さえない男をどう演じるか 挑戦に充実感(井上芳雄)
第37回
井上芳雄です。1月5日から東京芸術劇場プレイハウスでミュージカル『ナターシャ・ピエール・アンド・ザ・グレート・コメット・オブ・1812』に出演しています。ロシアの文豪トルストイの『戦争と平和』を基にしたブロードウェイミュージカルで、舞台の構造をはじめ、いろんな点で斬新な作品です。僕が演じる貴族のピエールは、眼鏡をかけて猫背で陰鬱な性格というさえない人物。大作ミュージカルの主役が、そうしたキャラクターというのは珍しく、僕にとっても初めての役どころ。新年早々、大きなチャレンジです。
ミュージカルの劇場は日比谷が多いのですが、今回の東京芸術劇場は池袋。客席が改造されて、イマーシブシアター(観客参加型演劇)の構造になっており、いつもと雰囲気が違います。この作品は2012年にオフブロードウェイの小劇場をレストラン風に改造して始まったそうです。役者と観客が一体となってロシアの雰囲気を楽しむという趣向は、16年にブロードウェイの大劇場へ進出しても取り入れられて、評判を呼びました。
今回の日本版でも、舞台のエリアに客席を設けるなどして、オリジナル版の雰囲気を再現する工夫をしています。上演前にはキャストが客席に降りて、シェーカーやピロシキを配って参加を呼びかけるのですが、お客さまも「これから何が始まるのか?」と驚かれているようです。
打ち込みのクラブミュージックと生演奏のオーケストラを融合させた音楽も新しいスタイルだし、ときにはキャストが楽器を弾いたりもします。僕もアコーディオンやピアノを弾きます。美術や衣装もゴージャスで、にぎやかでサーカスっぽいところもあり、いろんな要素を楽しめる作品です。
そういう今っぽい作りで、19世紀初頭のロシアの物語を描くというのも意外性があります。大長編小説『戦争と平和』の一部分、第2巻第5部で描かれるエピソードを舞台化しています。
僕が演じるピエールは貴族の私生児。莫大な財産を相続したものの、愛のない結婚をして、むなしさを抱えながら、酒と思索にふける毎日を送っている人物です。すごく内向きなタイプで、けいこのときはハムレットみたいだと感じていました。
一方、生田絵梨花さんが演じるヒロインの伯爵令嬢ナターシャは天真爛漫(らんまん)そのもの。無垢(むく)ゆえに、婚約者が戦場に行って不在の間に、美しい男性アナトールからの誘惑にあらがえず、駆け落ちを計画します。ストーリー上は、ピエールとナターシャはほとんど関わることがなく、最後になってようやく運命が重なります。
ピエールは、みんなと交わって興じるようなキャラクターではなく、物語はナターシャを中心に進んでいきます。ピエールは舞台上に存在はしますが、書斎みたいなところに1人でいて、酒を飲んだり本を読んだりしながら、ときには客席に降りて、居合わせた人と乾杯したりもします。1幕では曲もそれほど歌いません。そんな感じで、お客さまから見られているのかいないのかもよくわからない中で、ストーリーと直接関係ないことを演じています。これは、思っていたよりも集中力とエネルギーがいりました。
でも、それもこの役を演じる楽しいところです。ピエールはストーリーの最後になって自分の愛や役割に気づくので、それまで鬱屈した気持ちを継続させてないといけない。そして最後に彼の中で起こる変化を、どう表現するか。演技のしがいがあります。
ピエールの外見は、眼鏡をかけていて猫背。原作では太っていて薄毛という設定のようですが、今回の日本版では演出家の小林香さんが僕にあわせたキャラクターにしてくれました。いずれにしても、さえない男が大作ミュージカルの主役というのも珍しいですね。
僕は、若いころから「ミュージカル界のプリンス」と呼ばれてきて、二枚目役が多かったのですが、今回はそうじゃない役。プリンスといわれるのは、ありがたい一方で、プリンスじゃなくても役として成立させられるのかとか、お客さまが喜んでくださるのかという不安もあります。ストレートプレイでは、『組曲虐殺』での小林多喜二や『1984』でのウィンストンといった屈折した役もやってきたのですが、大作のミュージカルでは今回が初めてじゃないでしょうか。だから、大きなチャレンジです。
■極端から極端にいきたい
猫背の姿勢や雰囲気の暗さなどは、けいこで少しずつ作って自然と今の形になりました。なので気持ちの上では、無理なく演じられています。ただ、体はきついですね。服は大きめサイズですが、中に肉じゅばんを入れているわけでもなく、姿勢だけで猫背を続けているので。下を向いているから、汗がたれてくるし、歌いにくい。アコーディオンやピアノも弾かなきゃいけないので、負担の大きい役です。でも、作品の斬新さも含めて、新しいことにチャレンジしている充実感があって、それできついのを乗り越えられている感じです。役者としてやりがいがあるし、自分でもピエールという人物が好きなんだなと。
それは今年で40歳になるという自分の年齢もあるし、ストレートプレイや映像などで培ってきた経験の積み重ねもあると思います。かっこいい役は、お客さまからも喜ばれるし、安心ではあります。それを守りながら、自分の中身を充実させていく生き方もあると思います。しかし僕は、極端から極端にいきたいと思うタイプ。すごくきれいな役をやったと思ったら、次は本当に醜くてしようがないみたいな役をやりたいと思ってしまう。
理想は、二枚目の役が来れば、それに必要な二枚目ぶりを見せられるし、そうじゃない役が来れば、それにあわせた年の取り方とか、複雑さとか、愚かさが出せる。それが役者の醍醐味だと思っています。今回、それに少しでも近づけているのなら、うれしいことです。
1979年7月6日生まれ。福岡県出身。東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。大学在学中の2000年に、ミュージカル『エリザベート』の皇太子ルドルフ役でデビュー。以降、ミュージカル、ストレートプレイの舞台を中心に活躍。CD制作、コンサートなどの音楽活動にも取り組む一方、テレビ、映画など映像にも活動の幅を広げている。著書に『ミュージカル俳優という仕事』(日経BP社)。
「井上芳雄 エンタメ通信」は毎月第1、第3土曜に掲載。第38回は2月2日(土)の予定です。
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