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私の履歴書復刻版

「総理の決意あるのみ」 行革断行、首相に迫る 第4代経団連会長 土光敏夫(2)

2017/5/18

 清貧ぶりと無私の姿勢で「メザシの土光さん」と慕われ、1980年代の行政改革の先頭に立った土光敏夫氏(どこう・としお、1896-1988)の「私の履歴書復刻版」。2回目も行革の話が続きます。

■行政改革(上)――数年前から必要性痛感 再三の懇請で臨調会長に

 行財政改革問題について、その必要性を痛感し始めたのは、昭和50年(1975年)ごろからであった。

 その年の「文藝春秋」2月号誌上で、“グループ一九四八年”の共同執筆による論文「日本の自殺」が発表された。その中身は、一見豊かさを謳歌している日本社会が、実は崩壊つまり自殺への道をひそかに歩んでいるのではないか、ということを指摘したものだった。

 ローマ、ギリシャの文明の没落過程を詳細に分析し、日本の現状とそれらがいかに類似しているかを示した。それは恐ろしいくらい似ていた。日ごろ私が懸念していた危惧をみごとに証明立ててくれていたので、私はこれを出来るだけ大勢の人に読んでもらわねばと思い、出版社の了解を得て、何万部もコピーして企業関係者に配った。

 現在は、PHP研究所から刊行されているようだから、ぜひ一読をお勧めする(2012年、文春新書で再刊)。

 崩壊へ向かっている日本社会をくい止めるには、行政改革という手術によるほかはない。そのことを、私は50年5月の経団連総会のあいさつで述べた。

 以後、私はことあるごとに行革の必要性を政治家や同僚たちに主張した。主張なぞというと差し出がましいようだが、わが国の将来を考えた場合、いやでもこの問題に触れざるを得なかった。当時の福田総理や大平総理もそのことは十分承知していたようだが、いざ抜本的実践となると、なかなか手がつけられなかったようだ。

 私が経団連会長に就任した昭和49年(1974年)以降は、日本の経済は目まぐるしい変化の波をかぶり苦境にあえいだ。石油ショック、インフレ、不景気、エネルギー、資源問題、貿易摩擦などなど。

 そうした困難のなかを、各企業は省エネルギー、節約、合理化など血の出るような減量経営につとめてなんとかこれを切り抜けることが出来た。現在、まだ問題はあるにしても、一応、対応策に成功したといっていいだろう。

 民間は、こうして、なんとか整った。ところが官の方をみると、全然手つかずである。福祉国家をめざすのは結構だが、財政はふくれにふくれ、政府にはムダを省こうとする節約や合理化の姿勢すらない。しかも、安易に「増税、増税」という。54年(1979年)、ついにたまりかねて、「行政改革をやってから増税といってくれ。それをやらん限りは、“増税”の声は聞かんことにする」といってしまった。

臨調の第一次答申を鈴木善幸首相に手渡す土光氏 左は中曽根康弘行政管理庁長官

 そうした時、大平さんが急死し、鈴木さんが総理になった。鈴木さんは、もともと宰相になろうと望んでなった人ではない。いわば、その限りでは、無欲で総理になった人だ。この鈴木総理が、本気で行革をやろうと言い出した。結構なことだと思っていたところ、いつの間にか、その中心に私が据えられることになった。

 行革は、一種の世直しである。国民の意識をかえる息の長い国民運動である。そんな仕事に85歳の私がなぜ取り組まねばならないのか、ほんとうはおかしいのだが、日本の将来について無関心でおれない以上、引き受けざるを得なかった。

 最初の話があったのは、56年(1981年)の1月ごろだった。中曾根行政管理庁長官(当時)から第二臨調の会長をぜひ引き受けてもらいたいと電話があった。「明治生まれは、日本にはもう5%もいないのに、こんな老いぼれを使う必要はなかろう」と断ったところ、こんどは鈴木総理(当時)からも、懇請が来て、その他友人にも攻められ、ついにお引き受けした。しかし、臨調会長の辞令を渡された3月16日の5日前の11日、総理に呼ばれたとき、私は4カ条の「申し入れ事項」を出し、その第1条に、行政改革の断行は、総理の決意あるのみである。私も最大の努力を払うが、総理もこの答申を必ず実行するとの決意を明らかにして戴きたい、旨を書いた。

 鈴木総理はこれを受け、いろいろな機会をとらえて再三、「政治生命を賭ける」と言明した。

 第二臨調は、9人の委員と21人の専門委員で発足した。初会合は3月16日、首相官邸2階の会議室で行われた。この時は、顔見せ興行のようなもので終わり、1週間後に開かれた第2回会合から具体的なスケジュールの決定などに入った。

 臨調のその後の経過は、マスコミなどで報道されているので、ここで詳述する必要はなかろう。当初はいろいろ議論も多かったが、幸い優秀な人材に恵まれたお陰で、わずか4カ月という短期間で、57年度(1982年度)の予算へ向けて、第1次答申を出すことが出来た。

 この「私の履歴書 復刻版」は、昭和57年(1982年)1月に日本経済新聞に連載した「私の履歴書」および「私の履歴書 経済人 第20巻」(日本経済新聞出版社)の「土光敏夫」の章を再掲したものです。毎週月曜日と木曜日に更新します。2013年、日経Bizアカデミーで公開した記事を再構成しました。文中には今日では不適切とされる表現や行為の記述などがありますが、作者が故人であり、作品の発表された時代的・社会的背景も考慮して、原文のまま掲載しました。

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