「何でも言ってほしい」 渋谷区長、共働き世帯を応援
仕事への野心はあるが、ポジションへの野心は無かった
――桑原区長は四国のご出身ですね。大学入学を機に上京されたのですか。
桑原敏武区長(以下、桑原):6歳のときに父を亡くし、松山にある祖父母の家で育ちました。10歳以上離れた兄と姉がいて、当時既に上京していました。兄姉に助けてもらいながら、私大に進学。学費免除制度と奨学金を利用したんです。
――卒業後、東京都の職員になったきっかけはなんですか。
桑原:進路については実は何も考えていなかった、というのが正直なところ。法学部で行政法の講義を受講していたのですが、単位がもらえないと言われたため、必死で勉強しました。都の試験を受けてみたら、中身が行政法の講義そのものでね。フタを開けてみたらトップで合格していた。人生何が役に立つか分からない(笑)。
――ではそのまま出世コースへ…。
桑原:いやいや、私の理想は「何でも知っている係長」になることでした。仕事への野心はあるけれども、ポジションに興味は無い。昇進試験にも興味が無く、本当に受けなかった。ところが上司からせっつかれて、一度だけ昇進試験を受けたんです。
――それに受かったと。
桑原:管理職としての最初の仕事は、杉並区の清掃工場の建設関係でした。現場に行って区民と接することができた。じかに声を聞き、動くと感謝される。それをきっかけに区の職員になろうと思い、希望を出したところ通りました。30代後半のことです。
給与収入400万円以下の世帯は、3歳未満児の保育料を無料に
――それで渋谷区の職員になったわけですね。教育委員会社会教育部長、企画部長、総務部長、助役…と順調に出世しているように見えます。
桑原:最初は図書館長でした。色々な仕事を経て助役も2期8年やりましたが、あのころは何も分かっていなかった。
――何も分かっていなかった…。
桑原:助役の立場は行政に携わるといっても、区長のやりたいことをかなえる役目です。自分が目立ってはいけない。黒子に徹し、名前も出ないようにしていました。
――区長になったのは、周囲の要請ですか。
桑原:人から頼まれると、断りきれないんです。仕事に就いたら周囲と衝突しても、とことん信念を通してやってきました。区長になっても、それは同じです。でも、私は「これをやりました!」というアピールは好きじゃない。
「何も分かっていなかった」というのは、最初の2年は「そのときの社会に必要なもの」というトレンドを捉えながら区政を行っていたということです。でも2年たつと、だんだん本質が見えてくる。そこで、見えてきたことを片っ端からやっていきました。
――子育て世代向けに実施されたものがあれば、教えてください。
桑原:例えば、保育料が高いと生活が大変ですから、2010年に、区民の負担を減らしました。3歳児未満の保育を例に取ると、前年度の給与収入400万円以下、給与収入以外の収入がある場合は、総所得が266万円以下の世帯は原則として保育料を無料にしました。
――国の基準だと、400万円の人は月額1万9500円です。大幅に下げた理由は何でしょう。
桑原:保育料の負担が高過ぎると私が思ったからです。
――世帯年収1000万円の場合でいうと、国の基準では月額6万1000円、渋谷区は1万9920円。共働き世帯にもありがたい金額です。
学童館を一斉廃止、全員が入れる学童保育を各小学校構内に
桑原:2004年からは「放課後クラブ」というものをつくりました。学童保育をしていた「学童館」は廃止。そして、小学校の余裕教室、体育館、図書室を何でも使って、学童保育をすることにしたんです。学童保育の待機児童は一気にゼロになりました。
理由は、そのときの時点で、学童館が10館足りなかったから。1年1館で10年かけて新設したのでは間に合わない。だから小学校を使おう、という発想です。当時は怒られましたよ。
――なぜでしょう。
桑原:学童館を廃止することによって、子どもの学ぶ環境を奪ったというのがその理由です。学童館は他の施設に転用しました。発達障害の子どもの相談センターをつくり、専門のスタッフを置くこともしています。
――福祉や教育、コミュニティーの場にしたのですね。
桑原:それも「見えてきた」からやったことの一つです。最近強く思っているのは、子どもはただ「預かる」のでなく「育てる」ことが大事だということ。「待機児童ゼロ」を目標に掲げるだけでなく、良い環境を用意したい。良い環境を与えれば、子どもは必ずよく育っていくんです。いい教育こそが何より必要なものなんです。
「困ったことがあったら直接相談してほしい」
桑原:「放課後クラブ」は土曜日も開けています。最初は日曜も開けていたのですが、利用人数が少ないので今は行っていません。平日夜の利用は、小学3年生までは19時まで。障害を持ったお子さんには指導員も用意しています。スポーツや読書もできる。つくってよかったと思っています。
――「19時まで」とのことですが、日経DUALの取材で渋谷区在住の働くお母さんに話を聞いたところ、「渋谷区の学童保育が小学2年生までは19時だったけれど、3年生からは18時までに迎えに行かなくてはいけないという規定があった。仕事の都合上、どうしても迎えが間に合わなくなってしまったため、仕事を辞めざるを得なかった」という方がいらっしゃいました。
桑原:いや、そんなはずはないですね。小学3年生も19時までお預かりしているはずです。ちょっと待って……(担当者を呼ぶ)。
――(渋谷区ウェブサイトのプリントアウトを指し)ここに「小学2年生までの児童で」と明記されています。
桑原:その件では、小学3年生までにしてもらえないと困るという、区民からの直訴のメールが私に来たんです。それで改善をお願いしたはずですよ。
区の担当者:小学校3年生は原則18時、事情があれば19時までです。相談があれば、現場ではかなり柔軟に対応しています。
桑原:(担当者に向かって)このウェブサイトの文言は、実態にそぐわないのでは…。
区の担当者:その通りです。
桑原:要望は担当者か区長にどんどん言ってください。柔軟に対応することを私が約束します。そのお母様も、私に直接ご相談くださればよかった。申し訳ないと思います(後日該当サイトを確認したところ、「3年」に修正されていた)。
――区長の区政を目の当たりにした思いです。きっとこの記事を通して渋谷区在住の方は喜ぶと思います。
認可、認証、幼保一元化施設を中心に、保育園はどんどん増やす
――桑原区長は、区長になって以後「見えてきたこと」を一覧にし、2007年末に「渋谷の未来に向けて」というタイトルでまとめているようですね。コミュニティーの振興、教育施策の充実、子育て支援施策の推進など、子どもに関する項目も多いです。
桑原:財政計画も付けてまとめました。それとは別に、防災についてのものも発表しています。「トップダウンだ」「横暴だ」と騒いだ政党もありました。でも、区政はスピードが大切だからね。全力で取りかかっています。
――子育て支援施策の推進では、「待機児ゼロ」という文言もあります。学童館跡地を活用するほか、保育園はどのように増やしていくのでしょうか。
桑原:神宮前の国有地を国から購入するなど、通常の土地取得もある。でも借地はありません。
――それはなぜですか。
桑原:借地はコストを増やすということになりますし、借りるとなると手続きに1~2年はかかってしまう。この問題の解決は時間との勝負なので土地は購入するのが基本です。
――こちら(下の表)が保育施設の定員の推移ですね。2009年に待機児童が78人になって、その後80~174人の幅で定員を増やしているようです。それでも追い付かず、2013年度は前年比で枠を497人分増やしたのですね。
桑原:これからも、まだまだ増やします。私は、親がアルバイト勤務であっても求職中の人でも、その子どもを保育園入園の対象にしています。「そんなことをしたら、よそから保育園への入園目的で転入してくる人がいますよ」とも言われるのですが。
――それに対してはどうお考えですか。
桑原:構いません。どんどん渋谷区に転入してきてください。子どもは社会で育てるものです。
――心強いです。保育園といっても認証、認可、と色々ありますが、増やしていく保育園は、どの種類がメーンになりますか。
桑原:認可、認証、幼保一元化施設(認定こども園)が中心です。小規模の施設は「教育内容にバラツキがある」「継続性が無い」といった理由から、積極的に増やすことはしません。
(ライター 阿部祐子)
[日経DUAL 2014年12月5日付の掲載記事を基に再構成]
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