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中田英寿氏、人生の決断 なぜ文化の伝道師に? 編集委員 小林明

 

2015/6/26

インタビューに応じるサッカー元日本代表の中田英寿さん(都内ホテルで)

 日本人サッカー選手として国際的に絶大な知名度を誇る中田英寿さん――。

 アトランタ、シドニーの五輪大会やフランス、日韓、ドイツのW杯で日本代表の中心選手として活躍。1998年にイタリア・セリエAに移籍した後も名門チームで数々の実績を残し、「海外組」の成功者としての金字塔を打ち立てた。その中田さんがサッカーを引退し、世界や日本国内で文化を体験する旅を続けながら、日本文化を世界発信する活動に取り組んでいる。

 なぜ2006年のW杯ドイツ大会後、あっさり引退してしまったのか?

 どうしてサッカーとは縁もゆかりもない日本文化の世界発信に取り組んでいるのか?

 人生の分岐点で決断した胸の内や最近の文化活動の現状について、中田さんがこのほど東京都内のホテルで日本経済新聞の単独インタビューに応じてくれた。

■29歳で引退したワケ? 現役はまだ続けられたが……

 06年6月のドイツW杯グループリーグの第3戦。

 サッカー王国、ブラジル相手に1対4で惨敗した後、中田さんはピッチにあおむけに倒れ込んだまましばらく動かなかった。グループリーグは結局、1分2敗。日本は決勝トーナメント進出を果たせずに戦いを終える。そして中田さんは翌月、自らのホームページで現役を引退すると表明した。29歳の決断だった。

もともとプロサッカー選手になる気はなかったという

 そのとき、どんな心境だったのだろうか?

 中田さんは当時をこう回想する。

 「もし僕が商売先行でサッカーを考えていたら、現役は続けていたでしょう。でも一番重要だったのは自分の気持ち。それまでパッション(情熱)先行でサッカーをやっていたからこそ引退したのです。僕は自分の人生で好きなこと、覚悟を決められること以外はしたくない。お金のために生きるということは考えていませんでした」

 現役を続けるだけの情熱が持てなくなったというのが引退を決意した理由だったようだ。

■人生は情熱優先、金稼ぎが目的ではない

 中田さんはさらにこう続ける。

 「サッカーは好きだったが、もともとプロになる気持ちはなかった。だがある日、プロになれることになったのでそのままプロ選手になっていっただけ。もちろんプロ選手としてレベルの高いプレーを観客に見せて喜ばせたいという気持ちはあったが、お金を稼ぐつもりはまったくなかった……」

ヨルダンで子どもと交流(2007年)
コンゴで子どもと交流(2008年)
コンゴに蚊帳を届ける(2009年)

■なぜ世界に、そして国内に旅に出たのか?

 そんな中田さんは引退後、すぐに世界各地を放浪する旅に出る。

 「サッカーに抱いた以上のパッションを見つけないと、自分の『第二の人生』に足を踏み出せないと思った」からだ。アジア、アフリカ、欧州、北米、中南米……。3年かけて90カ国以上、150都市以上を歩き回り、各地の文化を見て、勉強し、体験してきた。その結果、感じたのは「母国、日本の文化について自分は何も知らない」という事実。「世界を体験しようと思って旅に出たのに、逆に外国人から聞かれることは日本のことばかり」。それに自分が十分に答えられないことを“発見”したわけだ。

 「自分は死ぬまで日本人。ずっと日本の文化のことを聞かれ続けられるのなら、日本のことをもっと勉強した方がいい。そこで日本国内の47都道府県を沖縄から徐々に北上する旅に出ることにした」。09年のことだった。

高知の酒造り(2010年)
和歌山の酒造り(2010年)
山形の米作り(2013年)

京都の漆塗り(2010年)
石川の彫金(2010年)
岐阜の漆塗り(2010年)

■作り手と市場を仲介したい、食・工芸・宿……

 旅に出る際に自分なりのルールを決めた。(1)日本の伝統文化を知る(2)地元のこだわり農家を見る(3)できる限り旅館に泊まる(4)日本の環境状況を知る――など。さらに文化の作り手たちと出会い、対話し、人間関係を構築することも心がけた。

 体験したのは沖縄の在来種「アグー豚」「やんばる島豚」などの養豚場、鹿児島のかつお節作り、宮崎の有機農業、熊本の製塩業、大分の野菜の有機栽培、佐賀の有田焼・唐津焼、福岡の旧家を改築した旅館など様々。時間をかけながら各地を丁寧に訪ね歩いた。6年かけて現在、ようやく47都道府県の最後にあたる北海道にたどり着いたところだそうだ。

 対象としたのは日本の食文化、ものづくり、宿、神社仏閣など。「生活の集積が文化」という視点から、生活全般を体験するように努めた。そこで感じたのは「作り手はものを作ることに集中しているが、それをどう売っていくかという国内外の市場につなげる人があまりいないという課題」。だから、世界的に知名度があり、様々な人脈を持つ中田さん自身がその仲介役になれるのではないかと考えた。

 こうして日本文化を再発見し、世界に発信することが、中田さんにとって「第二の人生」の新たなパッションになっていった。

ミラノ市内の日本酒バーで
33銘柄の日本酒・焼酎が味わえる
様々な酒器で香りや味を楽しむ

■ロンドン、ブラジル、ミラノ 日本酒・焼酎を世界発信

 日本文化の中で特に関心を持っているのが日本酒・焼酎。

 「もともとワインは飲んでいたが、日本国内の旅を始めるまで日本酒・焼酎にはあまり関心がなかった」。そこで日本国内にある二百数十カ所の酒蔵に足を運び、稲作から酒の製造工程まで酒造りのプロセスを細かく体験した。

 「日本酒には甘口から辛口まで実に様々な種類がある。日本酒がイタリア料理やフランス料理など海外の料理に合わないということは絶対ない。どう合わせるかを知らないだけ」。今後の市場成長に大きな期待を感じている。

 中田さんは目下、大きな国際行事に合わせて日本酒をPRするプロジェクトにも取り組んでいる。

 12年のロンドン五輪ではロンドン市内に日本酒バーを営業。14年のサッカーW杯ブラジル大会でもサンパウロ市内に日本酒、和食、和菓子、工芸を紹介するカフェを開設した。今年は「食」をテーマに開幕したミラノ万博に合わせてミラノ市内に日本酒・焼酎33銘柄を集めて販売する日本酒バーを臨時オープン。さらに現地のレストランと組んで日本酒・焼酎も試験販売するという。知り合いのイタリア人シェフらに協力してもらって、日本酒・焼酎に合うイタリア料理を世界に提唱することも考えている。

 「僕がやろうとしているのは、商品を直接作ることではない。素晴らしい日本の文化を世界に売り込む仕組みを整えようとしているだけ。商業ベースではまだ軌道には乗っていないが、プロジェクトを長続きさせるためにも今後はビジネスとして成立させたい」と言葉に力を込める。

■サッカー界復帰は? 「見るのも教えるのも嫌い」

サッカーはあくまで自分がやるもの

 ところで中田さんが今後、サッカー界に復帰する可能性はないのだろうか?

 国際経験も豊富なだけに指導者などとして復帰を求める待望論があるようだが、「僕にとってサッカーはあくまで自分でやるもの。サッカーは見るスポーツでもなければ、教えるスポーツでもない。見ることも、教えることもあまり好きではない」とクールな口調で言い切る。

 これを言葉通りに受け取れば、新たなパッションが見いだせない限り、サッカー界に復帰する意志は基本的になさそうだという感触になる。日本文化の世界発信がビジネスとして早く結実するように、「第二の人生」に専念したいというのが中田さんの今の心境のようだ。

なぜ「田中さん」は西日本に多いのか (日経プレミアシリーズ)

著者:小林 明
出版:日本経済新聞出版社
価格:918円(税込み)

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