海鳥が森の自然にかかわるの? 無人島で考える鳥類学
森林総合研究所 鳥獣生態研究室 川上和人(2)
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鳥類学者である川上和人さんが所属する森林総合研究所は、文字通り、森林について総合的な研究をするのを目的にした研究所だ。
そこに「鳥類」をテーマにする川上さんがいるというのはどんな理由なのか、あらためて聞いておきたい。川上さんがまるで探検家のような装備で小笠原の島々を訪ねることも、まさにそのことが関係しており、川上さんが一種独特なトーンで「鳥ってすごい!」を連発する秘密にも迫れるのではないかと思う。
「もともとこの研究所は農林水産省林野庁の林業試験場で、林業の研究をするところだったんです。その中に、鳥獣の研究室がありました。今でこそ、鳥獣業務というと、環境省のイメージが強いですが、もとはといえば、農林水産省の管轄だったんですね。鳥獣保護法も、もともとは狩猟のために作られたので、昔の鳥獣研究室は、狩猟対象の鳥の増殖のためにキジですとかヤマドリの人工繁殖なども手がけていました。うちには、鳥の標本がたくさんありますけど、そのほとんどは、当時の農林省鳥獣調査室により、大正時代とか昭和初期に採られたものです。そういった意味では、歴史は長いんです」
ということは、森林の研究所で鳥を扱うのは、正統にして王道なのだろうか。ちょっと違和感があるのだが、実際、この研究所の中心的な課題は、やはり林業に直接かかわるものだ。
「鳥って、林業にとっては、毒にも薬にもならないんです。動物ですと、ネズミとかウサギとか獣害をもたらすものは注目されますし、木材に害を与えるような昆虫も同じです。でも、鳥はプラスにもマイナスにもならない。ところが、林業試験場が森林総合研究所に変わったのが、1つ象徴的な出来事で、今は林業だけではなくて、森林全体を扱っていくことになりました。林業で利用するだけではなく、やっぱり森林の管理や保全をやっていくことになります。そして、保全の中には生態系の中のパーツとして鳥も入ってくるわけです」
では、生態系の中のパーツとしての鳥というのは、どんなものだろう。
ぱっと思い浮かぶのは、「種子の散布」だ。鳥に食べられた果物の種が運ばれて、フンとして地上に落ち、芽吹く、といったイメージ。
「もちろん、それもあります。でも、僕がよくやっている研究は、海鳥でして、林野庁で海鳥とは何たることかというふうによく思われがちなんです。海鳥っていうのは、実は海で食べ物は食べますけども、巣をつくって繁殖するのは森林とか、陸地です。僕が扱ってるのは、まさに林野庁が所管する国有林の中で繁殖しているような鳥たちなんです」
ここで、川上さんの立場にすーっと筋が通った。
森林総合研究所で鳥を研究する川上さんは、所轄の林野庁が管理する国有林の中で繁殖する鳥たちを研究している。その中には、海鳥もいる。そういう話である。
「鳥が持っている生態系の中での機能として、種子の散布や、花粉を運ぶことのほかに昆虫を食べるというのもありますね。ある昆虫が増えすぎないようにする。また、森で営巣する海鳥の場合、フンをすることも大きいんです。海で魚やイカなどを食べて、陸でフンとか尿とかをすることによって物質を循環させる機能です。海鳥がいる場合と、いない場合では、物質循環が変わってくるんです」
だんだん話が大きくなってきた。
海鳥は、海で食べて、陸でフンをし、海の物質を陸上に持ってくる。窒素やリンというのは、つまり、そのまま肥料であり、森の成長に大きな役割を果たしているに違いない。
川上さんにとっての小笠原の島々は、まさにこういったことを研究する場でもある。
「格好のフィールドがあります。小笠原諸島に南硫黄島という島があって、急峻な地形のせいで、これまで人が定住したことがありません。一方で、近くの北硫黄島には戦前に人間が50年間ほど住んだことがあって、そのためにネズミが入りました。結果、海鳥であるミズナギドリの仲間が全部いなくなっているんです。同じような地形の環境なので、海鳥がいる物質循環と、海鳥がいない物質循環を比べることができるんです。南硫黄島の調査は10年に1回なんですけど、前回は2017年で、いろいろサンプルを取ってきたところです」
南硫黄島の調査は、東京都、首都大学東京、日本放送協会が協定を結んで行ったもので、川上さんは「鳥担当」として、2007年に続き2度めの参加となった。2017年の調査について、研究成果が出るのはこれからだが、すでに東京都が速報を出している。それによれば、ランの新種(ラン科クモキリソウ属の一種)、陸貝でおそらくは新種の1種(リュウキュウノミガイ属の1種)、かつて記録されたことがあるがその後見つからなかった昆虫(ミナミイオウスジヒメカタゾウムシ)など、発見が相次いだ。
鳥類に関しては、ドローンを使った調査で、アカアシカツオドリの集団営巣地を国内で初確認した。以前から、崖上の木々に多数の個体がとまっているのは確認されていたが、今回の調査ではドローンを使うことで、近くからの撮影に成功し、営巣しているのが確認できたのだった。
こんなふうに、新発見、再発見、営巣の確認などが相次ぐ調査というのは、滅多に立ち入ることができない隔離された無人島ならではだ。19世紀の博物学時代を思わせる。ちょっと血湧き肉躍るかんじがする。
実際、この調査は、かなり本格的な探検風味がある。
「船をチャーターしていって、ゴムボートをおろして岸の近くまで行くと、あとはウエットスーツを着て泳いで上陸します。先に上陸した泳力のある隊員がロープを張ってくれるんですが、それでも、ヒヤヒヤですね。上陸したところは狭い海岸で、数十メートル先からは崖みたいな斜面です。そこにテントを張るので、眠る時にも落石対策にヘルメット着用ですね」
写真を見せてもらったが、海から切り立った山の裾に、ほんの申し訳程度に顔を出している平坦な場所だ。満潮時にはかなりのところが沈んでしまうだろう。ごろごろと大きな石が転がっており、場所を慎重に選ばないと寝心地も良さそうではない。いや、ベースキャンプの居心地はともかく、はたして、この急峻な島をどうやって調査するのだろうか。 「山岳班がちゃんといまして、ルート工作をします。研究者はそれに従って登るんですけど、クライミングの訓練はやっぱり全員必要です」
なるほど、川上さんの研究室にあるハーネスやエイト環などのクライミング用品は、まさにそのためのものだったのだ。まずは体力勝負の現場の様子が透けて見える。
ここで、川上さんたちは、生態系の中での海鳥の機能を知るべく、数々の動植物をサンプリングしてきた。植物と聞いて驚いた人は、これが「生態系の話」だということを忘れている。鳥の話をしつつ、常に全体を俯瞰するのが生態学の醍醐味だ。
「例えば植物を調べると、南硫黄島では海由来の栄養分がたくさん含まれているんじゃないかと思うんです。我々がふだん見ているような父島とか母島ですと、海由来の物質循環が断ち切られて、陸上での光合成由来のものだけで回っていて、要するに陸地の中で完結していると思います。それが南硫黄島では植物だけではなくて、昆虫はどうだ、トカゲはどうだっていうのを全部分析してあげようと思っていて、今、サンプルを整理しているところです」
ちなみに、海由来の物質か陸由来の物質かを確定するためには、同位体分析を使う。同じ窒素や炭素、硫黄などでも、由来が違えば含まれている同位体の割合が違うので、それを手がかりにする。
これから公表されるであろう成果が楽しみだ。
=文 川端裕人、写真 内海裕之
(ナショナル ジオグラフィック日本版サイトで2018年3月に公開された記事を転載)
1973年、大阪府生まれ。鳥類学者。農学博士。国立研究開発法人森林研究・整備機構森林総合研究所 鳥獣生態研究室 主任研究員。1996年、東京大学農学部林学科卒業。1999年に同大学農学生命科学研究科を中退し、森林総合研究所に入所。2007年から現職。『鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。』(新潮社)、『鳥類学者 無謀にも恐竜を語る』『そもそも島に進化あり』(技術評論社)『外来鳥ハンドブック』(文一総合出版)『美しい鳥 ヘンテコな鳥』(笠倉出版社)などの著書のほか、図鑑も多数監修している。
1964年、兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。文筆家。小説作品に、肺炎を起こす謎の感染症に立ち向かうフィールド疫学者の活躍を描いた『エピデミック』(BOOK☆WALKER)、夏休みに少年たちが川を舞台に冒険を繰り広げる『川の名前』(ハヤカワ文庫JA)、NHKでアニメ化された「銀河へキックオフ」の原作『銀河のワールドカップ』(集英社文庫)とその"サイドB"としてブラインドサッカーの世界を描いた『太陽ときみの声』『風に乗って、跳べ 太陽ときみの声』(朝日学生新聞社)など。
本連載からのスピンアウトである、ホモ・サピエンス以前のアジアの人類史に関する最新の知見をまとめた『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』(講談社ブルーバックス)で、第34回講談社科学出版賞と科学ジャーナリスト賞2018を受賞。ほかに「睡眠学」の回に書き下ろしと修正を加えてまとめた『8時間睡眠のウソ。 日本人の眠り、8つの新常識』(集英社文庫)、宇宙論研究の最前線で活躍する天文学者小松英一郎氏との共著『宇宙の始まり、そして終わり』(日経プレミアシリーズ)もある。近著は、「マイクロプラスチック汚染」「雲の科学」「サメの生態」などの研究室訪問を加筆修正した『科学の最前線を切りひらく!』(ちくまプリマー新書)
ブログ「カワバタヒロトのブログ」。ツイッターアカウント@Rsider。有料メルマガ「秘密基地からハッシン!」を配信中。
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