消えゆくパタゴニア伝統のカウボーイ[ナショジオ]
私(筆者、女性)は牛ににらまれていた。
逃げようにも、よじ登る木さえ見つけられずにいた。
その時、4人のカウボーイが森の中を猛スピードで駆けてきた。片手に投げ縄を構えている。彼らに気づいた牛は、木立に逃げ込んで湖の方へと走りだした。私もたっぷり距離を置いてついていくと、牛は湖のほとりで首にロープをからませて窒息していた。
男たちは何とか牛を生き返らせようと、舌を引っぱり出したり、腹の上で跳びはねたり、手荒く蘇生を試みたが徒労に終わった。黒い瞳から生気が消え、冷たい緑色に変わっていく。生きていれば1カ月分の給料になったはずだが、死んでしまった今は、自分たちと犬が食べるしかない。
野生化した牛を捕らえる命がけの仕事
南米パタゴニアの辺境の地サザランドには、野生化した牛たちを追って旅をする伝統のカウボーイがいる。牛たちは、もともと放牧されていたのが野生化し、世代を経て大型化したもので、「バグアーレ」と呼ばれている。この荒くれ牛を原野から駆り集め、市場に売って収入を得るのがカウボーイ「バグアレーロ」の仕事だ。今ではなり手は少なく、「やりがいはあるが、きつい仕事だ」と言う。
今回の遠征は、バグアレーロ4人、馬20頭、犬30匹に取材班という大所帯となった。この土地の売却が決まり、彼らの遠征は最後になるということもあったし、伝統を守るためにいつかバグアーレの駆り集めを観光イベントにしたいとの狙いもあった。今回の同行取材が決まったのも、こうした背景があったからだ。
食料は尽き、体は傷だらけ
まずはサザランドにたどり着くまでが大変だった。草木は深く茂り、1日か2日で着くどころか、1週間もかかってしまった。「明日はサザランドだ」というセバスチャンの言葉を何度聞いたことだろう。馬たちは前に進みたがらず、雨でぬかるんだ地面で足をすべらせた。荷馬が道を踏み外して転げ落ち、樹木や岩に引っかかって止まったことも2度あった。前からロープで引っぱり、後ろからは犬たちが馬の脚にかみついて追い立てたが、いずれも引き揚げるのに数時間もかかった。
3日目の夜、食料がなくなった。サザランドまであと何日かかるか見当もつかない。だがバグアレーロにとって、すきっ腹を抱えての移動は慣れたものだった。彼らは荷物をたくさん背負う馬に負担をかけないよう、装備を最小限に抑えるのが常だったからだ。
4日目の朝、マテ茶とたばこで朝食を済ませたバグアレーロたちは、早い時間に出発した。マテ茶は濃いコーヒー並みに眠気を吹き飛ばし、食欲を抑えてくれる。私はキャンプに残ってたき火の番をしながら、犬に革製品を食われたり、馬が逃げたりしないよう見張りをすることになった。この3日間で体重が落ちた。最初は2キロほどで、その後さらに減った。絶えず押し寄せる寒さでまず手足が冷え、やがて骨の髄まで凍えた。たき火のそばにいても、冷たい雨がテントの中にまで降り込んでくるのだ。
数時間後、キャンプに戻って来たバグアレーロたちもびしょぬれで冷えきっていた。茂みのとげなどで両手は傷だらけだ。服を脱いで順番に火にかざすと、そこから湯気が立ちのぼった。アベリーノは黙って乾いた上着を私の肩にかけてくれた。後日、彼らの何が印象に残ったかと尋ねられた私は、「変わることのない、本能からくるやさしさ」と答えた。彼らの情け容赦ない仕事ぶりを目の当たりにすると、なおさらそのギャップに驚かされるのだ。
食う者と食われる者
野生化した牛を市場に運ぶのに、もっと簡単で楽な方法はないのかと思っていたが、森から姿を現した牛を見た途端、そんな甘い考えは吹き飛んだ。肉を消費する側とされる側の間には暴力が存在する。人間が中心の世界では、肥育場、家畜運搬車、食肉処理場といった施設がそれを包み隠しているが、この原野では、牛と人間はもっと対等に近かった。
カウボーイの一人、セバスチャンはこう言っていた。「バグアレーロは、人知の限りを尽くして牛に挑む。銃を使えば圧倒的に有利だが、丸腰となれば命を落としかねない」
1960年代、セバスチャンの大おじでこの土地を開拓した人物アルトゥーロは、泥炭地で牛に襲われたことがある。私たちが初日に通った場所だ。
馬を下りていたアルトゥーロは、丸腰で牛に立ち向かうことになった。牛の一撃で前歯を砕かれ、角で睾丸(こうがん)を切り裂かれた。仲間が空に向けて銃を撃つと牛は退散したが、アルトゥーロは血まみれだった。何とか馬の背に押し上げてもらって農園に戻ると、そこで船を待って、一番近くにあるプンタ・アレナスの病院に向かった。
医師たちは睾丸をすぐに切除しようと提案した。感染を起こせば死ぬのはほぼ確実だ。しかしアルトゥーロはそれを拒否し、看護師に頼んで傷口に塩を盛って覆ってもらった。そして、砕けた歯は入れ歯に替えて、男としてあるべき体の一部を失うことなく退院した。
果たして、そこまでする価値はあるのだろうか?
その答えは"そこまで"がどこまでなのか、また人生の何に重きを置くかによって変わってくる。安楽に暮らすのか、あえて苦難に飛び込むのか。生計の立て方も関係してくる。「祖先から受け継いだ土地を大切にしない者は、転落する運命にある。これは金の稼ぎ方というより生き方の問題だ」と、セバスチャンは言った。
今回の遠征の捕獲目標は50頭だったが、とても達成できそうになかった。悪天候が災いして、ほとんどの牛はサザランドのはるか西に移動していた。
2週間にわたる駆り集めの戦果は、雌牛6頭、雄牛数頭、子牛1頭。このほか、湖に逃げて溺死した雄牛が1頭、崖から落ちて宙づりで死んだ雌牛が1頭いた。キャンプには動物の死骸や肉の血なまぐさいにおいが立ちこめていた。
(文=アレクサンドラ・フラー/写真=トマス・ムニタ)
(日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2014年12月号の記事を基に再構成]
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