ライフコラム

けいざい半世紀

東京モノレール50年 車窓から見た湾岸開発史

2014/9/5

 東京五輪が開催された1964年は今の日本の原型を形作る交通インフラや新サービス、新商品が産声を上げました。東海道新幹線が開業、首都高速道路の整備が進んだのもこの年です。新コラム「1964年~ ニッポンの大いなる助走」は50年前のあのころをスタートラインとして次の50年、日本が駆けていく先を読み解きます。

 東京五輪開催目前の1964年9月に開業した東京モノレール。都心と羽田空港を直接結ぶ交通機関として日本から海外に旅立つ人や日本を訪れた外国人を50年間運び続けてきた。その間に沿線では開発が進み、海だった場所に新たな町ができるなど、車窓から見た風景は変化を続けてきた。高度成長、バブル期、現在と続く変遷は50年の日本の縮図ともいえる。

■五輪に向け急ピッチで整備

開業間もない浜松町駅付近でモノレールと同年開業の新幹線が交差している。まだ高層ビル群も見られない=東京モノレール提供
開業間もない浜松町駅付近でモノレールと同年開業の新幹線が交差している。まだ高層ビル群も見られない=東京モノレール提供

 64年9月17日、東京五輪開幕まで23日と迫ったこの日、東京モノレールが開業した。それまで都心から羽田空港に向かうには車を使うしかなく、慢性的な道路渋滞もあり「1~2時間程度かかっていた」(東京モノレール)。訪日客の増加が予想される中、空港アクセスを改善すべく計画されたのがモノレールの開設だった。

 当初は新橋―羽田間での開業を目指したものの、騒音問題などで地域の理解を得られず、土地の買収が難航。五輪に間に合わせるため浜松町―羽田間に計画を変更した。工事着工は開業前年の63年5月。突貫工事の末、五輪開幕前に開業にこぎ着けた。モノレール開業は「日本の交通革命」とも称され、五輪効果と都心に初めて出現した本格的モノレールという物珍しさも手伝い、休日には浜松町駅に長蛇の列ができるほどの人気ぶりだった。

 同社OBの宮崎紘一さん(69)は開業前日に開かれた出発式で、車体を花で飾った「花電車」を運転した。宮崎さんは当時の熱狂ぶりを「土日は家族連れでいっぱいだった。空港で世界各国の飛行機を見ることができ、飛行機に乗るというよりも空港を見物しに行く人が多かった」と振り返る。

 だが、人気は長続きしなかった。五輪終了後の不況により航空旅客が減少したのに伴い、モノレールの乗客も急速に減少した。片道運賃が250円とほかの交通機関に比べ割高で4人でタクシーに乗ればモノレールより料金が安いことも痛手だった。66年には早くも150円への値下げを迫られた。

開業当時の映像。現在とはかなり異なる沿線風景が映っている

開業当時の映像。現在とはかなり異なる沿線風景が映っている

 開業当時の駅は浜松町と羽田しかなく、沿線の風景も現在とは全く違った。東京湾の埋め立てが進んでおらず、路線の多くが海の上を走っていた。宮崎さんは「浜松町を出て天王洲の辺りから路線の左側はほとんど海だった」と話す。海の上をさっそうとモノレールが走る様は「まるで空を飛んでいるよう」と形容されたという。

 初の中間駅として誕生したのが大井競馬場前駅だ。開業翌年の65年5月に大井競馬と当時開催されていたオートレースの客を運ぶため、開催日のみ営業する仮設駅として競馬場近くの海上面に駅舎を造り、67年6月からは常設駅として営業を始めた。現在は橋を渡った先に野球場などがある大規模公園や大規模マンションが立ち並ぶ住宅街が広がっているが、開業当初はまだ埋め立てられていなかった。

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