船に肩までつからされ、『10数えたら上がっていいぞ』って、よくやるでしょう。自分の場合、英語や中国語で数えさせられたんですよね。気づかないところで、ほかの国の言語に対するヒントのようなものを与えられていたと思います」
停滞せず前に進みたい

家庭内で世界への目を養われたDEAN FUJIOKAにとって、高校卒業後の進路にアメリカを選んだのは自然なことだった。当時の夢はアメリカで起業することだったという。
「早くからインターネットをやっていた父の影響で、ITを身近に感じていました。シアトルの大学を選んだのは、ニルヴァーナやブルース・リー、ジミ・ヘンドリックスなど、単に自分の好きな人たちが活躍していた場所だったから」
大学では、かなり真剣に勉強に取り組んでいたと振り返る。その時の青写真は、そのままアメリカで就職し、永住することだった。ところが在学中に転機が訪れる。
「まだ9.11同時多発テロの影響が強く残っていたのか、ビザの切り替えが全然進まなかったんです。弁護士を頼むなどいろいろ方法もあったのですが、次第に、もういいやという気になっちゃって。こんなことで停滞しているより先に進んだほうが、世界が広がるかもしれないと思ったんですよね」
そこで大学を卒業はしたものの、就職をせず旅に出ることを決める。向かった先はアジアだった。
21世紀はアジアの時代
「当時は特別な目標があったわけではなかったけど、大学にはいろいろなバックグラウンドをもつ教授や同級生がいて、特にアジア系の人に面白い人が多かったんですよ。21世紀はアジアだなと感じさせるパワーのようなものがあった。それで、一度アジアを見てみようと」
あの衝撃的な9.11のテロ事件をきっかけに、"世界の頂点たるアメリカ"という神話が確実に崩壊するという時代背景もあった。
「若かったから、特にそういうことに敏感だったのかもしれないですね。いまここにいるのがベストではなく、自分にとっての可能性はアジアなんだ、みたいな」
また、ビザ以外でも、税金の支払いや銀行口座開設など、永住権を持たない人がアメリカで何かを始めるにはハードルが高いことも実感していた。
「当時の自分には、アメリカで勝負をするには足りないものが多すぎると思ったんですよ。だから、もっといろいろなことを経験して実力を身につけ、いずれアメリカに戻ってこようと。アジアに向かったのは、そういった思いが重なった結果です」
アップデートされたマイアカウント

そして、2004年に香港へ。本人いわく、「香港ではいろいろな仕事に手を出した」とのことだが、たまたまクラブでのジャムセッションに飛び入り参加した姿が編集者の目に留まり、モデルの仕事をスタートさせる。ミュージックビデオやショートフィルムへの出演を経てテレビドラマや映画にも出演するようになり、2005年に主演した香港映画の成功で知名度が上昇。翌年には拠点を台湾に移し、アメリカや日本でも俳優として活動する傍ら、ジャカルタでは音楽活動も行っている。
俳優を目指していたわけでもなく、ほかにやりたいことがあったわけでもない。一見、流れに身を任せたような人生。けれど、こうはなりたくないという確固たる思いはあった。
「人をだましたり、傷つけたりすること。それだけは絶対にすまいと誓っていましたね。それさえしなければ、逆に何をやってもいいと。あとは走りながら必要なものを拾っていく、という感じですかね」
そうして手に入れたのが、アメリカや日本での仕事。学生時代を過ごした国や、自分の生まれた国で仕事ができるようになったことは、非常にうれしいと語る。そして、自身が経験を積み重ねていくことを、いかにもIT関連での起業を目指していた青年らしく表現した。
「日本で開いた自分自身というアカウントは高校生で、アメリカでのアカウントは大学卒業で止まっていた。それが、両国で活動できることによってアップデートされた感じですね」
(敬称略)
(ライター 笹沢隆徳)
[日経GLOBAL GATE 2015 Autumn記事を再構成]
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