ライフコラム

けいざい半世紀

小田急vs西武「箱根山戦争」が生んだ海賊船の50年

2014/8/30

 最初の東京五輪が開催された1964年は今の日本の原型を形作る交通インフラや新サービス、新商品が産声を上げました。東海道新幹線が開業、首都高速道路の整備が進んだのもこの年です。新コラム「1964年~ ニッポンの大いなる助走」は50年前のあのころをスタートラインとして次の50年、日本が駆けていく先を読み解きます。

 関東エリアを代表する観光地・箱根。その中でも奥まった「芦ノ湖」をゆっくり巡る船旅は箱根観光のハイライトだ。中世ヨーロッパの帆船を模造した「海賊船」が芦ノ湖に就航してから半世紀。今もスタート時と変わらずに子どもたちの人気を集めている。

「五島慶太」VS「堤康次郎」

芦ノ湖の海賊船からは富士山を見ることができる

 箱根の戦後史は企業戦争の歴史でもある。1947年(昭22年)からの五島慶太会長を頂点とする東急・小田急グループ(当時)と、堤康次郎会長率いる西武グループとの争いは「箱根山戦争」と呼ばれ、今も語り草になっている。西武系のバス路線申請に続いて50年には小田急系が「箱根観光船」を設立。競争がエスカレートしていった。両陣営のトップがそれぞれ「強盗慶太」「ピストル堤」といった異名を持つカリスマ経営者だっただけに注目を集め、朝日新聞が作家・獅子文六氏の「箱根山」を連載したほどだ。この小説には「関東急行」「西郊鉄道」という名の企業が登場する。

 箱根観光船の高橋一雄元常務(81)は「西武系の有料道路に小田急のバスは通さない、訴訟合戦は次々起こる、小田原駅前でも観光客を奪い合う……。自分もハイヤー買収などを担当した。どんなささいな分野でも競り合っていた」と振り返る。「西武の堤さんが芦ノ湖に来ると50人くらいが整列して出迎える。大変な権勢だとも思った」(高橋氏)。

 しかし小田急系がロープウエーを開通し、神奈川県が道路を買収して61年から一般開放していくと「戦争」は終結に向かう。小田急電鉄の安藤楢六社長は「私の履歴書」で「堤さんのねらいは箱根を独占し小田急を乗っ取ることにあった」としている。それでも最後は安藤社長の手を取って「もう、けんかはよそうや」と言ったという。堤氏が死去したのは64年。一方の東急の五島氏は59年に亡くなっていた。

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