女性の活躍を健康面でサポート
下瀬陽子さん(36)とオムロンとの出合いの舞台は米国だった。東京の高校を卒業した1998年、エンターテインメントやホスピタリティーに興味があった下瀬さんは、早く社会人として自立したいとの志を抱き、単身渡米した。現地のコミュニティーカレッジで学んだのはホテル経営やツーリズム。卒業後はラスベガスの空港でインターンとして働くことから社会人生活がスタートした。国際線が到着すると、お客様を入国管理手続きへと誘導したり、チケットの手配をしたり、1日平均1千人の様々な国籍の人たちにかかわってきた。米国でのそんな業務と車社会の生活の影響が表れたのだろうか。20代の体に激痛が走った。ギックリゴシだった。治療を続ける中で医師に歩数計を薦められ、初めて歩数計の存在を知ったという。自分自身の健康を考える中で「1日1万歩は歩きなさい」という医師のアドバイスも印象深かったようだ。そんなとき、ラスベガスのドラッグストアで買い求めた歩数計がオムロンとの最初の出合いとなった。
縁なのだろうか。偶然だったのか。6年間の米国生活を経て、帰国した実家には高血圧の父親にとっては手放せないオムロンヘルスケアの血圧計があった。そして2005年5月、下瀬さんはオムロンヘルスケア(京都府向日市)で働き始めることになる。「米国の空港での接客経験を生かした商品企画の業務を任せていただいた」と、下瀬さんは振り返る。現在はプロダクトマネージャーとして、グローバルで痛みの治療、緩和に向けた事業戦略と商品企画に携わり、5人の部下を抱えるチームのリーダー的存在でもある。
「女性をターゲットとした製品が意外とないよね」「女性といえばどうして色はピンクになるの」「それは本当にほしいもの?」――オムロン式美人プロジェクトのスタートのきっかけは商品企画や広報を担当する女性社員とのこんな会話からだった。08年、最初は有志で自主的に、業務外で活動していたという。女性の生活や感覚にフィットした商品開発という視点で、もう少し何かできそうに思えた。イメージやキーワードが固まった段階で当時、商品企画を統括する宮田喜一郎部長に報告した。やがてオムロンヘルスケアの社長になる宮田氏(~15年3月)は業務としてプロジェクトを正式に認める条件に「商品のコアは何なのか。オムロンだからできる提供価値は何なのか。どれだけ社会に貢献できるかをしっかり考えてまとめてこい」と宿題を出した。一方で、宮田氏はこの活動が事業として加速するようにと、社外のアドバイザーによるプロジェクト事業支援の体制づくりをしている。
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