河瀬直美の集大成『光』 70回回顧で『愛のコリーダ』
カンヌ国際映画祭リポート2017(4)
河瀬直美が初めてカンヌに来て『萌(もえ)の朱雀』でカメラドール(新人監督賞)を獲得したのが1997年の第50回。『殯(もがり)の森』でグランプリを受賞したのが2007年の第60回。カンヌの記念すべき年ごとに栄光を手にしてきた河瀬が、第70回のコンペにひっさげてきたのが『光』である。
きっかけは一昨年、ある視点部門での『あん』上映のためにカンヌへ向かう飛行機の中だった。『あん』の視覚障害者向け上映のために映像を言葉で伝える音声ガイドの資料を読んでいた河瀬は「ここまで映画を愛し、伝えたいと思っている人たちがいるんだ」と深く共感した。「この人たちを主人公にした映画を作りたいと思った」
映画は、視覚障害者たちを集めて、制作した音声ガイドを読みあげながら作品を上映する「モニター会」の様子から始まる。音声による説明のよしあし、わかりにくい部分や要望を、目が見えない人から聞き取り、原稿を修正していく。映画の中のモニターは基本的に俳優が演じているが、1人だけ本物の視覚障害者もまじっている。
モニターの1人である写真家の中森(永瀬正敏)の意見は厳しい。「生きる希望に満ちている、なんて君の主観だろ。邪魔なだけです」。そう批判され、原稿を書いた若い美佐子(水崎綾女)は不服そうだ。
上司(神野三鈴)は美佐子をこう諭す。「映画って誰かの人生とつながることじゃない? 見れるはずがない人とつながるかもしれない音声ガイドの仕事って、彼らの想像力を理解することじゃないかしら。視覚障害者の想像力って相当なものよ」
美佐子は作品をより深く理解しようと、監督兼主演の北林(藤竜也)に会いに行く。「重三は明日死ぬかもしれませんよ。じいさんだから。この年になると生と死の間がだんだんあいまいになってくる」と北林。そして美佐子に向かって「人間の意志を超える何かを見ようとしているとしたら?」と語りかける。
中森は写真家の命である視力を次第に失っていく。心はすさむ。そのことを知った美佐子は、中森に寄り添い、共に光を探そうとする……。
上司や北林の言葉に、河瀬自身の映画観や世界観が反映しているのは間違いない。映画についての映画を作る監督は少なくないが、理性よりも感性に訴えるタイプの河瀬がこの種の映画を撮るのは、ひとつの挑戦だろう。「難しい。でも今は作りやすいものを作る時期じゃない。前へ進みたい。チャレンジしたい」と河瀬は語る。
同時にこれは「喪失」を巡る物語でもある。中森は視力を失う。美佐子の父は失踪した。美佐子の老母は記憶を失っていく。それは河瀬の一貫したテーマだ。「喪失がないと次の光が見えない。闇の世界にさす一筋の光を表現しようと決意した」と河瀬。そういう意味では『につつまれて』以来25年の河瀬作品の集大成ともいえる。
「光」という題名通り、カメラは大胆に光をとらえる。河瀬が得意とする逆光の画面が頻出する。奈良の山々や木々もいつも以上に輝いている。光を失いつつある中森の目に世界はどのように映っているのか。それは想像するしかない。映像の冒険でもある。
「当たり前に太陽が昇る世界はいつまで続くのだろう。人類はこの地球でどれだけ生きていけるんだろう。私はどれだけ映画を作れるんだろう。それは誰にもわからない。戦争はなくならない。私たちはいずれいなくなる。でも作った作品は残ると信じたい」。記者会見で河瀬はそう語った。
23日夜の公式上映後は約10分にわたり観客の拍手が続いた。河瀬、永瀬、藤、水崎、神野らは互いに抱き合って、涙を流した。
藤竜也、永瀬正敏が語る河瀬演出
カンヌ入りした永瀬正敏と藤竜也はそれぞれに河瀬演出のユニークさを語った。
「河瀬さんの世界は、役を演じることより、役そのものを生きることを中心に置く。役として生きるための場を監督が作る。スペシャルな場だと思う」と永瀬。撮影に入る1カ月前から目の不自由な人たちに会って、暮らしぶりを見たり、話を聞いたり。2週間前からは撮影で使う家に住み込んで、中森になっていった。「用意、スタート。カット、という声もかからない。いつ撮られてもいいように、僕たちは役を生きている」
藤は「現場での一つか二つの言葉に、圧倒的で不思議な力がある。強制的ではないが、我々は心地よく、彼女の世界にいや応なしに放り込まれる」と説明する。「彼女の存在をかけたアプローチによって、すべてのキャスト、スタッフが彼女の胎内で生かされている。胎内に取り込んで心音や鼓動を伝えてくる」とも。なんともユニークな表現だ。「でも抜け出すのは大変です。できれば抜け出すまで面倒みてほしい」と笑わせた。
藤は1976年の大島渚監督『愛のコリーダ』に始まって、78年の同『愛の亡霊』、03年の黒沢清監督『アカルイミライ』に続く4回目のカンヌ。永瀬は89年のジム・ジャームッシュ監督『ミステリー・トレイン』、一昨年の『あん』に続き3回目。昨年は自身はカンヌに来なかったものの、コンペに出品されたジャームッシュ監督『パターソン』で重要な役を演じた。
2人とも枠にはまらない俳優で、強烈な個性をもつ監督たちに重用された。その言葉は重い。「すぐれた演出家とつきあうのは楽しいですよ」。パナマ帽にジーンズのラフなスタイルで、藤はひょうひょうとカンヌを歩いていた。
平柳敦子『オー・ルーシー!』に笑いの渦
並行開催の批評家週間で22日、平柳敦子監督の日米合作映画『オー・ルーシー!』が上映された。3年前に学生映画部門シネフォンダシオンに出品した短編版は、第2位に輝いた。短編版はもともと長編として構想した企画の冒頭部分を取り出したもの。カンヌやサンダンス・インスティチュートでの評価を追い風に資金を集め、寺島しのぶ、ジョシュ・ハートネット、役所広司という豪華な配役も実現し、満を持しての長編化である。
43歳の節子(寺島)は東京に住む独身OL。退屈な日々を過ごしているが、めいの美花(忽那汐里)に頼まれ、英会話学校に通うようになる。米国人講師ジョン(ハートネット)の授業は独特だ。金髪のかつらをかぶって、大げさな身ぶりであいさつし、ハグをして、「ルーシー」という女になりきる。日常の束縛から解き放たれた節子は、ジョンに恋をする。
ところがジョンは美花と共に日本を去ってしまう。納得できない節子は、仲の悪い姉の綾子(南果歩)と共に2人を追って西海岸へ向かう……。
さえない中年OLが英会話学校の非日常空間で自分を解き放ち始める前半から、客席は笑いの渦。米国に渡って、どんどん積極的になっていく節子の大胆な行動に驚きの声も。異文化間のコミュニケーションギャップを題材にしたコメディーは数あるが、日本の中年女性が主人公でこれだけ笑える映画は記憶にない。
「節子はルーシーに新しい自分を見つけて、アメリカへ追いかけていく。でも節子もルーシーも実は本当の自分ではない。ある意味でマスク。そのことに気づくまでの旅だと思う」と平柳は語る。
寺島は「生きにくい女の役をやることが多いのだけど、今回の役も面白かったし、いろいろな思いが出せると思った。姉やジョンも含め、出てくる人々の闇の部分も描かれていて、敦子監督の愛情がある。いろんな可能性がひしめいている映画だと思った」と語る。ハートネットも「新進監督との仕事には魅力がある。敦子はビジョンが明快で、知性があった。参加しないなんて愚かなことで、特別な作品だよ」と話す。
海外での活動について寺島は「ハリウッド映画やフランス映画に出たいとは思わないけれど、自分が出た映画が世界で見られる機会は作りたい」と語る。日本の国内で作られる映画の多くは、日本の市場だけを考えている。そうすると若い俳優の企画ばかりになって、30歳、40歳を超えた女優は「生きにくくなっている」。海外ではその年齢からが女優の本領発揮というのに。
「30歳を過ぎていき遅れちゃった女性って日本でも山ほどいるでしょう。そういう人たちの真実ってある。そこに視点を置いてくれた敦子さんはありがたい。日本ではなかなか成り立たない企画だと思う」。寺島の意見は核心を突いている。もっと多様な人生を、成熟した人間を描かないと、日本映画はやせ細ってしまう。カンヌにいるとそのことを痛感する。40代、50代の女優たちが日々、目を見張る演技を見せてくれるから。
生き永らえる『愛のコリーダ』の力
70回目を記念してカンヌクラシック部門では、映画祭の歴史を回顧するプログラムが組まれた。長編はルネ・クレマン監督『鉄路の闘い』(46年)からビクトル・エリセ監督『マルメロの陽光』(92年)までの15本が選ばれたが、うち日本映画が2本も入っているのは喜ばしい。大島渚監督『愛のコリーダ』(76年)と今村昌平監督『楢山節考』(83年)である。
19日深夜の『愛のコリーダ』の上映は感動的だった。ぼかしの入った日本上映版しか見たことがなかった記者は、フランスのオリジナルネガから修復された今回のバージョンを見て、初めてこの映画の真の狙いがわかった気がした。
それは阿部定という女性の、今そこにある感情をまっすぐに見つめ、包み隠さず撮ることではないか。そのために今そこにある身体をまっすぐに見つめ、包み隠さず撮る。
時代背景の説明は最小限にとどめ、文学的解釈は徹底して排除している。ただ、そこにごろりところがる感情を、ごろりところがる身体を通して見つめる。自分の意志と欲望に忠実に生きた新しい女、阿部定を正確に描くには、その意志と欲望にひたすら迫るしかない。だからありのままの身体をダイレクトに凝視する。定役の松田暎子の身体が美しく、その感情が生々しいことに驚いた。
上映中に席を立つ人もいたが、最後まで集中してスクリーンを見つめる人々の緊張感も伝わってきた。上映後は拍手がわき起こった。
マジェスティックホテルのテラスで、藤竜也さんに76年のカンヌの思い出を聞いた。
「観客と一緒に見たのは夕方の1回目の上映。満杯だった。多少、笑いがあり、憤然と席を立つ人もいた。終わったら沈黙。そして5、6人の人が我々に飛びかかってきた。抱擁のためだった」
「裁判にもなったし、カンヌに来たときはここまで来たかという感慨があった。大島さんから吉蔵役のオファーを受けた時は、やらない奴はバカだ、と思った。セクシュアルなシーンにおびえて断ったら、逃げたことを一生後悔すると思った」
「賛否両論、毀誉褒貶(きよほうへん)という反応は今も変わっていないのではないか。相反する評価があることが、この映画を生き永らえさせているエネルギーなのだと思う。ラジカルな前衛性を評価するのがこの映画祭の姿勢だ」
(編集委員 古賀重樹)
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