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ノーリツプレシジョンの星野達也社長

ノーリツプレシジョンの星野達也社長

中小企業の経営者が抱える事業承継問題は深刻だ。中小企業庁によると、60歳以上の経営者のうち、後継者難などを理由に5割以上が廃業を予定しているという。和歌山市の写真処理機器メーカーとして出発したノーリツ鋼機も、事業承継で壁にぶつかった1社だった。銀塩写真の技術で急成長した同社だったが、デジタルカメラの普及で写真フィルム需要が急減、創業家は基幹の写真事業を売却する。売られた会社はノーリツプレシジョンとなり、マッキンゼー・アンド・カンパニー出身の星野達也社長が就いた。創業家も見放した会社は再生できるのか。

 東大大学院卒業後、三井金属に入社するも10カ月で退社。マッキンゼーに転じる。

大学院を卒業後、三井金属に入社しました。しかし、すぐにギブアップしたんです。大学院在学中、研究員としてスウェーデンにもいて、企業と組んで研究開発をするなど、刺激的な日々を過ごしていました。卒業後、役員面接で「この会社の社長になります」と豪語して失笑を買いながらも入社したんですが、結局「社長になるのは運だな」と悟ってしまって(苦笑)。10カ月でやめました。

日本を取り巻いていた環境も大きな理由でした。当時は、1997年に山一証券が破綻したり、99年に経営難に陥った日産自動車にカルロス・ゴーン氏がやってきて再生に着手したりしていたころです。「つぶれない企業はない」「サラリーマンのゴールは社長じゃない」という風潮が広がっていました。

私もマッキンゼーに転職して6年勤務し、経営のスキルを磨きました。06年に独立して日本企業の研究開発部門のコンサルに特化した「ナインシグマ・ジャパン」(東京・千代田)の起業に参加し、日本企業に外部の知恵をとりこむ「オープンイノベーション」の専門家として、日本企業と海外ベンチャーをつなぐ橋渡しをしていたんです。

 突然の電話。和歌山にはほとんどゆかりがなかったが……

ノーリツ鋼機との出合いは、ファンドからの突然の電話がきっかけでした。「和歌山にある中堅メーカーの経営再建をやらないか」とね。

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