「失敗を2つ以上してください」の意味(井上芳雄)
第30回
井上芳雄です。9月18日から『ナイツ・テイル-騎士物語-』の大阪公演が始まります。演出家のジョン・ケアードは、7月27日に帝国劇場で開幕してから数日後に、次の仕事のために帰国しました。ジョンがいなくなっても、彼の言葉は僕たち俳優をしっかり導いてくれています。
ジョンはロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの名誉アソシエイト・ディレクターとして、数多くのシェイクスピア劇や古典、新作劇を手がけた演出家です。学者のような雰囲気があって、シェイクスピアの話を聞いていると、講義を受けているみたいな気になります。
ジョンは俳優に対して、「違う人物になれ」とは言いません。「演じている俳優自身から離れたキャラクターにしてほしくない。あなたがやれば成立すると思って、キャスティングしているのだから、無理をして違う人になる必要はないでしょう」と言います。
だから、演じている人のパーソナリティーが、知らず知らずのうちに役に反映されていく。自分たちがそうしようとして、というよりは、自由にやっているうちに勝手にそうなっていく感じです。それを役者は「魔法にかかったみたいだ」と感じるのだと思います。その演出の持っていき方が、ジョンの優れたところです。
ジョンがよく言うのは、とにかくリラックスすること。通し稽古のときには「今日は失敗を2つ以上してください」と言っていました。あえて、完璧にやらずに間違えてください、と。要は「緊張しなくていいよ」という意味だと思うのですが、そのシニカルな言い方が英国の人らしくもあり、僕は好きです。
俳優を緊張させない演出は、舞台の作りにも表れていると感じました。今回のセットは、舞台全体を覆うシンプルなものがひとつあるだけ。俳優はその周囲に座り、舞台で起こっている出来事をじっと見ていて、自分の出番になったら出て行って、歌ったり踊ったりして、終わるとまた戻ります。劇中劇という設定でもないのに、なぜずっと舞台の周りにいるのだろうと、最初は不思議でした。
それで上演が始まって思ったのは、役者って袖から舞台に出ていくときに緊張するものですが、今回はずっと舞台上にいるので、「ああ、緊張する」とか思いながら出て行くのではなく、物語の展開の中で自然に歌ったり踊ったりできているのかな、ということ。常に客席から見られているので集中力が高まるし、その分、不要な緊張も減るように思いました。ジョンに聞いたわけではないのですが、演じていて気がついたことです。
ジョンは、こうも言っていました。「開幕したら、毎日何か違うことをしてください。同じようにやらなくていいから」。その意味の解釈は、人それぞれだと思います。僕は感情を表現するやり方には何通りもあって、毎回違ったことが起こっていいんだ、むしろそのほうが自然だろう、と受け止めました。なので、昨日は座って歌ったけど今日は立って歌おうとか、体育座りしていたところを寝てみようとか、その日の気持ちやそのときのテンションで、積極的にやることを変えています。もちろん、セリフ自体は変えませんし、ストーリーに関係のない部分の変化ではありますが。
■君たちを選んだのは、僕だから
そんなふうにジョンは、役者を否定したり、縛るような言葉は言いませんが、役者が自由に動けたり、自主性を引き出す言葉をすごくかけてくれます。堂本光一君とも稽古中に、「怒るわけでもなく、ダメ出しをするわけでもなく、役者を導けるのはすごいね」という話をよくしました。堂本君は『SHOCK』で演出をしているから、僕とは違う視点で感じるところがたくさんあったと思います。ジョンは「君たちを選んだのは、僕だから。自分が選んだ役者を否定する必要なんてないでしょう」と言っていました。
言葉って大事ですね。そういう言葉って、ずっと覚えているものだから、役者は舞台上で何かあると思い出して、「新しいことをしてみよう」とか「失敗したけど大丈夫だ」と、常にジョンの言葉に導かれて演じることができます。
だから彼が帰国しても、カンパニーは崩れない。演出家によっては、いなくなった途端に役者たちが勝手なことをやり出すケースがあるかもしれません。でも、『ナイツ・テイル』のカンパニーは、良い雰囲気がずっと続いています。ジョンの魔法にかかり続けているのです。
1979年7月6日生まれ。福岡県出身。東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。大学在学中の2000年に、ミュージカル『エリザベート』の皇太子ルドルフ役でデビュー。以降、ミュージカル、ストレートプレイの舞台を中心に活躍。CD制作、コンサートなどの音楽活動にも取り組む一方、テレビ、映画など映像にも活動の幅を広げている。著書に『ミュージカル俳優という仕事』(日経BP社)。10月27日、11月29日に「井上芳雄 by MYSELF スペシャルライブ」を東京国際フォーラムにて開催。
「井上芳雄 エンタメ通信」は毎月第1、第3土曜に掲載。第31回は10月6日(土)の予定です。
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