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アサヒビール社長 平野伸一氏

アサヒビール社長 平野伸一氏

今年発売して30年となるアサヒビールの「スーパードライ」。最大の夏の商戦に向けて指揮をとるのは社長の平野伸一(61)だ。同社が二番手のビール会社だったころに入社して営業マンとして頭角を現し、アサヒ快進撃の原動力の一人となった。ズケズケものいう生意気といわれた男はなぜトップリーダーになれたのか。

ズケズケものを言う

「打たれない杭(くい)になれ」。平野が駆け出しの営業マン時代から貫いた信念だ。生意気、利かん坊、やんちゃ坊主……。先輩からは散々言われたが、「だからなんだ」とどこ吹く風。すくすくと伸び、今や押しも押されもせぬ業界シェアトップメーカーの社長だ。ところで。その「打たれない杭」、どうやってなればいいのか。

実はタネを明かすと生まれつき平野は打たれにくい、わけではない。むしろ打たれやすい。何しろ「ズケズケものを言う」。人生でマイナスの結果を引き寄せることが多かった。小中学校では野球部に所属し、ポジションはファーストだったが、監督だろうがコーチだろうが思ったことをストレートに言う。「かわいくない子供で、なかなかレギュラーとして使ってもらえなかった」。頭にきて、中学2年生の時にバレーボール部に転部してしまったほどだ。

このスタイルは社会人になっても変わらなかった。相変わらずズケズケ言った。「なんだ、アイツ」。まわりからは疎んじられることが多かった。だがある時、先輩がかけてくれたこんな一言が平野にピンと響いた。「出る杭は打たれる。だが、うんと高いところまで出てしまえば打とうと思っても手が届かない」。

「出すぎた杭か。そうだ。その手だ。その手で行こう」。東京支社西営業所(東京・杉並)に新人として配属された平野。どんどん実績をあげていった。平野が入社した1979年、キリンビールのシェアが63.5%だったのに対して10.6%。アサヒのビールは「キリンラガーの二番煎じ」とされ、当時の酒屋からもなかなか相手にしてもらえない時代だったが、平野は違った。がんがん行った。

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