交渉が下手で心が折れそう 「YES」を引き出すコツは
「新年度から大きなプロジェクトのリーダーを任されたものの、他部署との交渉やメンバーとのコミュニケーションが思うようにいかず、心が折れそうになっている。自分の要求をうまく相手に承認してもらうためには、どのように働きかけたらいいだろうか」
これは食品メーカー勤務のある男性のお悩みです。4月に異動で職場が変わったり、新しい仕事を任されたりした人も多いかもしれません。新しい環境や仕事に慣れず、交渉ごとやコミュニケーションがなかなかうまくいかない人もいるでしょう。そこで上記のような悩みの対処法について、帝京平成大学現代ライフ学部教授の渡部卓さんに伺いました。
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交渉ごとやコミュニケーションがうまくいかない。そんなときにまず大事にしてほしいのが、自分の信念を持つことです。以前、「気付けばネガティブ思考 脱却に役立つABCDE理論って」という記事で、一面的な考え方の癖を直し、多面的な思考に変えていく「ABCDE理論」をご紹介しました。ABCDE理論の「B」は受け止め方や認知と解釈されていますが、もともとの「B=Belief」は直訳すると「信念」です。
「目標」「目的」を確立し、ぶれない軸を持つ
常に周りを気にして自分の意見を主張できない人や、交渉ごとで「NO」と言えない人などは、このBの受け止め方よりも、「A(Activating Event)」の出来事や、「C(Consequence)」の結果に注目しがちです。そうすると、本来なら自分の信念に基づいて、より良い思考(Rational Belief=RB)や行動に変えていくことが可能なのに、起こった出来事や結果に捉われてしまうのです。
信念は「目的」や「目標」と言い換えてもいいでしょう。自分は何のためにプロジェクトを推進しているのか、どのような結果を導き出したいのか。この軸を明確に持っていれば、交渉やコミュニケーションの場面でも、それに基づく判断や行動を示していけるはずです。信念がなければ、相手の言動や物事の結果に左右されてしまう一方で、信念が強すぎると、頑固になって、ひとりよがりなものになってしまうこともあります。信念を掲げるときには、「客観性・信頼性・妥当性」があるかどうかを常に意識することが大切です。
交渉にはさまざまな「型」がある
一方、交渉とはいわば「駆け引き」で、ある意味では個人的な感情とは切り離して、理知的に進めていく必要もあります。海外では大学やビジネスの場で、心理学を応用したビジネスコミュニケーション術を学ぶ機会がありますが、日本ではマーケティングやセールスに携わる人以外には、あまりよく知られていないようです。
交渉術にはさまざまな手法があって、日常的にもよく使われています。交渉に慣れていない人は、交渉の場でよく使われる「型」を知っておくと役立つでしょう。ここでは、代表的な2つの型をご紹介しておきます。
1つは「フット・イン・ザ・ドア・テクニック」。これは、「一貫性の原理」といって、人間には「自分自身の考えや発言、行動などに一貫性を持たせたい」という心理が働く傾向があることを利用した交渉術です。「フット・イン・ザ・ドア・テクニック」の由来は、"put foot in the door"。「ドアに足をかけられればこちらのもの」といった意味からきていて、本来の要求を通すために、まずは相手が同意しやすい簡単な要求や、大きな方向性に対する賛同を得ることからスタートして、具体的な要求を通していきます。段階的に要求のレベルを引き上げていくことから、この手法は「段階的要請法」とも呼ばれます。
もう1つは「ドア・イン・ザ・フェイス・テクニック」。他人から何かをされると、それに対して何かを返したくなる心理が働くことを「返報性の原理」といいますが、「ドア・イン・ザ・フェイス・テクニック」はこの返報性の原理を利用して、まずはわざと難しい要求をして相手に一度断らせてから、本題の要求を提案する手法です。すると相手は「譲歩してもらったから、こちらも応えなければ」と感じるため、「YES」を引き出しやすくなります。「ドア・イン・ザ・フェイス・テクニック」の由来は"slam the door in the face"で、人の鼻先でドアをピシャリと閉める、つまり、はじめは門前払いをされるような要求をしておいて、譲歩しながら要求を通すといった意味からきています。「譲歩的要請法」とも呼ばれます。
では、社内の交渉ごとで使える具体例を紹介しましょう。
【交渉の場で使えるテクニック】
(1)「一貫性の原理」を利用した「フット・イン・ザ・ドア・テクニック」の例
自分「このプロジェクトはどうしても成功させたいんですよ。それは◯◯さんも同じ気持ちですよね」
相手「ええ、もちろんですよ」
自分「それにはやはり、会員の獲得にも力を入れないと。スタート時に何人くらい集まっているのが理想だと思いますか?」
相手「そうですね、1000人くらいから増やしていけるといいでしょうね」
自分「そうですよね。では、目標は1000人としましょう。◯◯さんの部署では500人獲得を目標にキャンペーンの展開をお願いできませんか? もちろん、ほかの部署にもお願いしますから」
相手「(500人も?! でも、1000人は必要だと言ってしまったし……)分かりました。手分けしてやってみます」
続いて、「返報性の原理」を利用した「ドア・イン・ザ・フェイス・テクニック」の 例です。
(2)「返報性の原理」を利用した「ドア・イン・ザ・フェイス・テクニック」の 例
自分「△△さん、プロジェクトの公式サイトの公開は1カ月後で間に合いますか?」
相手「え?! 1カ月後なんてどう考えても無理ですよ」
自分「そうですか……でも、なんとか1カ月後には始動させたいんですよ」
相手「そう言われても、1カ月は厳しいですね」
自分「では、トップページだけは1カ月後に公開して、そこから段階的にアップして、2カ月後に完成させるのではどうでしょう」
相手「(2カ月あれば余裕ができるな……)では、トップページだけは1カ月で公開できるようにします」
自分「ありがとうございます、助かります!(2カ月後に完成できれば問題ないし、早めに始動できそうでよかった!)」
交渉上手、頼み上手な人というのは、意識的、無意識的にこうした型を巧みに使っているのです。さまざまな交渉術の型を知っておけば、自分で使えるのはもちろんですが、相手の手の内が分かることで、「その手には乗らないぞ」「そうきたか。それなら、こう返そう」といった駆け引きがうまくできるようになってきます。そうなれば、交渉はあくまでも駆け引きとして捉えることができ、相手に対する感情を引きずってストレスをためるようなことも少なくなってくるでしょう。
【まとめ】
・交渉やコミュニケーションの軸となる「信念」を明確に持つ
・信念には「客観性・信頼性・妥当性」があることが大切
・個人的な感情とは切り離した「駆け引き」を
・交渉の場でよく使われる「型」を知っておく
【渡部卓 働く人の心のコンディショニング術】
帝京平成大学現代ライフ学部教授、ライフバランスマネジメント研究所代表、産業カウンセラー、エグゼクティブ・コーチ。1979年早稲田大学卒業。米コーネル大学で人事組織論を学び、米ノースウエスタン大学ケロッグ経営大学院でMBA取得。複数の企業勤務を経て2003年会社設立。職場のメンタルヘルス対策、ワークライフコーチングの第一人者。著書に「折れない心をつくる シンプルな習慣」(日本経済新聞出版社)など。
(ライター 田村知子)
[日経Gooday 2017年4月11日付記事を再構成]
健康や暮らしに役立つノウハウなどをまとめています。
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