ナショジオ

スペシャル

「おとぎの国」のような美世界 少数民族セトゥの王国

日経ナショナル ジオグラフィック社

2017/4/23

ナショナルジオグラフィック日本版

エストニアのオビニツァ村で、伝統的な衣装を身にまとって祖父母の庭に立つセトゥ人の少女、リーシ・ルイヴさん。(PHOTOGRAPH BY JEREMIE JUNG)

 係争中の2つの国に、国境線をまたぐように存在する“王国”がある。そこで暮らすのはセトゥ人。エストニア南東部とロシア北西部の間に挟まれた、セトマーと呼ばれる地域に生きる。わずか数千人からなる先住少数民族だ。

 セトゥ人は何世紀にもわたり、独自の伝統をかたくなに守ってきた。たとえば古代から伝わる彼らの多声歌唱は2009年、ユネスコ無形文化遺産に登録されている。

 一方で彼らは、独特の文化が現代社会の影響で失われるのを防ぐために、自分たちの王家を立ち上げるなど、まったく新しい慣習を生み出している。

セトゥ人にとって豊穣と収穫の神であるペコ神は、ソ連崩壊後、彼らの王となった。ペコ神は、ロシア・ペチョールィの生神女就寝プスコフ洞窟修道院にある洞窟で永遠の眠りについているとされる。(PHOTOGRAPH BY JEREMIE JUNG)

 現在、最大の懸案事項は、セトゥ人を分断するロシアとエストニアの国境線だ。かつてはこの国境線に明確な隔てはなく、あいまいにされていた。また20世紀には、国境線は幾度となく引き直された。二度の世界大戦、ソビエト連邦の盛衰、欧州連合成立などのさまざまな動きがあったためだ。

 しかし、ソ連崩壊後の1990年代半ば、エストニアは独立を達成。そしていつしか国境線――今日に至るまで承認されていないが――は、セトマーをロシア側とエストニア側に分割する強制力を持つ存在となり、セトゥの人々、彼らの畑、教会、墓地を2つに引き裂いていった。

NG MAPS SOURCE: R. Kaiser and E. Nikiforova, Ethnic and Racial Studies (2006)

 「国境が引かれ、彼らの生活は破壊されました」。国境線が明確になっていった時期にセトマーでフィールドワークを行っていたサンクトペテルブルクの独立社会研究センターの研究員、エレナ・ニキフォロヴァ氏は言う。

 「国境線は彼らにとって、自分たちが独特の民族であると認識するきっかけとなりました。国境線で分断されたことにより、彼らは団結したのです」

 2つの国に引き裂かれたセトゥ人は1994年、自分たちは新たな国家、セトマー王国を設立すると宣言した。それから20年以上がたった今も、彼らは王国を守り続けている。(

(次ページで「おとぎの国」のようなセトマー王国の写真10点を紹介)

ナショジオ新着記事