「おとぎの国」のような美世界 少数民族セトゥの王国
係争中の2つの国に、国境線をまたぐように存在する"王国"がある。そこで暮らすのはセトゥ人。エストニア南東部とロシア北西部の間に挟まれた、セトマーと呼ばれる地域に生きる。わずか数千人からなる先住少数民族だ。
セトゥ人は何世紀にもわたり、独自の伝統をかたくなに守ってきた。たとえば古代から伝わる彼らの多声歌唱は2009年、ユネスコ無形文化遺産に登録されている。
一方で彼らは、独特の文化が現代社会の影響で失われるのを防ぐために、自分たちの王家を立ち上げるなど、まったく新しい慣習を生み出している。
現在、最大の懸案事項は、セトゥ人を分断するロシアとエストニアの国境線だ。かつてはこの国境線に明確な隔てはなく、あいまいにされていた。また20世紀には、国境線は幾度となく引き直された。二度の世界大戦、ソビエト連邦の盛衰、欧州連合成立などのさまざまな動きがあったためだ。
しかし、ソ連崩壊後の1990年代半ば、エストニアは独立を達成。そしていつしか国境線――今日に至るまで承認されていないが――は、セトマーをロシア側とエストニア側に分割する強制力を持つ存在となり、セトゥの人々、彼らの畑、教会、墓地を2つに引き裂いていった。
「国境が引かれ、彼らの生活は破壊されました」。国境線が明確になっていった時期にセトマーでフィールドワークを行っていたサンクトペテルブルクの独立社会研究センターの研究員、エレナ・ニキフォロヴァ氏は言う。
「国境線は彼らにとって、自分たちが独特の民族であると認識するきっかけとなりました。国境線で分断されたことにより、彼らは団結したのです」
2つの国に引き裂かれたセトゥ人は1994年、自分たちは新たな国家、セトマー王国を設立すると宣言した。それから20年以上がたった今も、彼らは王国を守り続けている。(
(次ページで「おとぎの国」のようなセトマー王国の写真10点を紹介)
[フォトギャラリー]「おとぎの国」のようなセトマー王国の伝統と文化
85歳のイェヴゲニ神父。「半分の信者」(正教会の信仰と異教信仰を併せ持つことから、熱心なロシア正教徒からはこう呼ばれる)であるセトゥ人のために、過去40年間にわたりペツェリ・ヴァルヴァラ教会(現在は国境のロシア側に位置する)で司宰を務めてきた。しかし彼の聖職者歴はそれよりもずっと長い。「私が教会で司宰するようになってから70年になります。ヴァルヴァラ教会に来るようになったのは40年前です。エストニア語で儀式を行える者が私しかいなかったからです。当時、教会に来る人間の半数はセトゥ人で、聖歌隊はエストニア語で歌い、祈りの言葉もエストニア語でした。しかし今はもう、エストニア語で司宰する必要はありません」。国境のロシア側には現在、エストニア語を話すセトゥ人はほとんどいない。
生神女就寝祭の日、ペチョールィ修道院の周囲をイコン(聖像)を掲げた行列が巡る。市民とロシア軍兵士が協力して、熱心な信者たちから聖像を保護する。信者の中には、国境の両側からやってくるセトゥ人もいれば、ロシア正教徒もいる。
生神女就寝祭の日には、奇跡を起こすと信じられている「就寝のイコン」が教会から運び出されてペチョールィ修道院の周囲を巡る。行列に従う信者たちは司祭から祝福を受ける。生神女就寝祭はロシア正教会の祝祭だが、正教会の信仰と異教信仰を併せ持つセトゥ人にとっても重要な行事だ。多くのセトゥ人が、ソ連崩壊以前は厳密に定められていなかった国境線を越えてエストニアからやってくる。
国境のエストニア側にあるペチョールィ修道院を見下ろす丘の上で、ペコ神の像の横に立つセトマー王国の前副王、アールネ・レイマ氏。毎年選挙で選ばれる副王と女王は、夢を通じてペコ神と交信できると信じられており、そのメッセージをセトゥ人に届ける役割を担う。
国境のエストニア側にある小さな画廊で、ロシアのモルドヴィアから来た旅行者の一団を、伝統的な衣装でもてなすマリカ・ケールパルさん。旅行者たちはセトゥ語に似たエルジャ語という言語を話す。マリカさんが髪の毛全体を覆っているのは既婚の印だ。彼女の背後の絵に描かれているのは、20世紀初頭、破天荒な歌い手として名声を博したセトゥ人女性、ヒラナ・タールカ。
国境のエストニア側で最も規模の大きなセトゥ人の村ヴァルスカで暮らし、学校に通うヤネ・ヴァコさん。セトゥの若者は多くが地元を離れて大きな町に移り住むが、自分はそうしたくないとヤネさんは言う。「私は今年で学校を卒業します。その後は世界を見て回りたいです。これはとても大切なことです。でも私は戻ってきます。どのくらい長くかかるかはわかりませんが、でもきっと戻ってきます」。ヤネさんはその理由を、自分と同じ民族の人たちと一緒にいたいから、そしてセトゥの森なしでは生きていけないからだと語る。「私は森の中で何時間も鳥たちを眺めて過ごします」
オビニツァの祖父母の家の庭に立つリーシ・ルイヴさん。この衣装は冒頭の写真よりも新しく、色鮮やかだ。セトゥの女性は、伝統衣装を着るときには常に銀の装身具を身に着ける。裕福な家の女性ほど、身に着ける装身具の数が増える。この装身具が立てる金属音については、こんなことわざがあるという。「女性は姿を見られる前に、音を聞かれなければならない」
エヴァル・リーツァール氏の母親の友人の葬儀に集まった人々。儀式を執り行うのはヴィクトル・メリク神父。
「変容の祝日」はセトゥ人にとってもロシア正教の信者にとっても神聖な日だ。オビニツァで行われる正教会の聖体礼儀の後、セトゥ人は墓地に集まり、亡くなった先祖や愛する人たちがまだ生きているかのように、食べ物を分け合う。
オビニツァに立つ、セトゥの歌の母と呼ばれるセトゥ・ラウルイマの像。1995年、彫刻家のエルマル・レバネ氏が完成させた。ラウルイマとは、セトゥ人の伝統的な多声歌唱セトゥ・レーロを歌う聖歌隊を代表する歌い手のこと。この像は、歌う母親の象徴とされているが、特に有名な3人のセトゥ人歌手、ヒラナ・タールカ、ミコ・オデ、イル・マトッリナを称える意味も持っている。
(文 Eve Conant、訳 北村京子、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2016年11月16日付記事を再構成]
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