三浦雄一郎さん 重症メタボから70歳エベレストへの道
冒険家の攻め抜く健康法(上)
新しい年を迎え、「今年こそ脱メタボ」「目標達成のために動き出そう」と気持ちを新たにしている方も多いだろう。そんな気分を後押ししてくれそうな、世界的冒険家でプロスキーヤーの三浦雄一郎さんによるお話を2回に分けてお届けする。
記事は、2019年11月、「北里研究所病院 予防医学デー フェスティバル2019」の記念シンポジウムにおける三浦さんの講演をまとめたものだ。80歳のエベレスト登頂から6年半。87歳となった三浦さんが振り返る、70歳、75歳、80歳での3回のエベレスト登頂とは? 重度のメタボだった65歳当時から振り返り、ユーモアを交えながら話す講演会場は笑いにあふれていた。
65歳、検査から逃げ回っていた日々
三浦さんは1970年、37歳のときにエベレスト8100メートル地点からのパラシュート直滑降、1985年、世界初の7大陸最高峰[注1]からのスキー滑降を達成するなど、数々の記録を打ち立ててきた。
快進撃はシニアになっても続く。2003年、70歳でエベレスト登頂、2008年に75歳で再登頂、2013年に80歳で再々登頂し「エベレスト史上最高齢登頂記録」を3度更新した。2019年1月にも南米最高峰アコンカグア登頂とスキー滑降に挑戦。惜しくも登頂は果たせなかったが、その勢いは衰えることがない。
輝かしい足跡を知ると、さぞや若いときからストイックな鍛錬を積み重ねてこられたに違いない、と思ってしまうが、実は三浦さんは7大陸最高峰滑降成功後、目標を失い、不摂生な生活を送って重症のメタボに陥っていた時期があったという。
「そもそも私がエベレストに登りたい、と最初に思ったのは20歳のときです。北海道大学獣医学部に通学しましたが、大学をさぼって山登りをしたりスキーで滑ったり。おかげで試験もよく滑っていました(笑)。5月に春スキーのシーズンが終わり、『そろそろ学校に帰ろう』とスキー板を担いで札幌に帰ったら、『とうとう、イギリス隊のエドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイが人類初のエベレスト登頂を果たした』というニュースで世間は沸いていました」(三浦さん)
世界最高峰8848メートルのエベレストにいつか登ってみたい。そう思った三浦さんはそれから50年後の70歳から立て続けに3回のエベレスト登頂を果たしたわけだが、そのきっかけとなったのが、65歳のときの「メタボ宣告」だったという。
「65歳、そろそろ冒険の世界からは足を洗おうかな、と思っていました。当時、世界的冒険家の植村直己さんが行方不明となり、天才的なクライマーといわれた加藤保男さん、長谷川恒男さん、山田昇さんと、名だたる登山家が亡くなるという出来事が重なった時期でした」(三浦さん)
[注1]オーストラリア大陸最高峰コジオスコ、北米大陸最高峰デナリ(マッキンリー)、アジア大陸最高峰エベレスト、アフリカ大陸最高峰キリマンジャロ、南極大陸最高峰ヴィンソン・マシフ、ヨーロッパ大陸最高峰エルブルース(エルブルス)、南米大陸最高峰アコンカグア。
当時、三浦さんは暴飲暴食の日々を送っていた。「(自宅のある)札幌はごはんがおいしくて、ジンギスカンの飲み放題、食べ放題に通っていました。運動は、散歩程度のウォーキング。体重は増える一方で、身長164cm、体重86キロ。階段を上るのもふぅふぅと息が切れる始末です」(三浦さん)
生活習慣病の疑いが濃厚なのはわかっていたが、冒険家、登山家という肩書きが邪魔をした。
「『プロスキーヤーなのに、生活習慣病だなんて恥ずかしい』と思い、検査を受けることから逃げ回っていたのです。しかし、どうにも膝が痛いので札幌から1時間離れた場所にある知人医師の病院で検査を受けました。結果は赤い数字の異常値だらけ。血圧は上が190mmHg、糖尿病、脂質異常症。腎臓の数値も悪く、今年中には人工透析が必要になるレベル。医師からは『こんなひどい数値だと、あと3年生きられたらいいほうだ』と言われたのです」(三浦さん)
「このままでは余命3年」と言われ奮起
余命3年と言われるほどの重症メタボ。原因は飲み過ぎ、食べ過ぎ、運動不足にあるのは明らかだった。
「何か目標を立てて改善しなくては…と思いましたが、『ただ運動するのはつまらない』とも思いました」(三浦さん)
一方で、同じく冒険スキーヤーだった父の三浦敬三さん(享年101歳)が、当時、3度の骨折を乗り越え、99歳でモンブラン山系ヴァレブランシュ氷河からのスキー滑降、という夢を実現した。
「普通、90歳を超えてスキーをして、足の骨を3度も折ったら家族は『やめなさい』と言いますよね。でも、人間の気持ちって不思議な力を持っているもので、とうとう父は骨折を治して夢をかなえてしまった。こんなおやじがいるもんですから(笑)、『おれもまだ60代半ば、黙っていられない!』と思ったんです。おやじがモンブランなら、おれはエベレストに登ってやる! 今考えても、むちゃくちゃな目標です」(三浦さん)
エベレストを目標に定め、試しに札幌市内の自宅近くにある藻岩山(標高531メートル)を登ってみたという三浦さん。軽い運動靴を履き、ペットボトル2本を持ち、ゆっくりと登山道を登りはじめたが、5分もしないうちに息切れし、脂汗が出る。
「今日はもうダメだ」――。イスにがっくりと腰掛け、立ち上がる元気もなかった。「こんな姿を知り合いに見られたらみっともない」と野球帽を目深にかぶり、とぼとぼと登山道を引き返したという。
500メートルの山も登れないくらい体力が低下していたことを実感し、気が遠くなったという三浦さん。ところが三浦さんは気持ちを切り替える。
「僕はもともと性格的に、いい加減、無責任、楽観主義なんです。何とかなる、何とかしてみよう、と思ったんです。ただ、何とかする前にメタボを治さないといけない(笑)」(三浦さん)
守りの健康法から、攻めの健康法へ
三浦さんは、健康法には2種類あると説明する。まず、守りの健康法。現状を維持するために、早寝早起きやウォーキングなどを無理のない範囲で行うものだ。しかし、それではエベレストには登れない。
「守りとは反対の、攻める健康法をやってみようと考えました」(三浦さん)
目標の70歳まで、あと5年。筋力を高めるために、三浦さんは両足首に重りをつけ、重りを入れたリュックサックを背負い生活することにした。
1年目は片足に1キロずつ、背中に5~10キロの重み。3年目には片足5キロずつ背中に25キロ。最終的には片足10キロずつ、背中に30キロの合計50キロの負荷をかけ、トレーニングに励んだ。気がついたらメタボはすっかり完治し、足腰の力も復活。2003年、70歳の史上最高年齢でエベレスト登頂を成し遂げたというニュースは日本だけでなく世界を駆け巡った。
続いて、三浦さんが掲げた目標は、75歳、80歳での再登頂。それぞれの挑戦で乗り越えた、心臓手術、骨盤骨折といった身体的な「ハードル」については、次回記事「三浦雄一郎さん 大骨折、病床からはい上がった最高峰」で紹介していく。
(ライター 柳本操、カメラマン 菊池くらげ)
プロスキーヤー、クラーク記念国際高等学校校長。1932年青森市生まれ。64年イタリア・キロメーターランセ日本人初の参加。66年富士山直滑降。70年エベレスト・サウスコル8000m世界最高地点スキー滑降(ギネス認定)。85年世界7大陸最高峰スキー滑降完全達成。2003年次男・豪太氏とエベレスト登頂、当時の世界最高年齢登頂記録(70歳7カ月)樹立。08年75歳で2度目、13年80歳で3度目のエベレスト登頂(世界最高年齢登頂記録更新)。
[日経Gooday2019年11月29日付記事を再構成]
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