水族館イルカを野生に返す試み、世界各地で続々
水族館でショーを行うために捕獲され、飼育されているイルカやシャチは、世界でおよそ3000頭と推定されている。ここ数年、そうしたイルカたちを野生に返そうという試みが各地で始まっている。
イルカのトムとミーシャは、2006年頃にエーゲ海で捕獲されたらしい。当初はトルコの海辺の町にあるレジャー施設で飼育され、2010年6月にヒサリョニュという山あいの町へトラックで運ばれた。粗末なコンクリート製の水槽に入れられた2頭は、およそ6000円相当の料金を支払った客を背びれにつかまらせて10分間泳ぐという仕事をさせられた。
その年の9月初旬、このままでは2頭の命が危ないと考えた英国の野生動物保護団体「ボーン・フリー財団」が介入し、トムとミーシャを引き取った。2頭はこうして、トルコの沖合に設けられたいけすへと移されたのだ。
イルカを海に戻すための「リハビリ」に挑戦
ボーン・フリー財団は「2頭の健康を回復し、再び野生のイルカとして生きていくために必要なことを教え、エーゲ海に戻す」という極めて野心的な目標を掲げた。その協力者として雇われたのが海洋哺乳類の専門家ジェフ・フォスターだ。
飼育下に置かれた野生のイルカを、再び元の環境に戻す作業は、実は想像以上に難しい。体の構造やDNAが変わるわけではないのに、いったん人間に飼育されたイルカは、さまざまな意味で別の生き物になってしまう。彼らを野生に返すには、単に生きた魚の捕り方を教え、人間との接触を減らし、海へ放てばいいというわけではなかった。
フォスターはあえて不自然なアプローチをとる必要があると判断し、イルカに芸を仕込む際に用いる道具と手法で2頭を訓練することにした。笛や指示棒を使い、正しい行動に対してのみ報酬を与える学習方法を実施したのだ。
2012年5月9日、爽やかな青空の下、ボーン・フリー財団のスタッフと支持者が大勢集まった。トムとミーシャの背びれには追跡用の発信器が装着されていた。
ダイバーがいけすに潜り、出入り口のファスナーを開ける。
だが、トムもミーシャもいけすの中をのろのろと旋回するばかりで外へ出ようとはしない。そのまま20分ほどたち、気まずい空気が漂い始めたところで、若手トレーナーが2頭に最後の指示を出した。右手を高く挙げ、体の左側に向けて斜めに振り下ろす。「A地点からB地点へ行け」という合図だ。指示に従い、トムがいけすの外に出た。それでもまだ、10メートルほど離れたところで止まっている。
ミーシャはいつも通りトムの後をついていったが、急に速度を上げ、トムを追い越して湾の出口へ向かって猛スピードで泳ぎ去った。トムも負けじと追いかける。長いこと人間に飼われていた2頭は外洋に出たとき、どんな反応を見せるのか…そんな心配は一気に吹き飛んだ。「6時間後には、2頭とも海で生きた魚を捕まえて食べ、ほかのイルカと一緒になって泳いでいました。大成功ですよ」と、フォスターは語る。
韓国でも放流に成功
衛星の追跡記録によると、2頭は北西方向へエーゲ海を泳ぎ続け、5日後には別れた。トムは西に向かい、ミーシャは南へ向かった後、東へと進路を変えた。
「行くと決めたらまっしぐら。ミーシャはそういうやつです」とフォスターは言う。
海へ出てから5カ月後の10月半ば、トムの発信器からの信号が途絶えた。ミーシャの信号も、11月末までしか確認できなかった。フォスターとボーン・フリー財団は9カ月以上の追跡を望んでいたが、2頭がエーゲ海での新生活に適応したことを確認できるだけの時間は経過していた。結局、トムとミーシャを野生復帰させるのに20カ月の期間と約1億2000万円の費用がかかったが、長期にわたる飼育で著しく弱ったイルカでも、外洋での生活に必要な能力を再び習得できることが証明された。
それから1年後、韓国でもイルカの野生復帰が可能であることが証明された。済州島の沖合でイルカが海へ戻されたのだ。今後、野生復帰の問題はさらに議論されていくだろう。イルカたちはそのための材料をたっぷり提供して、大海原へ姿を消した。
(文 ティム・ジマーマン、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2015年8月号の記事を再構成]
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