有森裕子 無月経に苦しむ女性アスリートをなくしたい
寒い日が続きますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか? 世界保健機関(WHO)が新型コロナウイルス感染拡大の緊急事態を宣言してから、約1年がたちました。マスクをつけることが日常になり、さまざまな生活様式が変わる中で、マラソンのスタイルも変化を遂げています。
1月31日に開催された大阪国際女子マラソンでは、観客が集まらないように、公道ではなく長居公園内のアップダウンのない周回コース(約2.8km×15周)が採用されました。さらに、日本記録(野口みずきさんが2005年のベルリンマラソンで出した2時間19分12秒)を狙うために、川内優輝選手(あいおいニッセイ同和損保)ら4人の男子選手がペースメーカーを務めるなど、今までのマラソンとは違う異例のスタイルになりました。
私も解説者として参加したこの大会は、東京五輪マラソン女子代表の前田穂南選手(天満屋)や一山麻緒選手(ワコール)が参戦することでも注目されました。レースはスタートからハイペースの展開となり、14km付近で前田選手が脱落してからは、一山選手の一人旅に。中盤以降、日本記録ペースから遅れて残念ながら新記録には至らなかったものの、一山選手が大会記録を7秒更新する2時間21分11秒で優勝し、2位に入った前田選手も、一つの目標であった自己ベストを更新しました。
ラスト1周でトラックレースのように鐘が鳴るなど、今までにないスタイルのマラソンを楽しんでくださった視聴者の皆さんも多かったのではないでしょうか。コロナ禍でスポーツを取り巻く環境が変化する中で、最大限できることを考えながら、少しでもランナーが実力を発揮できるように主催者が大会を構築していることが分かった特例であり、前例にもなり得るものだと思います。
女性アスリートが直面する「貧血」や「無月経」の問題を議論
さて話は変わりますが、昨年(2020年)12月に「第1回学生スポーツありもり会議」を開催しました。これは、私が副会長を務めるUNIVAS(ユニバス;一般社団法人大学スポーツ協会)[注1]が主催したオンラインイベントです。アスリートが抱えるさまざまな課題に対して、毎回、元トップアスリートや大学教授、医師、専門家などのゲストをお招きし、ディスカッションをしながら学生スポーツの課題解決のためのヒントを探っていきます。学生アスリートたちが安心・安全に競技に取り組める環境を作っていくことを目的としています。
記念すべき第1回のテーマは、「女性アスリートがコンディションを整え・維持していく上での課題の共有と対策」で、東北から九州にかけて30人(14大学、13競技)の女子学生が参加しました。ゲストに、元陸上長距離選手で順天堂大学スポーツ健康科学部教授・同大学女性スポーツ研究センター副センター長の鯉川なつえさんと、同大学の講師で、元陸上競技女子円盤投げ・ハンマー投げ選手の室伏由佳さんをお招きし、専門家の視点からのお話と、アスリート時代のエピソードや経験に基づいたアドバイスをいただきました。
[注1] 学生、大学、競技団体等の主体的な活動を支援し、大学スポーツをさらに大きく発展させるための活動を担うために2019年3月1日に創設された組織。
ディスカッションの内容は、やはり「貧血」や「月経痛」「PMS(月経前症候群)」「無月経」など、婦人科系の不調や体調管理の問題がメインに。激しいトレーニングで体を酷使する女子の長距離選手は特に、無月経になることが少なくありません。女性ホルモンが低下して妊娠しづらくなったり、骨密度が低下してケガにつながりやすくなったりするケースもあります。
また、白飯を極端に減らすなどの誤った食事制限がもとで、月経が止まってしまう選手もいます。残念ながら、勝利至上主義に走り、「体重さえ軽くなれば走れる」といった間違った認識で選手に減量を促し、過剰に管理しようとするコーチもいました。もちろん、明らかに太っていれば速く走ることはできませんが、しっかり筋肉をつけてケガを防ぎながら全力で練習に取り組むためには、炭水化物を抜いて食べる量を極端に減らすような食事ではなく、栄養バランスが整った食事を3食しっかり取ることが重要になります。自分の体をいたわり、大切にして初めて、十分な力を発揮して走ることができるのです。
「月経」について話しにくい状況を変えたい
昨年、32歳で女子1万メートルの日本記録を塗り替え、東京五輪代表の切符を勝ち取った新谷仁美選手(積水化学)も、7年前は体重40kg・体脂肪率3%という見るからに細い体形で、無月経だったといいます。彼女は自身の経験から、女性アスリートの「無月経問題」について記者会見で積極的に発言し、警鐘を鳴らしましたが、日本では月経などの女性特有の健康問題について、公の場で話しにくい風潮が見受けられます。また、男性アスリートが多い大学スポーツの現場では、こうした女性アスリートの問題に真剣に取り組む姿勢や機会がなかったようにも思います。
しかし、月経の話は女性が健康的に過ごす上で非常に大事です。今回の「学生スポーツありもり会議」で室伏さんは、トレーニングで体を酷使しながら貧血や子宮内膜症などに悩まされ、卵巣内の嚢胞(のうほう)を摘出する手術を受けた経験談を話してくださいました。非常に真実味があり、早くから自分の体を知り、自分の体に意識を向けていくことの大切さが、学生たちに伝わったと思います。
同時に、人に言いにくい、聞きにくい話こそ、積極的に話せる場を設けることは大事だと、今回の会議を開いて改めて感じました。全国の大学スポーツに関わる人の意識の変化につながればといいなと思っています。
コーチと選手のコミュニケーションの悩みも
今回は、男性がいると話しにくい女子学生も多いと思ったので、男性の指導者やトレーナーなどは参加者から除外させていただきました。しかし、婦人科系の正しい知識を持ちたいと思っている指導者は男性にも多いはずです。今後はどこかのタイミングで、男性の指導者なども交えて正しい月経や食事に関する情報を共有し、練習のあり方や競技との向き合い方について話し合ったり、競技者の前に1人の女性、人間であることを認識できたりする場を持てればと考えています。
また、婦人科系の話だけではなく、女性選手は、男性コーチとのコミュニケーションの取り方に悩んでいることもあるようです。選手だけでなく、女性アスリートにどう接していいか分からない男性の監督やコーチもいると思います。「伝えたいことをきちんと伝えるにはどうすればいいのか」「どんな言動がセクハラやパワハラにつながるのか」など、両者の悩みや考えを聞いて、最適な方法が見つかる場にもなればいいと思います。
今後、この「学生スポーツありもり会議」を2回、3回と定期的に開いていくことで、1人でも多くのアスリートが少しでも長く競技を続け、引退後も健康に過ごせるように、また次の世代のアスリートも競技が続けやすいように、尽力していきたいです。
(まとめ 高島三幸=ライター)
[日経Gooday2021年2月9日付記事を再構成]
元マラソンランナー(五輪メダリスト)。1966年岡山県生まれ。バルセロナ五輪(1992年)の女子マラソンで銀メダルを、アトランタ五輪(96年)でも銅メダルを獲得。2大会連続のメダル獲得という重圧や故障に打ち勝ち、レース後に残した「自分で自分をほめたい」という言葉は、その年の流行語大賞となった。市民マラソン「東京マラソン2007」でプロマラソンランナーを引退。2010年6月、国際オリンピック委員会(IOC)女性スポーツ賞を日本人として初めて受賞した。
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