世界マスターズV 朝原宣治さん46歳で復活できたワケ
元陸上五輪メダリストに聞く(上)
2018年9月にスペイン・マラガで開催された、35歳以上のアスリートが5歳ごとのクラスに分かれて競う陸上競技選手権「世界マスターズ陸上」。その男子4×100mリレーに、陸上競技十種競技種目の元日本チャンピオンでタレントの武井壮さんらとチームを組んで出場し、見事金メダルを獲得した朝原宣治さん。46歳とは思えぬ走りを見せてくれた朝原さんに、自身の健康管理術などについて3回にわたって聞く。今回は、世界マスターズ陸上への出場までの道のりについて。
――46歳でレースに出場されたこと自体に驚いたのですが、2008年の北京オリンピック男子4×100mリレーで男子トラック種目初のメダルを獲得し引退された後も、トレーニングを継続されていたのですか?
いえ。この10年間走るためのトレーニングはほとんどしていません。大阪ガスの実業団に所属する選手や、私が運営している陸上教室 「NOBY T&F CLUB」に通う子供たちに指導する際に手本を見せられる程度の体づくりはしていましたが、指導時間そのものが運動時間と言ってもいいほど、体は動かしていませんでした。
――現役時代から体形が変わっていないように見えます。
おなかが出るのが嫌なので、風呂上がりに足を上げながら下腹を鍛えるような腹筋をしたり、バランスボールでストレッチ運動などをすることが日課になっています。ジョギングといった有酸素運動はあまり好きではないのでしません。その代わり、社内ではエレベーターを極力使わず、5階にある部署まで階段で移動しています。
――食事面で気をつけていることはありますか?
引退後は食べ物にさほどこだわりはなく、おなかがすかないとあまり食べません。もちろん、おなかが減ったらたくさん食べますが、腹八分に抑えるように心がけています。会食が多いので、「今日はたくさん食べたり飲んだりしたから、明日は食事や酒の量をセーブしよう」とか、「間食にコーヒーとフィナンシェを食べたから、夜は甘いものは控えよう」というふうに、常に元に戻そうと意識しています。
現役時代と比べると体重は減りましたが、単純に筋肉が落ちたためです。ですから今回のチャレンジにおいて、筋肉が減った状態でスピードを上げて走ることは、ケガをしそうで怖かったですね。
ハムストリングなどの筋量の低下を改めて知る
――それでも、世界マスターズ陸上に出場しようと思ったきっかけは何だったのですか?
2018年2月、沖縄での実業団合宿へに帯同したとき、共通の知人を通じた飲み会で、譜久里武さんとお会いしました。彼は40歳以上の日本人・アジア人で、初めて100mを10秒台で走ったマスターズ界のレジェンド。その席で、世界マスターズ陸上の4×100mリレーのM45(45~49歳)の部門に出場し、武井くんらとともに世界記録(これまでの世界記録は43秒42)を狙わないかとお誘いを受けました。お酒が入って気分が良くなっていた私は、その場の勢いで同意してしまい、最後は「やろーぜー!」と肩を組んでいい気分になって別れました(笑)。
翌日、冷静になった私は、「昨日はノリで出場すると言ってしまったけれど、少し考えさせてください。走れるような体に戻るめどがつけば連絡します」と譜久里さんにLINEを送りました。実際、走れるようになるかも分からなかったし、走れるような感触が戻ったとしても、レースに出場するには、最低2カ月のトレーニングは必要だろうと考えました。大会の開催が9月だったので、すぐに返事しなくてもいいだろうという思いもあって。
ところがその1週間後、「どうですか?」「動き出しましたか?」と譜久里さんからLINEが届きました(笑)。もちろんまだ何も練習していませんでしたし、結局、風邪を引いて体調を崩したりして、3月ぐらいまでほとんど運動できなかったんです。
――本格的に練習しようと思ったのはいつですか?
5月です。武井くんが「チャレンジするなら、そろそろ世間に発表しないと」と言うので(笑)。復帰できるかどうか自分でも確信を持てないまま、見切り発車でチャレンジすることを決めました。
まず、MRI(磁気共鳴画像装置)で筋肉の状態を調べてもらったのですが、臀部(でんぶ)やハムストリング(太ももの裏側の筋肉)、内転筋の筋肉が現役時代に比べて縮小し、予想以上にスカスカでした。これは走るトレーニングの前に、まずはケガをしない体づくりを優先しなければと、家で寝転がって足を上げて下腹部を鍛えるようなきつめの体幹トレーニングを重点的に行いました。さらに、スピードを上げるために重要な臀部やハムストリングの筋肉を、ウエートトレーニングで集中的に鍛え直しました。走る練習は週1回程度、大阪ガスのトラックで時々選手たちと一緒に走るようにしましたが、筋肉が減っているため、なかなかイメージ通りの走りができませんでした。
――具体的にどんな練習をされたのですか?
長めのウオーミングアップや「走の基本」[注1]などで体を温め、120m程度の「快調走」[注2]を何本か行い、最後にスパイクを履いてスピードを上げて短い距離を走ったりしました。でも、当然ですが週1回のトレーニングだと、体力がなかなかつきません。そのあたりが悩ましかったですね。
ジャカルタの道路や空き地でトレーニング
――そんな中、8月5日の北海道マスターズ陸上競技選手権大会M45の部の男子100m走では、11秒30というタイムを出されました。
世界記録を狙うなら、11秒10ぐらいが目標かなと思っていましたが、向かい風でしたし、週1回しか練習していないという準備不足を考えれば、そこそこのタイムで走れたと思います。
試合後、自分の走りを動画でチェックしながら、さらにフォームを安定させるために筋力を鍛えることが課題だと考え、ウエートトレーニングと走る量を増やすことにしました。そして、8月15日にメンバーが大阪ガスのトラックに集まって行うバトン練習に備えたのです。でもその当日、ふくらはぎに違和感を覚えて練習を中断することに…。
それまでは、足に急激な負担がかからないように、自分のペースで慎重に練習を積んでいました。ですが、バトンパスの練習でメンバーが加速しながら向かってくると、本能的にトップスピードに上げなければと力んでダッシュしてしまい、ふくらはぎに違和感が生じてしまったんです。結局、1回もバトン練習ができず、私は後悔や不安、焦りなどを抱えたまま、アジア大会の陸上競技の解説の仕事でインドネシアのジャカルタに飛び立ちました。
当然ですが、ジャカルタで仕事をしている間も、世界マスターズの日程が刻々と近づいてきます。そこで足の状態を見ながら、空き時間に練習していました。アジア大会に出場する選手がウオーミングアップしているトラックで練習しようかと思いましたが、それはさすがに恥ずかしいので、炎天下、アスファルトの道路や空き地を走っていましたね。「道路や空き地を走るなんて、世界記録を出すためにどんな練習しているんだ。俺は武井壮か」と思いながら(笑)。武井くんが、トレーニングしている様子を毎日SNS(交流サイト)にアップするので、それを見るたびに結構プレッシャーになっていました(笑)。
――海外で仕事をしながらトレーニングするのは、疲れもたまりそうですが…。
海外のホテルでしたが部屋に浴槽があったので、毎日湯船に入って疲れを取ることができました。部屋ではストレッチや補強運動などを続けて、疲れを残さないようにしていました。
日本でトレーニングするときも、家からおにぎりなどを持っていき、トレーニング後にすぐ栄養補給をして体の回復に努めていました。改めて考えると、体に気を使った休養の取り方や食事の取り方を意識したのは、それこそ10年ぶりで新鮮でしたね。
46歳という年齢で、しかも満足する練習ができていないという、現役時代とは全く異なる中でのチャレンジでしたが、知識や経験を駆使して限られた時間でどう調整し、中年になった自分がどれだけのパフォーマンスを発揮できるかということを試せたのは、純粋に楽しかったです。準備期間が短かったのと、ケガだけが心配でしたが、バトンさえもらえれば世界記録を出せる自信もあったので、ワクワクしました。
結果的に、世界記録には届きませんでしたが、せっかくここまで走ることができたし、参加されている世界中の中年・高齢アスリートのパフォーマンスに刺激を受け、チームで世界記録へのリベンジを果たし、個人でも挑戦したい思いが生まれました。
(中に続く)
[注1]走るための正しいフォームや動きを体に覚えさせるための運動
[注2]7~8割の心地よいスピードで走ること
(文 高島三幸、インタビュー写真 水野浩志)
1972年兵庫県生まれ。高校時代から陸上競技に本格的に取り組み、走り幅跳び選手としてインターハイ優勝。大学では国体100mで10秒19の日本記録樹立。同志社大学卒業後、大阪ガスに入社、ドイツへ陸上留学。2008年北京オリンピックの男子4×100mリレーで銅メダル獲得。引退後、2010年に陸上競技クラブ「NOBY T&F CLUB」を設立。2018年9月、スペイン・マラガで開催された世界マスターズ陸上競技選手権大会・M45部門・男子4×100mリレーで金メダルを獲得。
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