ライフコラム

法廷ものがたり

隣人トラブル、枯れていく草木

2015/4/15

 裁判記録をとじた厚いファイルを開き、埋もれた事案に目を向けてみれば、当事者たちの人生や複雑な現代社会の断片が浮かび上がってくる。裁判担当記者の心のアンテナに触れた無名の物語を伝える。

 住む街や家は選べても、隣人は選べない。長年暮らしてきた一戸建ての庭の木々をめぐって、隣家の住人から苦情を言われた後、自慢の庭に異臭が漂うようになり、草木が枯れ始めた。防犯カメラを確認すると、フェンス越しに何やら液体をまいている隣人の姿が映っていた――。

 東京都内の住宅街に建つ古い一戸建て住宅に、70歳代の夫婦が半世紀前から住んでいた。小さな庭にこんもりと茂った豊かな緑が自慢だった。クロガネモチ、モミジ、カイヅカイブキ……。2階ベランダには天蓋のようにフジが広がり、毎年きれいな花を咲かせて道行く人の目も楽しませていた。

 ある時、木々の手入れのために造園業者を呼んだ。業者の作業員が枝を切っていると、隣に住む70歳代の男が「塀の高さまでみんな切れ」と注文を付けてきた。困った作業員が家主の妻を呼んだところ、男は突然激高し、妻との間で口論になった。

 隣同士ながら、夫婦と男はそれまで挨拶もほとんどない関係だった。しかし、その一件以来、男は夫婦に対する敵意をむき出しにしてきた。近所の世帯が集まってゴミの出し方を話し合った際、各戸が自分の家の前にゴミを出すことになると、男は「この女が余計なことをするからこうなった。自分勝手な女だ!」と叫び散らした。夫婦は不安を感じてホームセキュリティー会社に加入し、玄関前に防犯カメラを設置した。

■庭に刺激臭、防犯カメラに隣の男

 同じころ、夫婦の庭に不可解な異変が生じた。たびたび強い刺激臭が漂うようになり、窓も開けられないようになった。程なく、自慢の庭の草木が次々と枯れ始めた。防犯カメラには、隣家の男が表のフェンスの外から手を伸ばして夫婦の庭に液体をまいている様子が映っていた。

 出入りの造園業者は、その液体が臭気の元の殺菌消毒用クレゾール液だと確信していた。妻は防犯ビデオの映像を1日分巻き戻し、映っている男の行動を記録するのが日課になった。

 その間も男の行動はエスカレートしていった。路上から夫婦の庭を勝手に撮影していたので妻が2階の窓から注意すると、「下りてこい、ぶっ殺してやる」と騒ぎ、持っていたつえで庭木をたたいた。別の日には、男がまさに液体をまいている場面を目の当たりにした夫婦が110番。駆けつけた警察官の前で男は下品な言葉を妻に投げつけ、警察官に「子供じゃないんだから」とたしなめられた。

 「これ以上我慢できない」と夫婦は男に庭木が枯れたことの損害や慰謝料など約720万円の損害賠償を求めて提訴。訴状で、2年余りの間に敷地内にクレゾール液を30回近くまかれ、ゴミを20回投げ込まれたと訴えた。

 男側は書面で「被害妄想に基づく作り話で理解できない」と反論。「クレゾール液が木を枯らすメカニズムが理解できないので証明してほしい」と要求してきた。夫婦側が専門機関の協力を得て、1カ月に及ぶ実験で木が枯れたとする結果を提出すると、「実験は条件が異なり本件には当てはまらないし、そもそも下水道の消毒のために希釈したクレゾール液を排水溝にまくことに問題はない」とはねつけた。

 法廷に立った妻は「もうこれ以上いやがらせをしないでほしい」と訴えた。「両親が残した大切な思い出の木を失った。我慢を重ねてきたのに下劣な言葉で誹謗(ひぼう)中傷された。思い出すと非常に深く心を傷付けられ胸が苦しくなる」。長年ためこんできた思いを切々と語り続けた。

 翌月は男が法廷に出てきた。クレゾール液をまいたのかと聞かれて「まいたのは水。植物が枯れ始めたのでかわいそうだと思った」と主張。「(クレゾール液をまいたのを)見ていないのになんでそういうことを言うんだ。憎たらしい女だ」と、妻を呼び捨てにしながら罵倒した。

 その後も誹謗中傷はしていないと主張しながら「本当に悪い女なんです」「生意気な女だ」などと悪態を繰り返し、根拠も示さずに近所の店で万引きをしていたと“告発”。「知らないことを言うな」と夫婦側の弁護士からとがめられると、「あんたからそういうことを言われる筋合いはないでしょう」と開き直った。

■判決、男の嫌がらせ認定 「クレゾール液まいた」

 男の法廷での振る舞いは当然ながら裁判官の心証にマイナスに響いた。地裁は判決で「尋問態度を考慮すれば、誹謗中傷されたという夫婦の主張は十分にうなずける」と指摘。男が「嫌がらせのためにクレゾール液をまいていた」と認めた。

 ただ、クレゾール液をまいた量は証拠上明らかではないとして、庭の草木が枯れたこととの因果関係は認めなかった。夫婦の損害として認めたのは、ホームセキュリティー会社と契約したりトラブル回避のために隣家との境に生け垣を作ったりした費用と慰謝料の計250万円にとどまった。双方とも控訴せず、判決は確定した。

 訴訟は終結したが、隣同士の生活はこれからも続いていく。妻は法廷で「できれば提訴はしたくなかった」と、隣人を訴えることにためらいがあったことをにじませていた。ただ、訴訟には少なくとも1つの効果があった。提訴後はクレゾール液がまかれなくなり、一度は枯れきったと思われた庭の木々が再び芽吹き始めたのだ。

(社会部 山田薫)

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