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クライミング先駆者、野口さん 引退延ばし五輪に挑む

2017/5/11 日本経済新聞 朝刊

実家に造った練習施設で練習する野口啓代選手。腕の力だけに頼らない、しなやかな登りが強みだ

 皮が擦りむけて指紋が消えた手のひらが、クライマーとしての年輪を感じさせる。「自分が頑張ってきたことの魅力が多くの人に分かってもらえるようになったのが、一番うれしい」。スポーツクライミングの第一人者、野口啓代(あきよ)さん(TEAM au)のキャリアは、まさに競技の成長と軌を一にしている。

 17年前、小学5年で始めた時、周りには誰もいなかった。大会はいつも大人や上級生に交じって参加。茨城県龍ケ崎市で牧場を営んでいた父が、牛舎を改造してくれたウオール(壁)が練習場所だった。中学2年で初出場した世界ユース選手権は日本チームとしての派遣もなく、父と2人でブルガリアまで行った。

17年前、競技がまったく知られていなかった時から道を切り開いてきた。ワールドカップの優勝は4回を数える

 完登までのルートが人それぞれなように、野口さんも自分流で道を切り開いてきた。大学1年の時、ワールドカップ(W杯)で日本女子として初優勝を飾ると、「この道一本で生きていきたい」と大学を中退。知名度の低いマイナー競技で収入の保証はなかったが、「プロとしての意地でアルバイトはしなかった」。約40万円の優勝賞金などを元手に大会を転戦した。

 「大変だったけど、やりたいことをやっていたのでストレスはなかった」。身長(165センチ)より10センチも長いリーチ、180度開脚できる柔軟性、同年代の男性平均を上回る50キロの握力。クライミングの申し子とも呼びたくなる素質は世界にも通じた。09年にW杯年間総合優勝。10、14、15年を含めて4度チャンピオンの座に就いている。

 その戦歴が磁力となり、現在スポンサーは11社を数える。腕力だけに頼らない、しなやかで美しい「登り」は若いクライマーたちの憧れだ。そんな実力者にも五輪は遠い世界のことだった。

 2年前、最も得意なボルダリング種目で10年ぶりに日本一の座を明け渡した。第一線で戦い続けて10年、マンネリも感じていた。東京五輪組織委員会が新種目候補にスポーツクライミングを選んだのは、ちょうど引退を考えていた頃だった。

 「踏みとどまった一番の理由は東京五輪。五輪に仲間入りしたことは素直にうれしかったし、あと4年なら頑張れるなと」。ボルダリング、リード、スピードと壁の高さもルールも違う3種目の攻略を考えたら4年でも足りないくらい。自然と練習も充実してくる。

 東京五輪は31歳で迎える。年下の選手たちとの代表争いを勝ち抜かないと舞台には立てない。だが、そんな環境こそ、一人で登り始めた先駆者が長年待ち望んでいた光景でもあるのだろう。(山口大介)

[日本経済新聞朝刊2017年5月11日付]

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