ライフコラム

けいざい半世紀

東京モノレール50年 車窓から見た湾岸開発史

2014/9/5

 大井競馬場前駅周囲の海だった場所は72年に東京都によって埋め立てられ、現在の大井ふ頭が誕生した。人口増加による住宅整備が求められ日本住宅公団(現都市再生機構)や東京都などが土地を取得し、81年に大規模な団地の建設が始まった。これが83年から入居が始まった八潮パークタウンだ。かつて海だった場所にまったく新しいまちが誕生した。

■高度成長、バブル・・・新しいまちが誕生

1983年3月、八潮団地方面を撮影した航空写真。左手にモノレールの路線が伸びているのが見える=しながわWEB写真館(品川区)提供
1983年3月、八潮団地方面を撮影した航空写真。左手にモノレールの路線が伸びているのが見える=しながわWEB写真館(品川区)提供

 「都市計画の中で水と緑を大事にするまちと掲げていたのが気に入って入居を決めた」。83年から住み続ける八潮自治会連合会元会長の水野谷育男さん(87)は振り返る。品川区民に入居の優先権を与えられていたものの、四国や鹿児島など全国各地からも集まったという。

 もっとも、新しいまちということもあり、不便なことも多かった。「道路が舗装されておらず、雨が降ると田んぼのようになった。バスの運行も現在と比べて少なく、モノレールだけが頼りだった」(水野谷さん)。

 時代は平成に変わり、92年に開業したのが天王洲アイル駅だ。外国の軍艦に備えて江戸幕府が作った台場の跡地だったこの地区は倉庫や石油の備蓄タンクが立ち並んでいたが、85年に地権者らが総合開発協議会を結成、新たなまちづくりがスタートした。

 石油の備蓄タンクなどは取り除かれ、新たなオフィスビルが次々と建設された。コンサルタントとして天王洲再開発に携わったアール・アイ・エー(東京・港)専務の砂金宏和さん(61)は「モノレールの新駅開業が開発の前提にあった」と話す。当初の計画は駅付近だけだったが、バブルを挟んだ時代背景もあり、地域全体の開発へ広がったという。

 開発が進んだ天王洲は今や就業人口2万人以上のまちに生まれ変わった。品川に近く、天王洲に住む人も増え、モノレールは通勤・通学の足として使われるようになった。

 90年代後半にはモノレールに強力なライバルが現れた。98年、京浜急行電鉄が延伸され羽田空港に直接乗り入れるようになった。モノレールは強敵に顧客を奪われ、京急延伸前の97年度に6520万人だった輸送人員は翌年5390万人に減少、その後も輸送人員の低迷に苦しむ。

 京急の参入はモノレールの経営にも大きな影響を与えた。同社は日立物流の完全子会社だったが、競争が激化したことで東日本旅客鉄道(JR東日本)との連携強化が必要と判断。JR東日本もモノレールを傘下に置くことで利用客の増加が見込めるとみて、2002年2月に日立物流保有株の70%を取得した。こうしてモノレールはJR東日本のグループ企業として新たなスタートを切った。

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