東大、ハーバード卒の起業母 子の中学受験避け田舎へ
大学卒業後、日系企業でMBA取得のため米ハーバード大学に留学し、外資系企業を経て紅茶のネット通販会社を設立、現在は昭和女子大学客員教授の藻谷ゆかりさん。ハーバードMBA時代に出会ったご主人(エコノミストの藻谷俊介さん)と夫婦共通の信念を貫き、3人のお子さんたちが小学生の時、中学受験戦争が過熱する都市部から地方へ移住するという選択をしています。起業に至った経緯と藻谷さん家族のブレない教育論についてお聞きしてきました。(聞き手は藤村美里さん)
育児と両立するために起業
――上のお子さん2人を出産されたのは、新卒後に入社した会社で働いていた時期だと聞きました。起業前はどんなお仕事をされていたのか、教えてください。
東京大学を卒業後、新卒の総合職として入社したのは、SMBC日興証券でした。ここでハーバードにも留学させてもらい、バリバリと働いていました。1人目と2人目は、この会社で産休・育休を取得させてもらって出産しています。復帰後は、近くに住む義両親の助けも借りながら、なんとか両立する日々でした。もともと結婚した時に、主人の実家の近くにマンションを借りていました。
もう20年近く前のことになりますが、当時は今よりは入園しやすかったので、保活にもそこまで苦労せず、2人とも駅前にある公立保育園に通っていましたね。保育園の隣には学童保育もあったので、小学校に入ってからはその学童保育にお世話になりました。働く環境としては悪くなかったと思います。
――それでも、その後に起業を決意されていますね。上のお子さんが何歳くらいのときのことでしょうか。
日系企業から転職して外資系のメーカーを2社経験した後、上の子が小学校に上がるタイミングでした。
今振り返ってみると、「どうしても起業したい!」という気持ちだった訳ではなく、「私は組織で働くのには向いていないのではないか」と思うようになっていたのが大きな理由だったと思います。
私自身が向いていないということもあったかもしれませんが、それ以上に当時6歳と4歳の子どもが2人いる状態で、育児と両立しながら、このまま企業で働き続けるのは難しいのではないかと判断して起業したというのが正直なところです。
起業するきっかけは、米国に留学していた時のインド人の友人がお土産に持ってきてくれたダージリンの紅茶でした。紅茶って茶色だというイメージがあったのですが、いただいた紅茶の葉は綺麗な緑色で「ダージリンって、こんな茶葉なの!」と驚きました。これは日本では滅多に手に入らないものだろうし、輸入ビジネスをやるのも良いのではないかと思ったんです。すごく直感的なもので、たくさんプランを練ったとか、市場調査をしたとかいうことではありません(笑)。
私の会社では新鮮な紅茶を輸入していますが、そもそも紅茶というのは賞味期限が長い食品ですし、収穫時期や繁忙時期に振り回されるということがありません。乾燥していて軽いものですから、普通郵便でも送れるくらいです。これは穏やかにビジネスできる商品なのではないか、ということも考えました。育児と両立することを考えたら、仕事に振り回される繁忙期がないことは大切ですから。
首都圏から長野へ 理由は教育環境
――都市部から地方への移住という決断をしたのは、お子さんたちが何歳のときですか。
上の子が10歳で小学校4年生、二番目の子が2年生のときです。都市部に住んでいたころ、チャイムの音が聞こえるほど学校の近くに住んでいたのに、長野県に引っ越した後は、通学に歩いて1時間かかる距離。子どもたちは最初、「どうしてこんなところに連れて来られたんだ?」と思っていたようです。わが家の場合は、転勤などではなくて完全に親の自発的な移住でしたからね。
すぐになじめるかどうかは同学年の子たちや本人の個性にもよるのでしょうね。長男は、学校でもすぐにリーダーシップを取るようになったほど、すぐに受け入れてもらっていましたが、長女は「都会から来た女の子」という感じでもう少し時間が掛かったように感じます。実際は、そんなに都会的な女の子だったわけではないのですが。
でも、大学生になって再び都市部で暮らし始めた上2人は、「長野で育ててもらえたことをとても感謝している」とはっきり言ってくれました。東京に行っても、自分たちが育った故郷はかけがえのないものだし、大好きだという話もしていますね。
末の息子は当時3歳、高校生になった彼は、家族の誰よりも生粋の信州人です。3歳で入った保育園から中学校まで、同級生のメンバーはほとんど変わらない中で育ってきているので、高校に入るときに初めて幼馴染達との別れを体験したことになります。それでも、卒業時に「全員で一緒に行ける高校があればいいのに……」とつぶやいているのを聞いて、「12年間ずっと一緒だったのだからもう充分だろうに、もっと一緒にいたいのか」と驚きました(笑)。
――田舎暮らしに憧れがあっても決断するのはなかなか難しいことだと思います。地方に移住した一番の理由というのは何だったのでしょうか。
夫婦でたくさん相談して、「二人で子どもの成長に深く関わっていこう」というのが理由でした。結婚した当初から、「子どもが生まれたら都会ではなく田舎で育てよう」という話は出ていたと思います。
夫は山口県出身なので地方育ちで、私は横浜出身。私は住宅街とはいっても都市部で育っている立場です。私自身、都会の中学受験を経て都心の学校に通いましたが、「子どもたちにはできれば中学受験をさせたくないな」と思っていました。
夫婦で都市部で暮らしていたときは、私が仕事から帰ってくるような遅い時間帯に、塾から帰っていく子どもたちがたくさんいて。それこそ、息子の同級生くらいの子もいましたね。わが家の息子はもちろん塾には通っていない、「未塾児」です。「勉強で分からないところがあったら、先生か私たち両親に聞きなさい」と話していました。そのほうが最終的な学習能力が付くと考えていたからで、これについては夫も同じでした。
「本当に学ぶ力」を持つ人は地方出身だった
――ご夫婦ともに、東京大学、ハーバード大学院と一流の教育環境に身を置いた経験があると思うのですが、そこでの経験もお子さん達の教育に関係していますか。
私が「わが子を田舎で育てよう」と決定的に思ったのは、東大時代に出会った同級生たちの経歴も関係しています。
「この人はすごいな」という人は地方の県立高校の出身の人が多かったんです。もちろん、人数が多いのは開成や桜蔭という中学受験の私立御三家出身の人たちなのですが、「この人はちょっと違うな」と思うような抜きん出ている人は、地方などの公立高校出身でした。
これは東大の教授も言っていたのですが、素晴らしい論文を書いたり、大学院で研究成果を出したり「これは!」と思う人は、地方の県立高校出身だったり、進学校として有名ではない学校出身だったりします。自分で学ぶ力、伸び伸び育ったからこその発想力、切り開いていく力などがある。このような現実を知っていたのは大きいかもしれないですね。
東大に入ることが全てという意味ではなくて、本当に学ぶ力を身につけるという意味で、「地方の県立高校でも問題ない」「首都圏の中学受験をさせる必要はない」という選択ができたと思います。長野への移住は、過熱する中学受験からの疎開という意味もありました。
私自身はいわゆる都心部の進学校から東大に入ったタイプで、周囲が必死に走っているから自分も一緒になって走り続けて、その結果として東大にたどり着いていたという人間でした。正直、私のような凡人は、そうでもしないと東大には入れなかったかもしれません。そういう意味では、都心部の進学校のメリットもよく分かっていたのですが、子どもたちには受験はさせたくないという気持ちがありました。
思春期の育児が一番大変!
――最後に、今まさに子育て中という読者の皆さんにアドバイスをお願いします。
うちの夫はとても協力的で、最初の子が産まれたときから育児も家事も半分はやるというスタンスだったこともありますが、いわゆる幼少期よりも思春期が一番大変だったと思います。
小さいころは、洗い物が多かったり、それぞれの子どもが主張してくるので、それぞれの話を聞き続けたりと忙しいですが、10歳を過ぎてからは、人間として向き合うという意味で大変になってくる時期だと思うんですね。着替えも食事も1人でできるようになりますが、10代前半の時期、人として成長していく時期に関わるのが一番難しいというのが振り返っての感想です。
思春期って、とにかく子どもがイライラしているんですよね。それに対して、親も更年期でイライラしていたら逆効果。「クソババァ」と言われても、動じずに受け流すくらいでないと持ちません。対応を間違えると大変なことになってしまう可能性もありますし、冷静な心が必要です。
でも、これは当時を振り返っての感想であって、私自身も渦中にいるときは毎日イライラしていて、自分を抑えるのに必死だったと思います(笑)。今思えば、相手を否定せずにはいられない時期なのでしょうね。相手を攻撃しないと、自分を保てないのかもしれません。
――そんな思春期を経て、上2人のお子さんは大学に進学、一番下のお子さんも高校生になっていますよね。今改めて、約15年前の決断をどう振り返りますか?
田舎で暮らしていると、本当にのっぴきならない人間関係に直面するんですね。都会と違って狭くて深いつながりがありますし、決して切ることができない。これは良くも悪くもですが、逃げられません。相手の良いところも悪いところも全て分かった上で付き合っています。
ただ、実はそういう付き合い方は大人になってからも重要で、夫婦間や義理家族との関係もそうですし、例え大きな会社に就職したとしても、日々の仕事は数人のチームで動くことも多くて、のっぴきならない関係の中で進めていかなくてはならないわけです。今後、社会に出て相手の悪いところも認めながら多面的に見ることができる、相手を受け入れるという人間関係を学べたことも良かったのかなと思いますね。
私は、都会にいたら中学受験に巻き込まれてしまう。それが嫌なので、田舎に引っ越したんです。もし都心部に残っていたとしたら、やっぱり子どもなりに疑問を持ったと思うんですね。「周囲はみんな塾に通って中学受験をするのに、どうして私は受験をさせてもらえないの?」と。でも、長野に移住したら中学受験という選択の余地はなく、周囲と一緒に地元の中学校に進んで、県立高校に行ったわけです。
たとえて言うと、田舎での子育ては、子どもたちが通学に使う「しなの鉄道」と同じで、1時間に1本か2本しか電車が来ない。時間がゆったりと流れているんです。でも、都会での子育ては小田急線みたい。最初から特急に乗って箱根まで行くという選択もあるし、急行も準急も各駅停車もある。途中で乗り換えるときに、どこで抜かれるのか、どっちで行ったほうが早いのか、気にしますよね。それと似た感覚だと思うんです。
今、若い世代の価値観はどんどん変わっているようで、教育や生活環境を理由に田舎に引っ越す家族も増えていますよね。私たちは、田舎で子育てするために、夫婦ともに自営業になって、同じ仕事を田舎でもできるようにしました。そこまで不退転の決意で、田舎で子育てをすると決めた訳なのですが、最近はもう少し色々な意味で移住しやすい環境にあると思います。行政の支援も増えていますし、コワーキングスペースなども新たにできています。私のようにインターネットで紅茶を販売するようなビジネスの場合、オフィスが海浜幕張でも長野県でも関係ないんですよね。
私たちが暮らしている地域は、新幹線の最寄り駅まで車で30分、新幹線で1時間半ほどなので、必要があれば2時間ほどで東京に出ることも可能です。昔よりもテレワークという選択をしやすい時代ですし、同じような決意があって悩んでいるご夫婦には、勇気を持って行動してほしいと思います。
首都圏を始め、都市部では中学受験が過熱している中、藻谷ゆかりさんご夫婦の教育観、強い信念が心に響いた方も多かったのではないでしょうか。藻谷さん夫婦が東大とハーバード大で感じた「本当の意味で学ぶ力」をどう身につけるか、次世代を生きる子どもたちに必要な教育とは何なのか、答えが出ないまま考え続けている方は少なくないと思います。私も夫も公立育ちで、中学受験をするのか否か、同じように悩む立場にあったわが家は海外という選択をしましたが、周囲には田舎暮らしを選択して移住した家族もいました。
来年、一番下のお子さんが大学に進学するタイミングで事業を売却し、再び首都圏を拠点にするという藻谷さん。本当の意味で多様な働き方ができるようになってきた今、それぞれの夫婦・家族の価値観で自由に生きられる時代はもうすぐそこまで来ているのかもしれません。
TVディレクター。早稲田大学卒業後、民放テレビ局入社。報道情報番組などでディレクターを務める。2008年に女児出産後、児童虐待・保育問題・周産期医療・不妊医療などを取材。2013年退社。海外と東京を往復しながらフリーで仕事を続ける。働くママの異業種交流会「Workingmama party」 を主催。働くママ&20代30代女子が集まる異業種交流会「Women's Lounge」 も立ち上げた。
[日経DUAL 2017年9月6日付記事を再構成]
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
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