「塩パン」は夏が旬 世界の塩で味わい新次元に
魅惑のソルトワールド(17)
ここ数年、ベーカリーでよく見かけるようになり、メディアでも頻繁に取り上げるようになった「塩パン」。一度は食べたことのある人も多いのではないだろうか?
発祥は愛媛県八幡浜市にある「パン・メゾン」という、小さな一軒のベーカリーだという。塩パン誕生のきっかけは、夏になるとパンの売り上げが落ちこみがちなことに悩んでいた社長に届いた、息子さんからの情報だった。パン修業で他社に出ていた息子さんが、「フランスパンに塩をふったものが流行っている」と父である社長に伝え、それにヒントを得て生み出した。
夏はほかの季節に比べて発汗量が増えるため、塩分を多めに補給する必要がある。また、実際に味覚もほかの時期より、しょっぱさを感じるものが好まれやすい。生理的な側面から見ても、「夏向け商品」としての塩パンは、理にかなっていたと言える。
地元の子供からお年寄りまで幅広い層に愛されている「地域のパン屋」だったので、硬いフランスパンではなく、みんなに食べやすいソフトな生地で塩パンを作れないか、と考えたという。長年パンを焼き続けてきた経験と技術で試行錯誤を重ねて編み出されたのが、「バターをパン生地でくるむ」という方法だった。
使用されるバターの割合も驚きだ。ロールパンでは一般的に生地の重量の1割程度のバターを使うことが多いが、パン・メゾンの「塩パン」では約2割に達する。大きくカットされたバターがクルクルと生地に巻かれていく様子を見ると、こんなにバターを入れて生地がおかしくならないのだろうかと、ちょっと不安になるほどだ。だが、心配ご無用。この多めのバターが威力を発揮する。焼成するうちに溶け出したバターにより、中にほどよい空洞ができ、食感はもっちり。そして外側はほどよくカリッとした食感に仕上がるのだ。
いよいよ発売にこぎつけたが、当初は知名度もなく、ほとんど売れなかったという。火付け役となったのは市場で働く人たちだった。市場の仕事に従事する人は身体を使うことが多いため、夏場は発汗量も増える。「夏場に売れるパン」という狙いが見事にマッチした形だ。一度食べれば、その新しい食感とおいしさが受けて口コミが広がり、多くのリピーターがつくようになった。今では、週末には県外からも人が押し寄せる人気で、1日に5000~6000個も売れる大ヒット商品となった。
その後、「パン・メゾン」での爆発的ヒットに刺激を受けたほかのベーカリーからも、続々と「塩パン」が発売された。名称は「塩パン」とするところもあれば、「塩バターロール」「塩ソフトフランス」「パン・サレ(サレ=塩)」など、ベーカリーによって様々だ。
ところで、「塩パン」という名称なので、当たり前だが塩が使われているし、非常に重要な役割を果たしている。とはいえ、最初にこの「塩パン」の存在を知った時、私の頭には「え? 当たり前のことじゃないの」と疑問が湧いた。なぜなら、フランスパンだろうがロールパンだろうが、パンを焼くために塩は欠かせないものだからである。
強力粉でも薄力粉でも、小麦粉にはグルテンが含まれている。グルテンはグルテニンとグリアジンの2種類があり、網目状になっている。ここに少量の塩を加えることで、網目構造を強く安定させることができ、いわゆる「コシがでる」状態となる。その結果、生地が引きしまって練りやすくなり、焼き上がりもふっくらと仕上がる。もし自分でパンを作る人がいたら、塩なしを試してみてほしい。驚くほどコシがでず、生地がべたついて、非常に扱いづらい上、焼き上がりもふっくらしないことに驚くだろう。
「パン・メゾン」では、上にトッピングする塩には岩塩を使用している。岩塩は海水塩などに比べて結晶の構造が固く、水分に溶けにくい。そのため、パンを焼く時に出る水蒸気に負けずに、焼いた後もしっかりと生地の上に粒が残りやすい。しっかりと塩味を効かせたい「塩パン」にはうってつけなのである。だが、多くのベーカリーで製造されるようになると、使用される塩も三者三様になってきた。「塩パン」の場合、塩が舌に直接当たるので、塩の味をダイレクトに感じやすい。つまり、どのような塩をトッピングに使うかというのも、パン全体の味わいに大きく影響を与えるので非常に重要なのである。
今回、塩パンの記事を書くに当たって、いくつかのベーカリーを訪問して調べてみた。するとやはり岩塩を使用しているベーカリーが多かった。しかし、一口に岩塩と言ってもその産地は様々。大手菓子メーカーの菓子にも使用されているフランス産の「ロレーヌ岩塩」が多いようだったが、中にはイタリア産の「シチリア岩塩」や、ちょっと珍しいところだとモンゴル産の「モンゴル岩塩」なども見られた。粒の大きさも様々で、細かく砕いてあるものから、眼で見てはっきりと粒感がわかるものもあった。
このほか、岩塩だけではなく、海水塩をトッピングしているところもあった。一番多かったのはフランス産の「ゲランドの塩」だ。こちらは、フランスの流れをくむ職人さんのいるベーカリーでは普段使いされていることが多い塩で、製菓にもよく使用されている、いわば職人御用達の塩だ。日本では、2003年に大流行したアンリ・ル・ルーの「塩生キャラメル」に使用されたことに端を発して、一般消費者にも広く認知されるようになった。
この「ゲランドの塩」は、ブルターニュ地方のゲランドという地域で、パリュディエと呼ばれる資格を持った塩職人の手で丹精込めて作られる完全天日塩。環境汚染のないように周囲の環境保護にも力をいれながら、使用する器具なども伝統的なものを踏襲するなど、昔ながらの製法をかたくなに守り抜いている。塩田に引き入れられた海水は、塩職人の手によって区画ごとに管理され、太陽と風の力だけで濃縮・結晶を行う。すべて手作業で収穫されている、クラフトビールならぬクラフトソルトと呼ぶにふさわしい塩だ。ナトリウム以外のマグネシウムなどのミネラルも含み、しょっぱさだけでなく、心地よい苦味やうまみを感じることができる。パンを焼く時の水分で溶けやすいため、粒感はあまり残っていないが、表面になじんだそのおいしさをしっかりと感じることができる。
ほかには、広島県産の「海人の藻塩」なども複数のベーカリーで使用されていた。藻塩とは、海水を濃縮する際に海藻を利用するという日本独特の製法で、古くは万葉集などにも記載されている伝統のある製法だ。ホンダワラ(玉藻)を海水と一緒に煮込むことにより、海藻のエキスが海水中に抽出されるため、ほんのり茶色く色づく。もちろん、海藻のうまみも含まれるため、しょっぱさはまろやかで強いうまみを感じることができるのも特徴だ。こちらもやはり塩の粒感はあまり残らないが、しっかりとしたうまみがバターを含んだこってりとしたパンの味にぴったりだ。
そのほか、熊本県の天草で生産されてる「通詞島の天日塩」やイタリア産「シチリアの海水塩」、イスラエル産の湖塩「死海の塩」などもあった。これらはもともと粒が少し大きめなためか、焼きあがった後も岩塩と同様に塩の粒を確認することができた。逆に、沖縄県の「宮古島の雪塩」のようなパウダー状の塩を使うことで、粒感が全く残らない「塩パン」も見られた。
今やベーカリー業界で大ブームとなった「塩パン」は、「トッピングする塩にもこだわる」という第2段階へと突入しており、まだまだこのムーブメントは続いていきそうな気配である。
なお、塩パン発祥の店「パン・メゾン」は、東京進出も果たしている。
スカイツリーから徒歩10分程度、都営新宿線「本所吾妻橋」駅のほど近くに店舗を構えているので、近隣の方は、ぜひ足を運んでみてほしい。焼きたての「塩パン」を食べれば、どうしてこんなにヒットする商品となったのか、すぐに納得できるだろう。
住所:東京都墨田区吾妻橋2-4-1 サンクエトワール1F
(一般社団法人日本ソルトコーディネーター協会代表理事 青山志穂)
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