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大歌手不調、突然の代役で飛躍 準備十分、世界つかむ ソプラノ歌手・中村恵理

2017/6/12

(撮影=K.Miura、提供=宮崎県立芸術劇場)

 中村恵理はミュンヘンのバイエルン州立歌劇場、ロンドン・コヴェントガーデンのロイヤル・オペラなど欧州一流のオペラハウスで活躍するソプラノ歌手だ。日本人プリマドンナの多くが日本を舞台にしたプッチーニの傑作オペラ「蝶々夫人」を足がかりに国外のキャリアを切り開くのに対し、中村はチョウチョウサンを歌わず、世界の第一線に躍り出た稀有(けう)のケースといえる。だが地方の音楽大学の「ごく普通の学生」から「シンデレラ」への道のりは、気まぐれな幸運とは全く異なるものだ。

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■大学院を修了するまで関西から一歩も出ず

今年4月も思い出の舞台、ホモキ演出の「フィガロの結婚」にスザンナ役で出演した(2017年4月29日、東京・初台の新国立劇場で)

 2002年4月、東京の新国立劇場オペラ研修所に入るまでは関西を出たことがなかった。兵庫県川西市に生まれ、大阪音楽大学と同大学院を修了して上京した。学生時代は「しばしば『舞台で脚が動いていない』と言われ、オペラは苦手と思い込んでいた」。当時の研修所は大胆な改革を実行、発声や演技の指導に欧米の著名なレッスンプロ、往年の大歌手を定期的に招く態勢を整えつつあった。「東京で世界的な講師と出会い、『自分が感じたまま、動けばいい』と励まされるうち、動けるようになった」と振り返る。

 中村の潜在能力を最初に見抜いたのは、今年で開場20周年となる新国立劇場のオペラ部門で、今のところ最初で最後の外国人芸術監督であるウィーン国立歌劇場出身のトーマス・ノヴォラツスキーだった。03年10月の監督就任後初の新演出プロダクション、アンドレアス・ホモキによる「フィガロの結婚」(モーツァルト)の本公演に中村と後にカウンターテナーへ転向、今年4月にウィーン国立歌劇場デビューを飾った藤木大地の研修生2人を抜てきした。中村の役はバルバリーナという少女。07年の再演以降はフィガロと結婚する大人の女性、スザンナに中村自身も役柄も「成長」している。

 05年に研修所を修了。普通ならそのまま東京に残り、二期会や藤原歌劇団などに入って配役オーディションを受け続ける人生が待っていた。中村が「そのシステムに収まる器ではない」と確信していたノヴォラツスキーは欧州行きを強く勧め、オランダ国内の3歌劇場が政府の助成を受けて運営する研修機関「オペラスタジオ・ネザーランド」に送り込んだ。同年にはアテネの「魔笛」(モーツァルト)に呼ばれ、欧州デビューも実現した。

サンティアゴ歌劇場「ラ・ボエーム」(プッチーニ)のミミ役(提供=中村恵理)

 現在、中村の舞台に接する観客はきめこまかさと大胆さを併せ持つ演技、人間性の深い部分から割り出した歌唱解釈の迫力に息をのむ。半面、自分が歌っていない場面でも演技の手綱を緩めず、どんな主役の大アリアでも「オーケストラとの呼吸や共演者、指揮者の関係に注意を払い、自制を心がけている」結果、「わがままなプリマドンナ」といったステレオタイプを、みじんも感じさせない。

 日本での修業時代とは比べものにならない表現力を獲得した第一歩も、オランダだった。「2時間にわたり、ただひたすら歩くパントマイムの授業が毎週あり、2年間続けた」ところ、「日本のオペラ歌手に多い『見せる』ではなく、『見られる』感覚が自分の中に蓄積され、自然な動きが身についていった」という。ロイヤル・オペラで「フィガロ」のスザンナを演じた時の演出家、デイヴィッド・マクヴィガーも中村が何か特別な動きをしようとするたびに止め「エリは日本人のエリのまま、やれ」と、くぎを刺した。「美人の役柄なら、舞台で美人になればいい。私も夢を持てると思った」

■ネトレプコの代役で世界に躍り出る

 オランダでの2年を終えるとすぐロンドンへ移り、ロイヤル・オペラの若手歌手研修コース「ジェット・パーカー・ヤング・アーティスツ・プログラム」に参加した。幸運は、まだ研修生だった09年に突然やってきた。ロシア出身のトップスターのアンナ・ネトレプコが、「ロミオとジュリエット」を原作とするベッリーニのオペラ「カプレーティ家とモンテッキ家」の新演出初日に体調不良で降板、開演数時間前に代役と決まった中村が、急場を救った。「第1幕ではまだ、衣装のサイズもネトレプコさんのまま。休憩中にやっと調整するような慌ただしさだった」というが、観客は大喝采を送った。

 後日、ロイヤル・オペラの楽屋にネトレプコを訪ねると「エリは本当に素晴らしい! 日本人の新聞記者なら私のことなんかより、もっとエリを売り出すことに力を入れなさい」と、大笑いで励まされた。姉御肌のネトレプコは「けいこ場ですれ違うと、熱心に助言してくれる」といい、中村にとっては、「あらゆるオペラの舞台、メディア、DVDなど数多くの負担を抱えながらも自らの資質で巧みに乗り切り、芸風を充実させていく」姿が大きな目標でもある。

サンティアゴ歌劇場「ロミオとジュリエット」(グノー)のジュリエット役(提供=中村恵理)

 ロンドンの後は昨年まで6シーズン、バイエルン州立歌劇場の専属歌手を務めた。ミュンヘンの名門ハウスで「アンサンブルへ正式に入り、6年もいたアジア人は私が初めてだった」そうだ。昨年からは、晴れてフリー。日欧だけでなく、南米の舞台にも立つ。

 今年39歳。「どの職業であっても、私の年代はそれなりに経験を積み、一通りの苦労も体験している。私はたまたま、日本人でありながら西洋のオペラの歌手というまれなキャリアに恵まれたけど、一人一人の重みに違いはない。それぞれが悩み、苦労し、伸びていくのは一緒だと思う」。そう自分に言い聞かせながら、時に直面する人種偏見とも向き合ってきた。「地方出身の音楽学生であっても『夢を持ち続ければ、素晴らしい舞台が用意される』との希望を伝えたい」と意気込んでいたころから10年、今も夢を大切にする。

 あえて「オペラ歌手の特別なところ」を問えば、「達成感かしら?」と。「何時間かの上演を劇場の空間で観客と共有し、拍手や喝采で自分がやっていることへの評価がわかり、カーテンコールで全員がつながった瞬間に大きな達成感を『目視』できる。達成感が目に見える職業って、そんなに多くないですよね。『人とつながっている』、これを職業と呼べるのが私の人生の運なのだと思う」

 研修時代から数えて「3人の恩人」の1人にある日、躍進をたたえ「おめでとう」と言われたとき、中村が「私は幸運でした」と答えると、すぐに「ダメだし」が出た。「エリ、この世にラッキーなんてあり得ないのだよ。良い話が降りかかってきた瞬間に、準備が十分にできていただけのことなのだ」。今は恩師の言葉がそのまま、中村の信条にもなっている。

■「蝶々夫人」「椿姫」もレパートリーに

 以前からリサイタルではプログラムのマンネリを避け、「できるだけ新曲を入れる」といった気構えでレパートリーを広げてきた。歌劇場の専属を離れ、出演オペラの選択にも自由度が増した今は、さらに多くの新しい役を勉強し、少しずつ舞台にかけている。今年はギネスブックに「世界一長寿のクラシック音楽番組」と登録された「題名のない音楽会」(テレビ朝日系)で「蝶々夫人」の有名なアリア、「ある晴れた日に」を初めてオーケストラとの共演で披露した。5月の第22回宮崎国際音楽祭では、ヴェルディの「椿姫(ラ・トラヴィアータ)」全曲上演の主役ヴィオレッタに挑んだ。

第22回宮崎国際音楽祭の最終日、広上淳一指揮の演奏会形式「椿姫(ラ・トラヴィアータ)」(ヴェルディ)の全曲上演では、主役ヴィオレッタに初めて挑んだ。右はアルフレード役の福井敬(2017年5月14日、宮崎県立芸術劇場。撮影=K.Miura、提供=同劇場)

 いずれも日本人離れしたスケールと、日本人らしい心理描写のこまやかさが絶妙にバランスし、たっぷりした声量なのにどこか、「壊れゆくもの」のはかなさを漂わせる見事な歌と演技だった。

 オペラで絶えず恋を歌い、演じているのだから「私生活もさぞ……」と勝手に想像していたら、「そんな時間、全然ありません!」と一蹴された。「両立できるほど器用ではなく、当分はオペラの中でたくさんの恋人と出会い、恋する気持ちを演じきります」

(コンテンツ編集部 池田卓夫)

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