「ひどい味の酒」から7年 南ア初黒人女性醸造家の道
「ひどい味だわ!」
初めて口にした赤ワインに、南アフリカのステレンボッシュ大学でワインの醸造を学ぶことになったヌツィキ・ビエラさんは、思わず心の中でつぶやいた。同国東部のクワズール・ナタール州出身のビエラさんは、それまでワインを飲んだことがなかったのだ。ワインをふるまってくれた男性はきれいな赤い液体をグラスに注ぎながら、その酒の特徴であるプラムなど果実を思わせる豊かな味わいについて説明してくれた。
「すてきな体験になると思ったのに、とても渋くて。その頃は、甘いお酒がおいしいと思っていたんです」(ビエラさん)。1999年のことだ。しかし、たった7年後、彼女が手掛けた初めてのワインは同国の品評会「ミケランジェロ・インターナショナル・ワインアンドスピリッツ・アワード」で金賞を受賞。さらに2009年、彼女は同国の「ウーマン・ワインメーカー・オブ・ザ・イヤー」(年間最優秀女性醸造家)に輝く。そこには、どんなドラマがあったのだろうか。
ビエラさんは、母が家を離れ働きに出ていたことから、祖父母に育てられた。高校卒業後は、クワズール・ナタール州の大港湾都市であるダーバンに働きに出たという。ズールー語を母語としていたビエラさんは、英語の習得をはじめ、これまでにない経験と可能性を探求できる環境を求めたのだ。
そこで、南アフリカ航空によるワイン醸造学の学生のための奨学金に応募する機会を得、見事合格。「何しろ、ワインと聞いて最初は『サイダー(リンゴ酒)』のことだと思っていましたから、ワインの勉強をしたかったわけではなかった。人生を前に進めるためにそれ以外に選択肢がなかったんです」と笑うが、そこには、「与えられたチャンスは必ずつかみ取る」という強い意志が感じられる。
しかし、大学に通い始めると想像を超える苦難が待ち受けていた。「言葉」の問題だ。ステレンボッシュ大学のワイン醸造学の授業は、すべて南アフリカの白人の言葉であるアフリカーンスで行われていたのだ。そのため、この言語を学ぶ一方で、正規の授業とは別の時間に再び、同じ内容を大学院生に英語で教えてもらったという。その上、ビエラさんは週末にはワイナリーで働くことに決めた。「大変でしたが、ワイナリーで働いたおかげで醸造学の理解がぐっと進みました」と彼女は振り返る。
近年、注目を集める南アフリカのワインには、実は350年以上の歴史がある。しかし、長年続いたアパルトヘイト(人種隔離政策)のため各国の輸入規制があったことなどからワイン産業が停滞。94年に同政策が終わりを告げ、ワインの輸出が再開されてから世界で日の目を浴びるようになった。
同国のワインの魅力は、フランスをはじめとするヨーロッパの「旧世界ワイン」と南米やオセアニアのような「新世界ワイン」の特徴を併せ持っているところだとビエラさんは言う。つまり、重厚な旧世界ワインの味わいと果実味豊かな新世界ワインの両方の性格が感じられるというわけだ。
彼女が最初にワインをおいしいと思ったのは、学生時代に働いていたワイナリー、デルハイムにてだ。ワインのテイスティングをする中、「驚いたことに、シラーズ種の赤ワインがおいしいと思ったんです」とビエラさん。「そのときは、最初に甘口のワインを飲んでから、辛口から甘口へと味わいの異なるワインを飲ませてくれました。飲み手をどう導くかで、おいしさが違ってくるんです」
大学を卒業後、04年にビエラさんは新興ワイナリーであるステレカヤで醸造家の職を得る。醸造責任者のサポートをする職務に就くはずだった。ところが、ワイナリーに行くと、高齢だった醸造責任者は「僕は引退するから」と去ってしまい、いきなり一人で醸造を担当しなければならなくなったという。
必要な知識を得るため、彼女は南アフリカの有名ワインガイド『プラターズ・ワインガイド』を開き、頼る先を必死に探したという。老舗ワイナリー、ネダバーグの醸造家にも頼ったことがあるそうだ。実はそれまで、同国には黒人女性の醸造家はいなかった。同窓生に醸造学を学ぶ黒人女性はいたが、みなワイナリーのアシスタント職に就いたり、別業界に就職したり……。業界に、黒人女性にとって大きな壁があると感じていたからだ。しかし、ビエラさんはこの経験を通し、「助けを求めれば、人々は手を差し伸べてくれる」と思ったそうだ。
それから、ビエラさんの驚きの快進撃が始まる。06年には、南アフリカの初の黒人女性醸造家として彼女が手掛けた初めてのワインがリリースされた。そしてなんと、その中の1つ、カベルネ・ソーヴィニヨンとメルロー、そして同国の固有種ピノタージュをブレンドした赤ワインが、冒頭の品評会で金賞に輝いたのだ。「子どもの頃から才能の兆しがあったのでは」とビエラさんに聞くと、祖母の伝統的な自家製ビール造りを手伝う度に、周囲から「いい手を持っている」と褒められたそうだ。
また、「ワインのことをまるで知らず先入観がなかったことや好奇心旺盛な性格がワイン造りに影響していると思う」と話す。彼女は受賞の喜びを分かち合いたいと、ワインを持って帰郷。育ててくれた祖母に差し出した。「祖母は『おいしいわね』と言ってくれたけど、飲み慣れてないお酒ですから、実際には『ひどい味』と思ったでしょう。でも、その顔には誇りが刻まれていました」
13年には、ステレカヤで働く一方で、大学在学時から夢見ていた自身の会社を設立。米国の女性醸造家と共同でブレンドワインを手掛けた。また同年、フランスでもワイン造りのコンサルティングを行うなど、醸造家としてビエラさんは一気に世界の注目を集めていく。30代半ばのことだ。
そして、15年にはステレカヤを退社し、自身のワインブランド「アスリナ」に専念することになる。「アスリナ」とは、ビエラさんの祖母の名前だ。同ブランドのワインは順調に生産数を伸ばし、今年は2万2000本をリリースする予定という。
ビエラさんは、「ブドウ自体のよさが素直に表れた、自然を映したワイン」造りを心がけている。柔らかなタンニンと果実の味わいが広がる酒だ。「私が造るワインは、自分自身が楽しめるもの。ワインへの愛情と敬意が製品に反映しているんです」
「アスリナ」ブランドのワインは4種類。赤ワインは、カベルネ・ソーヴィニヨンとボルドースタイルのブレンドである「ウムササネ」(ビエラさんの祖母のニックネームでアカシアの木の意味)、白ワインはシャルドネ、ソーヴィニヨン・ブランの2種だ。「白ワインは、すしにとてもよく合います。ソフトでエレガントな果実の味わいが、和食に合うのです」と彼女は薦める。一方、赤ワインは南アフリカでよく食べるオックステールやラムのシチューに抜群に合うそう。
現在、「アスリナ」はほかのワイナリーの設備を借りて生産をしているが、近い将来自身のワイナリーを立ち上げたいと、ビエラさんは新たな目標を定める。「そうすれば、テイスティングルームも設けられるでしょう?」。また、後進の育成にも熱心に取り組む。目標を必ずモノにしてきた彼女は次のステージに向け、大きく羽ばたこうとしている。
(フリーライター メレンダ千春)
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