白州の名水、スパークリング酒にリボーン 山梨銘醸
ぶらり日本酒蔵めぐり(5)
「七賢」で知られる山梨銘醸(北原兵庫社長)は南アルプスのふもと、白州(山梨県北杜市)で約270年間、酒を醸してきた。その「七賢」が変身を遂げている。4年前、酒の質、品ぞろえ、売り方のすべてを変える大改革が始まった。「白州の名水」を単なるうたい文句に終わらせず、おいしい酒に昇華する戦いに挑んでいる。
9月29~30日の2日間、北杜市で「HOKUTO SAKE GURUGURU」というイベントが初めて催された。同市内には年間25万人が訪れるサントリー白州蒸留所をはじめ、地ビール「八ヶ岳ビール・タッチダウン」を醸造するブルワリー、「シャルマンワイン」のワイナリーなどが点在する。それらの施設に美術館などを加え、JR小淵沢駅を拠点にシャトルバスで巡る。
このイベントを仕掛けたのが山梨銘醸常務で杜氏(とうじ、醸造責任者)の北原亮庫さんだ。「北杜市にはウイスキー、ビール、ワインと酒好きの方が訪れたくなるような場所がそろっています。こうした資源を誘客に生かせば街がにぎやかになると考えました」。企画に参加するよう、それぞれの施設を口説いて回り、2日間合わせて5つのコースを設定した。
亮庫さんは北原家12代当主の次男として1984年に生まれ、20歳のときに酒造りの道を志した。大学在学中だった。「父から打診がありました。突然でした。この家系ですからサラリーマンはできないとしても、自分で何かやろうと漠然と考えていたので、ずいぶん悩みました」。しかし結局、家業の発展に協力を求める父親の意をくんだ。酒蔵レストランや酒米の栽培の開始といった、事業の転機を見据えての判断でもあった。御前酒を製造する辻本店(岡山県真庭市)での修業を経て実家に戻り、2014年に杜氏に就いた。そこから「七賢」の大改革が始まった。「実家に戻って専務の兄とまず、『七賢』をどうしていくか話し合いました。そこで4000石(一升瓶40万本)の蔵を目指そうということになりました」
山梨銘醸の生産能力は現在1万石だが、話し合った当時の出荷量は1700石(一升瓶17万本)だった。2倍以上を売るためにどうするか。「ターゲットを東京に絞りました。地元は現状維持でいい。海外よりも、東京の市場で納得してもらう商品作りを優先しました」。そのための第一歩がブランドイメージの統一だった。
「パッケージと値段設定を一新しました。それに味。好みは多種多様です。万人受けするよう種類を増やすとイメージがぼやけてしまいますから、造る種類を3分の1くらいに絞りました。ブランドの統一感を邪魔する要素をそぎ落としました」。山廃仕込みや熟成酒などが商品一覧から消えた。
では、ブランドの統合の象徴を何に置いたのか。「やはり水です。白州の水がもつ透明感や清涼感、軟らかな質感を体現できる酒造りを目指しました」。北杜市白州地区にはサントリー「南アルプスの天然水」の採水地と工場もある。「日本で一番飲まれているミネラルウオーターで造った酒はアドバンテージになる」と亮庫さんは直感していた。
もちろん一朝一夕にうまくいくはずはない。コメや酵母、精米歩合などを変えながら試行錯誤した。「理想の酒を追求するうち、水を起点にして米や酵母、レシピを考えるとうまくいく、という感覚をつかみました」。2016年のことだという。それからは「白州の水を体現した酒造り」に拍車がかかる。
白州の水は甲斐駒ヶ岳の伏流水だ。花崗岩(かこうがん)の層を浸透していて清涼感がある。ただ、同じ花崗岩層を浸透した「灘(神戸・西宮市)の宮水」は硬度が高いのに対し、白州は軟水だとされる。カルシウムとマグネシウムの含有量が低く、山梨銘醸の井戸でくむ仕込み水の硬度は「20~25(1リットル当たりミリグラム)くらい」だそうだ。
原料米の95%を地元産が占めるのも山梨銘醸の特徴だ。蔵のすぐ横に1000平方メートルほどの自社田があるほか、三十数軒の農家に酒米の栽培を委託している。亮庫さんはイネの育つ過程でしばしば田んぼを見に行くという。「コメの質は毎年違います。地元産であれば生育過程を知ることができ、いち早く生産計画などに反映できます」と利点を説明する。
原料米の品種は長野県農事試験場が開発した酒造好適米「ひとごこち」と愛知県生まれの「夢山水」。それぞれ生産性が高い、病気に強く山間地でもよく育つ、といった特性がある。酒にすると淡麗で爽やかな味わいになりやすいようで、白州の水の特徴にあったコメといえそうだ。
例えば、夢山水を使った「七賢 絹の味 純米大吟醸」はすっきりとした爽やかさが際立つ。大吟醸に特有のフルーティーな香りは立ちすぎず、料理の味を損なわない。といって、食中酒をうたう銘柄にありがちな重苦しさはない。しつこくない分、飲み続けられる。
10月初め、山梨銘醸はスパークリング日本酒の新商品「七賢 EXPRESSION(エクスプレッション) 2018」を発売した。720ミリリットル瓶で1万6200円(税込み)と値付けは破格。「世界に通用するスパークリング日本酒を目指した渾身の商品」という。瓶内二次発酵させガス圧の基準を満たしたスパークリング日本酒に「貴醸酒」の製法を取り入れた。
純米酒はコメと米麹と水で造る。貴醸酒とは、水の一部を酒に置き換える、いわば「酒を酒で醸す」製法だ。EXPRESSIONでは水の代わりに入れる酒として大吟醸の古酒を使った。「15年ものの古酒です。歴代の杜氏が丹精込めて醸した最高傑作の大吟醸がスパークリングとしてリボーン(生まれ変わり)する試みです」
「貴醸酒の瓶内二次発酵なんて今まで誰もやったことがなくて、造り方は教科書にも書いていない。エクスプレッションは表現という意味ですが、この商品には私のアートの感覚が詰め込まれているんです」。亮庫さんの口調が熱を帯びる。独特の感性が生み出した作品であることを知ると、パッケージにキース・ヘリングを採用したのもうなずける。
北杜市にはキース・ヘリングの作品を集めた「中村キース・ヘリング美術館」がある。パッケージにキース・ヘリングをあしらった背景には美術館の中村和男館長との交流があったという。「中村館長とはよく、飲みながらいろいろな話をします。キースの作品には以前からひかれていました。愛とか平和とかをテーマに、彼なりの時代背景を背負った表現と、酒造りでの自分なりの表現と、分野は違うけれどシンクロするように感じていたんです」
亮庫さんは2015年以降、毎年、スパークリング日本酒の新商品を発売している。2017年発売の「七賢 杜ノ奏」はサントリー白州蒸留所で使うウイスキー樽(たる)を借りて仕込んだ。「借りるまでに2年以上かかりました。あるとき、北杜市で開かれている野外バレエのイベントに鳥井信吾さん(サントリーホールディングス副会長)が来られる情報をキャッチして直接、思いを伝えたところ、快くオーケーをもらいました」
「蒸留酒と醸造酒という異質なものを白州という土地がつなぐ、という物語を紡ぎたくて、諦めきれませんでした。高級シャンパンがもつラグジュアリー感を、ウイスキー樽を使うことで表現できるのではないか、と考えました」。口に含むとウイスキー香が広がり、味わいは複雑さを帯びる。今後も毎年、樽を借りて仕込む予定という。
スパークリング日本酒を売り始めてまだ4シーズン目だが、約6億円の売上高の25%を占めるまでに急成長している。東京オリンピック・パラリンピックまでにどれだけ存在感を高められるか、正念場が続く。「スパークリングの分野では先行している自負はあります」と亮庫さんは自信をのぞかせる。
(アリシス 長田正)
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