「自分らしさ」を見直せば、心の危機は抜け出せる
30代後半にもなると、女性の悩みはとてもシビア。予期しない病気、仕事の悩み、親の介護や死、子育ての悩み、そして不妊……。そうした体験をすることで、人は自分の手の中にあると信じていた可能性を一つ、また一つと手放すことになります。希望や可能性が失われていく中、欠落感を感じて身動きが取れなくなっていく……。
そんなミッドライフクライシス状態をどう迎えればいいのか、広島大学教授の岡本祐子さんにお聞きしました。
心の危機から抜け出すコツは「ポジティブな折り合い」
「ミッドライフクライシスでは、さまざまな喪失体験を通じて、『人生には限りがある』という事実を自覚し、受け入れることになります。若い頃に描いたビジョン通りの人生でなくても、その人なりに獲得したもの、力を注いだこと、よかったことがあるはず。『手に入らなかったものや、失ったもの』と、『獲得したものや、よかったこと』を天秤にかけて、『でもまあ、いい人生だった』と思えると、心の危機はある程度収まります。この『ポジティブな折り合い』が、ミッドライフクライシスの解決策と言えます」
しかし、人は自分の理想や希望に向かって、さまざまな選択を繰り返して大人になるもの。自分の価値観や選んできた道が間違っていたのではと思うからこそ、悩むのです。そんな中でポジティブに人生の折り合いをつけるのは、それほど簡単なことではありません。
「自分の人生にポジティブな折り合いをつけるためには、アイデンティティの組み替え・立て直しが重要なのです」
アイデンティティとは、「本当の私とは何か」と自分に問いかけた時に出てくる答えだと岡本さんは言います。例えば、「休日も仕事のことを考えるほど仕事が好きな私」とか「仕事はほどほどに、家族を大事にする私」「笑顔で人と接している自分」という人もいるでしょう。
しかし、ミッドライフクライシスでは、そのアイデンティティが揺らぎます。例えば、20代の頃はバリバリ働けた人も、30代後半になれば体力の衰えを感じるもの。すると、「徹夜もいとわず働くのが私の仕事のスタイルで、それが私らしさだ」という、それまでの価値観や仕事のスタイルをいつまでも続けることはできないと気付きます。これが、アイデンティティの揺らぎです。
その時、「では、今の私にとっての私らしさ、私らしい働き方とは?」と自分に問いかけ、出て来た答えが「組み替えたアイデンティティ」というわけ。
新たな「自分らしさ」を見つける方法とは
「アイデンティティの組み替えには、『自分らしさ』を深化させることが大切です。では、どうやって自分らしさを深化させるか。それには、主に4つの方法があります」
「簡単に言うと、仕事人としての自分らしさを深めたり、広げていくこと。得意分野や専門性を生かして自分の居場所を手に入れた人は、仕事を通したものの見方や価値観、自分なりのスタンスが身に付きます。こうした女性は、後進を育てることに新たな喜びを見いだすケースが多く、これが新たなアイデンティティになります。こうした『仕事人としての自分らしさ』の深まりと広がりが、職業アイデンティティの成熟なのです」
「自分の体験を社会に向かって還元したいという気持ちから行動することです。例えば、仕事などで得たスキルをボランティア活動に生かしたり、子育てを終えた専業主婦が働き始めるといったケースですね。家庭に重きを置く人生を選んだ女性には、こうした『社会化』によってアイデンティティの揺らぎを乗り切るケースが多く見られます」
「人は、世の中で『よい』とされている価値観に流されやすいもの。しかし、世間体を気にして価値観や生き方を選んでいると、本心が見えにくくなります。そこで、自分にとって最も価値のあるもの、一番大切な自分らしさを見極め、それ以外のものを潔く切り捨てる。一言で言えば、アイデンティティの純化です。例えば、有名企業への就職や収入アップなどを重視してきた人が、病気などをきっかけに『これからは自分が本当にやりたいことをやろう』と転職をする、といったケースもこれにあたります」
「それまでの人生を振り返ると、だれでも体験したこと、達成したことだけでなく、やり残した課題や、後回しにしてきた願望が出てくるもの。それらが統合された時、自分が打ち込んでいることの意義をより深く認識することができ、アイデンティティの揺らぎを脱することができます。私が出会った音楽教師を目指していた女性の例を挙げて説明しましょう。その女性が住む地域では音楽教師の本採用が何年もなかったため、彼女は結婚を機に臨時教員を辞めました。しかし、望んでいた子どもに恵まれず、夫婦の暮らしを大切にしようと思った矢先、夫の病気が発覚。郷里の父が病気になった時、十分に介護できなかったことを悔やんでいたその女性は、自宅で夫を看取りました。夫の死後も、ホスピスの患者を音楽でケアするボランティアを続けています。この女性のように、それまでの体験とやり残したことが有機的に統合されると、本当に意味のある生き方に思い至ります。そして、自分が打ち込んでいることに、より深い意義を感じるようになるのです」
自分はこれまでどう生きてきて、この先どう生きていきたいのか。自分らしさとは何か、それはこれから先も大切にしていきたいことなのか……。自分自身を時には広く、時には深く見つめること。それこそが、ミッドライフクライシスという暗い海で自分という船を漕ぎ進めるために、必要なのかもしれません。
広島大学大学院教育学研究科心理学講座教授。教育学博士、臨床心理士。青年期より中年期の発達と危機を中心とした、成人期のアイデンティティの発達臨床的研究に携わる。並行して臨床心理士として、子どもから高齢者までのカウンセリング・心理療法を実践。2012年8月、これまでのアイデンティティ研究・ライフサイクル研究の成果が国際的に認められ、アメリカ合衆国Austen Riggs Centerより、Erikson Scholarの称号を授与された。
(ライター 吉田渓)
[nikkei WOMAN Online 2014年6月23日付記事を基に再構成]
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